小説 | ナノ


「おいは、おとなになったら+++とけっこんする!」

「ほんと?わたしが鹿児島からいなくなっても迎えにきてくれる?」

「あたりまえじゃ!」




遡ること数十分前。
母からの電話で、都内の大手商社に就職が決まったらしい幼馴染の音之進が鹿児島から上京してくることを知った。

「音くん…こっちに来るんだ」

『音之進くんのお母さんがわざわざ連絡くださったのよ。+++さんによろしくって』

「…中学卒業して以来会ってないけどね…」

小学校高学年から中学卒業までわたしは鹿児島に住んでいた。
由緒正しい家柄であるにも関わらず、近くに住むよしみでとても良くしてくれた鯉登家とは、いまたに親同士家族ぐるみの付き合いが続いている。
転勤族で九州になかなか馴染めずにいたわたしとよく一緒に遊んでいた2つ年下の音之進を「泣きむし音くん」とからかっては泣かせていたのを今でも覚えている。

中学に入ってからは音之進は進学校に進学するために勉強で忙しく、わたしは都内の高校に通うため中学卒業と同時に上京し祖母と暮らすことが決まっていたので、次第に連絡を取ることはしなくなっていた。

『そっちに知り合いもいないだろうから、良くしてあげなさいね』

「会うことになったらまぁ……あ、誰か来た。じゃあねお母さん。また連絡する」

思い出の余韻に浸る間もなく、インターホンが鳴る。母との通話を切って応答すると、画面いっぱいに見知らぬ男の顔が映っていた。

『+++!!』

「ぎゃあ?!」



そして、話は今に至る。
嵐は突然やってきたのだ。

『+++!!おいじゃ!音之進じゃ!』

「いや何であんた此処にいんの?!」

『とりあえず開けたもんせ!』

「わかった、わかったから大きい声やめて!近所迷惑だからっ」

大きな体を折って画面に顔を近づけるインターホン越しの男は、聞き覚えのある方言を喋っている。浅黒い肌に特徴的な眉毛。どうやらわたしの幼馴染、鯉登音之進で間違いないらしい。
仕方なく扉を開けると、音之進はパアッと表情を輝かせてドタバタと踏み込んで来た。
今にも抱きつかんばかりの大きな体をサッと躱したら、音之進はどこか不満げな顔で用意されたスリッパをしぶしぶ履いた。

「久しぶりじゃな+++」

「………久しぶり、鯉登くん」

「9年ぶりじゃ。変わっちょらん」

「ていうか…何でわたしの家知ってんの?」

後をひょこひょこ着いてリビングに入った音之進はふんとドヤ顔をして見せたが、恐らく母に住所を聞いてここまで来たのだろう。手にはスーツケース。先ほど着いたばかりらしい。
何も準備していなかったわたしは、冷蔵庫から麦茶を取り出しながらすでにソファに勝手に座って足を伸ばす音之進をちらと見やる。

彼はしばらく見ないうちに背がとても伸び、精悍な顔つきになっていた。
さすがに9年も会わなければ当然なのだが、もうすっかり大人の男だ。

「就職決まったんだってね。お母さんから聞いたよ。おめでとう」

「あいがと」

「…でも普通アポなしで来ないでしょ」

「おいと+++の仲じゃろ」

「何言ってんの9年も会ってなかったのに」

麦茶を出してやりながら膠もなく言うわたしを音之進は不満げに睨む。それでも律儀にいただきますと頭を下げる育ちの良さは変わっていないようだ。
アポなしで突然現れたことはともかく、わたしも向かいに座って麦茶を煽った。

「就職先、鶴見商事だっけ?」

「そうじゃ」

「超大手じゃん。都内のど真ん中かぁ…家はどこらへんにしたの?」

「家はまだ決まっちょらん」

「……入社式、明後日でしょ?」

「そうじゃ」

「普通物件決めてからこっち来ない?」

わたしは思わず壁にかかるカレンダーを見てから眉を顰めた。まさかしばらくホテル暮らしでもするつもりなのだろうか?
さすがお坊ちゃんは違うなと本音が出かけたところで、音之進は急に黙り込んでじっとこちらを見つめ、何か言いたそうな顔をした。

「+++」

「なに」

「おいをここに住まわせてたもんせ!」

「勘弁してください」

アポなしで突撃して来た時点で想像しないわけではなかったが、音之進の口から飛び出した信じがたい言葉に対して出るのは間髪入れない断り文句だけだった。

「ないでじゃ!おいと+++の仲じゃろ!?」

「そういう問題じゃないでしょそもそもあんたが住むスペースなんかないわ!」

ずずいと迫り来る彼から逃げるように後退しながら、1Kの部屋を示して見せた。音之進は静かに部屋を見渡してからなぜか納得したように頷いている。

「確かに狭い。物置かと思った」

「おまけに失礼すぎかよ」

「まぁそれはどげんでもよか」

「どげんでもよくないでしょ!」

それでも音之進は負けじと近づいて、その手がついにわたしの手を掴んだ。音之進は真面目な顔をしてわたしの顔を覗き込む。不覚にもその端正な顔立ちに見入りそうになる。

「おいはずーーーっと+++に会いたかった」

「!」

「+++は9年間、おいが高校に受かった時の一度しか連絡くれんかったじゃろ。おいはずっと+++に会いたかったのに」

「そ、それは…」

「連絡もせん、帰っても来ん。それなら会いに来るしかなか」

音之進は優しく微笑むと、その骨ばった大きな掌でわたしの手をそっと包むように握った。

わたしの目の前にいるのはもう、泣きむし音ちゃんではない。
知っているようで知らない、鯉登音之進という大人の男だ。

どうしよう。
なんかめちゃくちゃ格好良くなってる。


「ちょっと待ってとりあえず落ち着こう鯉登くん」

「なんじゃ」

「いや…男女だよわたしたち。ダメでしょ流石に」

でもそれとこれとは話は別なのだった。
彼がわたしに会いたいと思っていてくれたことは素直に嬉しいが、9年ぶりの再会であること以前に付き合ってもいない男女が一つ屋根の下、狭い部屋に一緒に住むなんてことがまかり通るとでも思っているのだろうか。

「心配いらん。責任は取る」

なるべく落ち着かせようと諭すように言ってはみたが、音之進は大真面目な顔をして言い放った。彼の言う責任が何なのかはよくわからない。

「…音くん、あのね」

音くんなんて呼んだのは何年ぶりだろう。すると彼はそれに気がついて、嬉しそうに笑った。

「ずっと呼んで欲しかった。音くん、って」

「……っ…」

「おいは+++と結婚する。子供んころ、約束した。そのために就職もこっちにした」

「へぇ?」

その嬉しそうな笑顔に言おうとしていた言葉が吹っ飛んでしまって、わたしのことをこんなにずっと想ってくれていたのかとしんみりしていたところで思わぬ言葉に素っ頓狂な声を上げる。

「…責任てそういうこと?」

「そうじゃ!…まさか忘れちょったか?!」

「覚えてるようなないような…」

「キエェ…!」

わたしの相変わらずの膠もない反応にさすがに答えたのか、音之進は猿叫を上げたあとそのままガクッと膝をついて打ち震えている。

急に現れて訳がわからないのに昔と変わらずこの感じが、何となく愛おしいと思った。
就職すらもあの時の約束のためだとわかってしまって、こんな風に一途にされたら許してしまいそうな自分がいる。
わたしはため息とともに、蹲る音之進のつむじをつんと突いた。

「……寝るのソファだけど、それでもいいなら今日は泊まってもいいよ」

「!」

「明日物件探しに行こう。一緒に行くからさ」

「………嫌じゃ」

「わがまま言わない」

「…そうじゃ。そんなにここが手狭ならもっと広か部屋に引っ越せ!」

「あのね、狭さの問題じゃないんだよ」

「家賃なら心配せんでよか!」

「…金持ちはこれだから」


少々無意味さを感じながらも、この押し問答はしばらく続きそうな予感がしている。




「どうかなあ。音くん泣きむしだから」

「な、泣きむしじゃなか!!」

「ごめんごめん。…待っちょいよ、音くん」

「おう、絶対むかえにいっでな!」





頭によぎる幼いころの淡い記憶をぼんやりと思い出す。
9年という長い年月、確かでもない約束だけを頼りにすっかり大人になっていた音くんの、まっすぐなところだけは変わっていないのかもしれない。

2人が住むのにちょうどいいもっと広い物件を探し回ることになる未来を、この時のわたしはまだ知る由もないのだった。