小説 | ナノ


「あー腹減ったぁ」

帰宅するなり気の抜けた顔で腹部をさする佐一くんが、今日の夕飯は何かと荷物も置かずにキッチンに入ってきた。
じゅわじゅわと手羽先を揚げる私の横に立ち、まるで子供みたいにワクワクしながら手元を覗き込む。

「え、今日手羽先?!」

「そうだよ。嫌だった?」

「全然!うまそう!てか手羽先って作れるんだ」

「作れる作れる。味付けするだけだもん。ほら、早く手洗って着替えてきなよ」

「りょーかい」

佐一くんはそそくさとキッチンを出て行った。
秒でTシャツとスウェットに着替えて秒で手を洗い、秒でまたもキッチンに入ってくる。
まだ手伝うことがないのに彼がキッチンに入ってくるときは大体何かつまみ食いできるものを狙っているときだ。今日のターゲットはおそらく、作り置いておいた切り干し大根だろう。

「佐一くんうがいしてないでしょ」

「………したよ」

「えー?聞こえなかったよ」

「バレてたか」

不満げに唇を尖らせて再び洗面所に向かい、言われた通り律儀にうがいをする佐一くんがおかしくて、思わずひとり笑いながら私は黄金色に揚がった手羽先をバットに並べていく。
一連の行為を済ませた佐一くんが三度キッチンに入ってきて背後でごそごそと何かしたあと、私の傍に立った。
暇なときは後ろにピッタリくっついてきたり抱きついてきたりするのだが、揚げ物と包丁を使っているときは危ないからダメだと注意したことを学習したらしく、今日はおとなしく傍に立って私の一挙手一投足を見ている。口がもぐもぐ動いているので、多分すでに切り干し大根のつまみ食いに成功したあとだ。

「あ!切り干し食べた!」

「うん、だって+++さんの切り干し大根美味いんだもん」

「美味いんだもんじゃないでしょーご飯までになくなっちゃうよ」

悪びれた様子もなく佐一くんはごめんごめん、と言いながら箸を止めない。
それを私が呆れたように注意するのが、ほぼ毎日の光景だ。


佐一くんとの出会いは、人数合わせのために友人にたまたま連れてこられた飲みの席だった。
佐一くんも同じような感じで、お互い酒に強くない私たちは飲酒もそこそこに二人でひたすら食べ続けていたのを覚えている。

何回かデートを重ねて、いつの間にか付き合って、いつの間にか同棲を始めた。
今でも友人にどちらから付き合おうと告白したのかと聞かれることがあるけど、告白の言葉は覚えていない。
というか、はっきりと言われていないような気さえする。
なぜか佐一くんは私のことをいつまで経ってもさん付けで呼ぶし、お揃いのものも持ってないし、デートするより家でのんびりしていることの方が多い。付き合った記念日のお祝いなんてしたこともない。

そういうのを律儀にやるカップルが羨ましくないかといえば嘘になる。
でも、それが私たちのカタチ≠ネので、それでいいと思っていた。



「+++さん」

「もう切り干し大根ないよ」

「いや切り干しはもういいんだけど」

「なに?」

「あのさ」


冷蔵庫を開けたり閉めたり、何となく落ち着かない様子の佐一くんが再び私のそばに立った。
何となくそわそわしているので、何事かと眉をしかめる私に佐一くんはあーだのうーだの唸ってなかなか話そうとしない。
ようやく口を開いたかと思えば、その顔は何だか真っ赤になっていた。

「…俺たち付き合ってどのくらいだっけ」

「一年半年かな。…なんで、どしたのいきなり…」

「いや、」

さっきまで切り干し大根をつまみ食いしていた彼がなんで急に顔を赤くして口ごもっているのだろう。不思議そうにする私の前に、すっと彼の手が伸びた。


その手には少し背の高い革張りの丈夫そうな正方形の箱がひとつ。
佐一くんはきょとんとしている私に、開けてみてと催促する。

中には、大きさの異なる腕時計が二つ並んでいた。
大きい方は黒いレザーのストラップ、シンプルなインデックスに落ち着いたシルバーを基調としたサンレイダイアルの文字盤。
小さい方はネイビーのレザーのストラップ、色違いのゴールドの文字盤で、形は同じ。
私好みの、綺麗な時計だった。

「………ど、どしたの、これ。今日何かの日だっけ?」

「いや、違うんだけどさ…俺考えたんだけど」

「うん」

「+++さんにちゃんと、付き合ってくださいって言ってねぇなって思って」

「………………」

「でも今更付き合おうなんておかしいし」

「……いやそんなことないけど」

ウブな学生みたいだ。
よほど緊張したのだろう。佐一くんは相変わらず赤い顔で、でもとても真剣だ。

「だから改めて」

「うん」



「……恋人になってください」



その顔とか、少しだけ強張っている手とか、声とか、全部愛おしくて
明らかな順番を経てきていないことなんて、彼の告白が一年半越しであることなんて、もはやどうでもよかった。

ああ、佐一くんが、好きだ。
どうしようもなく素直な感情だけがここにある。


「もちろん」


笑いながら頷く私に佐一くんは心底安心したのか、よかったーと脱力して思い切り正面から私を抱きしめた。受け取っている途中で手を離すものだから、私は落ちそうになった時計の箱を慌ててキャッチしてからその背に手を回す。

私たちが改めて「恋人」になった日の食卓。
お揃いのものも、素敵なデートも、記念日のお祝いも、別になくてもいいと思った。
今ここで一年半越しに、私が一番欲しかったはずの言葉を彼から受け取ったから。


「時計なら仕事でもつけられるしいいかなと思ってさ」

「うん、私が好きなデザインですごい嬉しい!佐一くんのもシンプルでかっこいいね。ありがとう」

「+++さん、あんまり可愛い過ぎるのとか好きじゃねえかなって。白石と一緒に選んだんだよ」

「私の好みよくわかってるね、さすが白石さん」

「え、そこは俺でしょ?!」

「あはは、冗談だよ」


指輪はもうちょっと待ってて、と佐一くんが笑って言うので
食卓に並ぶ前に食べつくされた切り干し大根の件は不問にしてあげることにした。


(5000hit投票企画 「恋人になってください」
第一弾:遅れた恋がやってくる/杉元)