小説 | ナノ


「嬉しいな、+++さんの役に立てるなんて」

「………」

貼り付けたような笑顔を浮かべ、備品の入った箱を軽々持って階段を上がる男が一人。
その後ろから、苦虫を噛み潰したような表情で階段を上がる女が一人。


+++は宇佐美という男が嫌いだ。




話は一時間ほど前に遡る。


「お、重いッ…」

+++は持っていた箱をドスン、と床に落とし、思わず立ち止まって階段をキッと睨みつけた。
今日は薬品を含めた医療物資が届く日で、医務室が手狭な事を考慮してすぐに必要なもの以外は2階にある空き部屋に保管しておくため、医療兵総出でそれを運び込む手筈だった。

唯一の女性医療兵である+++が全て一人で運び込むことなど本来ならあり得ないのだが、今日に限って運悪く他の医療兵は出払ってしまっていて圧倒的に男手が足りなかった。かと言って各々軍務があるほかの兵たちの手を煩わせる訳にはいかない。結果的に、+++が取り仕切って荷物を運び込む以外に方法はなかった。

小さな体をちょこまかと動かしては荷物が置かれた玄関先と2階の往復を何度も繰り返す。
自分がやるしかない、と初めこそ+++は意気揚々と一人荷物を運びこんでいたが、やがてひときわ重い荷物に当たるとついに疲れて音を上げ、階段の前に立ち止まってしまったのだった。

「+++くぅん、息災かな?」

「!鶴見中尉殿!」

重い荷物を前に項垂れている+++の背後から、鶴見が宇佐美を引き連れてやってきた。
鶴見は大仰な手つきで+++に向かって腕を広げて見せ、+++は慌てて敬礼をしてそれに応える。

+++は鶴見を信奉している。
+++が己を信奉しているのをわかっていながら、鶴見は彼女を可愛がるあまり少々無茶なワガママを呟くことが多々あった。(その度に隣にいる鯉登が解せない顔でいることに、+++は気が付いている)

「そこは胸に飛び込んできて構わないのに」

「ま、まさか、そんな訳には参りません!鶴見中尉殿の体に触れるなんて、」

「取り込み中かな」

「はい、荷物を空き部屋に運んでいる最中です」

鶴見は+++の足元に置かれた荷物に目をやる。
彼女のようなうら若い女が一人、誰にも頼らず黙々と荷物を運ぶのが解せないらしく、やれやれと溜息を吐いた。

「これだけ男がいて、誰一人手伝わんとは」

「あ…いえ…皆さん各々職務がありますから、」

「宇佐美、手伝ってあげなさい」

「え、僕がですか」

「は?」

話を振られた宇佐美がきょとんとする前で、+++は明らかに戸惑った様子で慌ててブンブンと首を振る。
鶴見にとっては何気ない気遣いなのかもしれないが、+++にとっては然程有難い提案ではない。
+++は宇佐美のことが嫌いだからだ。

「君は頑張りすぎていけない。頼んだぞ宇佐美」

「承知しました」

「………」

宇佐美を置いてスタスタと戻っていってしまった鶴見の背中を見送るしかない+++は情けない声を上げがっくりと肩を落とす。宇佐美はと云えば涼しい顔をしてヒョイと箱を盛り上げ、軽快な足取りで階段を登り始めた。

これが一時間前の出来事。




「嬉しいな、+++さんの役に立てるなんて」

「………」

宇佐美は至極上機嫌に、軽快な足取りで階段を上がる。
+++は軽い荷物だけ手に持ち、黙ったまま宇佐美の少し後ろ、のろのろとした重い足取りで階段を上がっていた。
宇佐美の顔には不満も疲れも見えず、どことなく嬉しささえ滲んでいる。+++はその横顔をじとりと睨む。

「私なんかの手伝いをしていただくほど宇佐美さんはお暇なんですか?」

「暇じゃあないけど、+++さんが困ってるのにほっておけないよ」

+++は宇佐美という男が嫌いだ。
大きく引っくるめて言えば、鶴見の傍らで、最前線で、全幅の信頼を得ている男たちが嫌いだった。
自分が女で、医療兵である以上鶴見のために命も賭けられない。皆が戦場に出ている中で自分だけは安全な場所で待機している。いくら鶴見が自分を気に入って重用してくれているとはいえ、彼らとは根本的な信頼の毛色が違う。+++はその事実に少しの負い目を感じていた。

「(何なのよ)」

言ってしまえば嫉妬に近いこの感情を発散する術がない+++は、彼らを嫌いになって、彼らに悪態をつくことで心の均衡を保っている。
そんな自分が少々バカらしくてもどかしいのだが、とうの宇佐美はえらく+++を気に入っていて、いくら+++が悪態をついても怒りひとつ見せたことがなかった。それが余計に+++を困惑させる。

暫くのあいだ、+++と宇佐美はこれといって談笑することもなく、黙々と荷物を運び込む。
そのおかげであれだけ苦戦していたはずの荷物運びは予定よりも早く終わった。

「これで最後かな?」

「……はい」

「良かった」

最後の荷物をドスン、と床に置いて宇佐美はさして汗も掻いていない額を拭う。
+++も+++で、宇佐見が手伝ってくれたおかげで疲労度も少なく無事職務を終えた。
こういう時に出るのはやっぱり男と女の差なのだ。+++はしみじみと感じ入る思いを飲み込んで、ちらと宇佐美を見やる。

「ありがとうございました」

「へえ、ちゃんとお礼が言えるんだ」

「何かしてもらったらお礼を言う。常識ですよ」

「可愛くないなあ」

至極もっともなことを言って笑う宇佐美を見て、+++は途端に自分の子供っぽさに恥じ入った。
いくら気に入らないとはいえ、可愛くお礼の一つも言えないのか。
心の中で自分で自分に問うても、曲がらない性格の+++は素直になれないままそれじゃあ、と踵を返す。

バンッ

ふいに、宇佐美の手が引き戸に押し付けられて+++が部屋を出るのを拒む。
驚いて顔を上げた+++の背後、宇佐美がいつもの怪しい笑顔で立っていた。

その距離は近い。一歩でも踏み出せば宇佐美の顔がより近づくほどの距離だった。

「っなに…、」

「可愛くない+++さんも好きだけど」

「は?」

「お礼の一つくらい、欲しいな」

じわじわと距離が近づく。
互いのつま先同士と+++の背中がとん、と引き戸に当たるほどの近距離で、宇佐美はとても怪しく嬉しそうに笑顔を見せた。

逃げられない。
ドク、ドク、と心臓が高鳴る。

どうしよう、宇佐美に聞こえてしまうかもしれない。
+++の背筋に妙な汗が伝う。まるで蛇に睨まれたカエルのように、身が縮こまって動けない。

「お、お金、ですか?」

「違うよ、なんでそうなるかな」

「だってお礼が欲しいって…」

「お金より+++さんが欲しい」

だめかな。

にっこりと宇佐美は笑う。
黒子に施した刺青が微妙に歪んて見えた。

ぽかん、と立ち尽くす+++の前で、宇佐美は違ったかな、と首を捻った。
二人妙な空気の中互いに腹の中を探るかのような視線で見つめあっている。相変わらず+++の退路は宇佐美によって塞がれたままだ。

「からかわないでください」

「からかっていないよ」

一体自分たちは何のやり取りをしているのだろう。つくづく得るものがない会話をしていると思う。
それでも宇佐美は+++を追い詰めることをやめないまま、むしろもうすぐ鼻先が触れ合いそうなほどにまで顔を近づけて、精一杯体を仰け反らせて拒否しながらも明らかに動揺隠せない彼女の様子を暫く楽しんでいる様子だった。

「んーじゃあ、そのうちね」

そう言って宇佐美は+++の頬をするっと指先で撫でると、体を離して至極愉快そうに笑う。
+++は何故か分からないが、とてつもなく悔しかった。
この得体の知れない男に弄ばれている、激しく心を掻き乱されている。そう思った。

「そ、のうちって…なんですかそれ」

「そのうち+++さんが僕の恋人になるってこと」

「ふざけないでください。…そもそも鶴見中尉殿という人がありながら…」

「崇拝と恋慕は違うよ」

愉快そうな瞳を急に真剣なものに変えて宇佐美が言う。
+++はまたも、その場から動けなかった。

ようやく宇佐美がガラガラと扉を開けて+++の退路を明け渡した頃には、出払っていた医療兵が既に戻ってきた頃だった。
+++は部屋を出ながら、ちらと傍の宇佐美を一瞥する。当の本人は相変わらず上機嫌な様子だった。

+++は宇佐美という男が嫌いだ。
それでもその顔がまるで朱を刺したように耳まで赤くなっているのは恐らく宇佐美という男に油断して、付け入る隙を与えてしまったせいだろう。

悔しさと恥ずかしさと妙な緊張で頭がクラクラする。
+++はまだ知らなかった。この後、互いの距離がさらに近づくことも。

「空き部屋から二人出てきたら怪しまれちゃうかな」

「妙なこと言わないでくださいその黒子一本に繋ぎますよ」

「参ったな、また刺青が増えちゃう」


「だから本当に変なこと言うのやめてくれます?!」


廊下に虚しく響き渡る+++の声になんだなんだと階段を上がってきた医療兵によって、二人の間に妙な噂が立つのはそう遠くない未来の話。


(5000hit投票企画 「恋人になってください」
第四弾:あなたがきらいといったから/宇佐美)