小説 | ナノ


鋭い瞳に足が竦んでいたところで、杉元さんはハァと深くため息を吐いた。その眼差しに先ほどの鋭さはないけれど、何とも苦々しい表情をしている。

「ご…ごめんなさい…」

その鋭さに気圧されて口をついたのは何故か謝罪の言葉だった。
杉元さんは驚いたように目を丸くし、すぐに苦笑いをこぼす。

「…俺の方こそなんかごめん」

少々ばつが悪そうに謝る杉元さんの瞳が揺らぐ。
あの殺意を含んだような瞳の理由が知りたくて少しだけ踏み込んでみる。

「…杉元さん…知ってるんですよね、尾形さんのこと」

「…………」

「だってこの前も…」

「…聞かない方がいいかもしれないよ。聞いたら俺のことも尾形のことも、嫌いになるかも」


杉元さんは尾形のことを知っている。
私が知らないことを、きっと知っている。





「尾形は裏社会の人間だ。この街を縄張りにしてる」

来客用のマグを棚から出しながら、シュンシュンとケトルから立ち上る湯気をぼんやり見つめる。
杉元さんはゆっくり静かに口を開いて話し出した。

「それは…何となく、わかります」

温かいお茶を注いで杉元さんの目の前に差し出しつつ、私は小さく頷く。
杉元さんは私を一度見た後、同じように頷いた。

「俺と尾形はもともと、同じ組織だったんだ」

「…!?」

「まぁ、聞いて」

さらっと発せられた事実に驚きのあまり言葉を失う私を一度制し、
杉元さんは話を続ける。

「…でも尾形は…あいつは裏切った。組織に大きな打撃だけ残して、ある日突然いなくなった」

「………」

「自分の利益のためなら育った組織を平気で裏切るし、人を傷つけることに罪悪感もない。裏社会では有名な奴で、『コウモリ野郎』って呼ばれてる。危険な男だよ」

だから近づかない方がいい。

捲し立てるような勢いでなかなかに衝撃的な事実を聞かされて、意識が追いつかず頷くことしかできない。
尾形が所謂カタギの人間でないのはわかっていたけれど、まさか杉元さんもだったなんて。
衝撃のあまり何も言えないでいる私に、杉元さんは変な話してごめんな、と付け加えた。

「でも、そのおかげで俺はいまこうして生きてるけど」

ぽつりと杉元さんが言った。
落としていた視線を上げて彼を見やる。何とも言えない表情だった。

「組織が壊滅してからしばらく北海道に高飛びして、そこで恩人に助けられた。今は完全に足を洗って、こうして普通に働いてる」

「そう…だったんですか…」

「…でも尾形は違ったんだな。…今でも裏社会で生きてる。いや…あの世界でしか、生きられない」

「…………」

「まぁ、俺も+++ちゃんからしたらヤクザから足抜けした中途半端なチンピラみたいもんだろうし、人のこと言えた義理じゃないんだけど」

「っそんなこと……ごめんなさい、ちょっとびっくりして…」

「だよなぁ」

ようやく杉元さんが笑った。少しだけその笑顔に安堵して、すっかり冷めたお茶をすする。

尾形が自分とは違う世界に生きている人間だったなんて、分かりきったことだった。
杉元さんがわざわざ忠告してくれたのもそういうことなんだ。関わってはいけなかった。

「教えてくれてありがとうございました。杉元さんの話も聞けてよかった」

「+++ちゃん、俺…」

「私にとって、杉元さんはこの街で初めて仲良くなった『お隣さん』です。悪い人だったらお財布拾ってくれたりなんてしないと思うし」

「………+++ちゃん……」

「この街じゃなかったら出会ってなかったですもんね。杉元さんにも」

尾形にも。

最後の言葉は飲み込んで、微笑みながら見やる。
先ほどまで険しかった杉元さんの表情が崩れ、少し照れ臭そうにまた笑った。


ぐうう……


途端、空気がほぐれた空間に響く音。

「………………」

「……+++ちゃんもしかして」

「いや、あのですね実は忙しくて、昼から何も食べてなくってそれで、」

響き渡ってしまった私の腹の虫を弁解しようと慌てていると、杉元さんはククク、と喉を鳴らした。

「あ〜〜真剣な話したら腹減ったなァ」

「(どうしようめちゃくちゃ恥ずかしい)」

「+++ちゃん」

「……はい」

「焼きそば食う?」

そう言って、杉元さんはスーパーの袋を指差した。
袋の中にはカット野菜や焼きそば麺など、調理に必要な具材が入っている。

「……………食べます」

頭の片隅でぼんやりと考えながら、私は杉元さんお手製の焼きそばにあやかることにした。
(時間は午前0時を過ぎているけれど、構うもんか)



この街は不思議な街だと思った。
猥雑でいて闇が深い。社会からはみ出た人たちが流れ着く街。
尾形はそんな自分を反映して、この街を「俺の街だ」なんて言ったんだろうか。
真意はわからないけれど、きっとそうなんだろう。


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