辺りが血生臭い。
ひどく寒い。ここが何処かも分からない。
泥と血脂に塗れた男たちが死屍累々と積み重なっている。銃声と、慟哭にも似た男たちの鬨の声が聞こえる。
ヨタヨタと頼りなく歩くうち、爪先に引っかかった男の体を恐る恐る起こした。
それは、血に塗れた愛する貴方だった。
「ッ!!!」
ガバ、と布団を跳ね除けて飛び起きた。カーテン 越し、寝室の薄闇に月の光が射す。
全身がびっしょりと濡れるほど汗をかいている。呼吸は荒い。うまく息ができない。
薄闇の中で己の瞳がギラギラと光っているのを自覚するほど、私は目を見開いて呼吸を整えようとしていた。
「……+++」
隣で眠っていた彼が、少し眠たげな声色で小さく名前を呼び身を起こした。
未だ肩で息をする私の背中にそっと手を添えて、顔を覗き込む。
彼は優しく、私の汗ばんだ髪を指先で梳いた。
「っ、はじめ、さん……ごめんなさい、起こしちゃって…」
「…また例の夢か?」
「…………」
彼に出会って、恋に落ちて、一緒に暮らすようになってから不規則ではあるが妙な夢を見るようになった。
私は決まって、とても寒い「何処か」にいる。
夢というには些かリアルすぎる血と脂と火薬の匂い。耳を劈く銃声は、 近いのか遠いのかもわからない。
ウロウロと行くあてもなく彷徨い歩いた先で私は必ず見つけるのだ。
軍服を着て血に塗れた、彼の死体を。
数ヶ月前、彼と旅行で行った北海道の飲み屋で不思議な女性に出会った。
頭に不思議な骨のようなものを乗せたその女性はアイヌの血を引いていて、占いが得意だと言う。
『貴女、この男性と前世を共有していますね』
それからと言うもの、見るようになったこの夢。
前世を共有している。
始めは信じていなかった。
彼の生い立ちを改めて聞いてみたりもしたが、先祖のことなど詳しく聞いたことがないのでよく知らないと言った。
ただあまりにも繰り返し見ては夜な夜な魘されるので、ついに彼も信じざるを得なくなってきたようだ。この夢が、本当に彼の前世とでもいうのだろうか。だとしたら、随分と恐ろしいものだと思う。
「……+++」
彼の腕がすっと伸びて私を引き寄せる。そのまま優しく、力強く抱き締めた。
「…基さん…」
「心配するな。俺は此処にいる」
彼は私の髪に頬を寄せ、しっかりと抱いたまま優しく囁いた。
「…汗臭いかも」
「全然。+++はいつもいい匂いがする」
私もようやく落ち着いてきて、そっと背中に腕を回し小柄だけれどその逞しい胸元に顔を埋める。
目を伏せれば夢に見たあの光景を思い出さない訳ではないけれど、幾分は落ち着くのだ。
「…あの女の言葉を信じるわけじゃないが」
「ん…」
「もし+++が俺の前世を共有してるなら、それはとても運命的だと思う」
埋めていた胸元から顔を上げて彼を見る。
彼は私の額にかかった髪を退け、そっと額にキスをした。
「俺は今此処で生きてる」
「基さん」
「俺たちは出会うべくして出会ったってことだろう」
そんな夢を見させるくらいなんだから。
そのままそっと横たわり、布団の中で再度しっかり抱き締められる。
間近で聞く彼の心音が、何度私を安堵させたことだろう。
「俺も同じように+++の前世を共有できたら良かったのにな」
「…基さん、霊感的なものまったくないもんね」
「無くていいそんなもの」
「基さん」
「ん?」
「死なないで…最期まで一緒だよ」
「当たり前だろ。…なぁ+++」
「なぁに」
「…いや、何でもない」
心臓がすっと静かになる。
血なまぐさい匂いが、薄闇に溶けて消える。
鼻腔をくすぐる石鹸の匂いが心地よく、互いに溶け合うような温もりに安堵して、優しく響く彼の声を聞きながら私は初めてようやく深い眠りにつくのだった。
おやすみ。今度こそ、いい夢を。