小説 | ナノ


車内はほんのりタバコの香りがする。
コンビニからアパートまでさほど距離はないけれど、1秒1秒がなんだか妙に長く感じる。

「このまま売り飛ばされるとでも?」

「…そんなことしたら秒速110番です!」

「安心しろよ、前にも言ったがこっちも人を選んでるんでな」

…嫌な奴!
縮こまる私を横目で一瞥し、面白がるようにククと喉を鳴らして笑う。
車に乗り込んでほんの数分の距離のあいだに随分と弄ばれている気分になる。先程から私の一挙手一投足をからかう姿が何とも憎たらしい。

何も言わずに黙って流れる景色を見つめていると、信号待ちの間ふいに尾形が口を開いた。

「名前」

「………あ、私の名前ですか?」

「それはどうでもいい」

「…あ〜そうですか〜そうですよね〜」

「俺の名前」

「え」

「何で知ってる」

「……あ…えっと、他の人が尾形って呼んでた、から」


思い返してみると確かに本人から名前を名乗られたわけではなく、2回目に出会った時偶然耳にした呼び名を鵜呑みにしたのだ。それを聞いて尾形から返って来たのは、あぁ…とだけだった。


再び沈黙が流れ出す。
私との会話を楽しんでいるとも思えない。
どうして、私につきまとうのだろう。



「…尾形さんて、私のこと好きなんですか?」

「………はぁ?」

ぽつりと、素直に思っていることを問うてみた。
案の定と言うか、予想通りの反応が返ってくる。

「だってよく絡んでくるし、さっきも助けてくれたし…もしかして私のこと好きなのかなって」

「…………」

困っているのだろうか、無表情のまま固まっていた尾形はしばらく黙り込んだ後盛大な溜息を吐いてから新しいタバコに火をつけた。

「ここは俺の街なんだよ」

「……俺の……街…?」

「そこに世間知らずの猫が住み着いた」

「……それ私のことですか?」

「世間知らずで、色気のない猫。そいつはこの街が嫌いだと言う。自分から来たくせに」

「完全に私のことですよね」

「からかい甲斐がある」


見てて面白い。


また、笑う。



言ってることは全然意味がわからない。
やっぱり憎たらしくい。
でも、不覚にもその横顔をかっこいいと思ってしまった。





「ここだろ、コーポ永倉」

気が付けば車はアパートの前に到着していた。何故だかもう少しだけ話をしていたい、という気持ちを抱えつつまさかそんなことは言い出さないまま車を降り、頭を下げる。

「送っていただいてありがとうございました」

「じゃあな、猫娘」

「…っ、尾形さん!」

すぐに発進しようとするのを慌てて引き止める。尾形は少々怪訝な顔をして運転席の窓を開けた。

「何だ」

「…これ、よかったら食べてください」

私は咄嗟に、夕飯に食べようと思って買った肉まんを差し出した。
尾形はますます怪訝な顔をする。

「冷えた肉まんはいらん」

「温めればいいじゃないですか!…助けてもらったお礼です」

「………」

半ば無理矢理コンビニ袋を押しつけると、根負けしたのか尾形は本当に渋々と言った様子でそれを受け取って助手席に放り投げた。(ひどい)

「…っあと、」

「…まだ何かあるのか」


「私、***+++って言います」


猫娘じゃないです。


そう言うと尾形は驚いたような顔をする。
そして、一瞬だけど少しだけ優しく笑って


「…じゃあな、+++」


私の名を今度は確かに呼び、夜の闇に消えていった。





余韻が残るような感覚でしばらく車が去った道の先を見つめる。

本来なら、人生で絶対に関わることがないであろう人間のはずだ。
きっと関わっちゃいけないし、それは本能的に何となくわかっている。

それでも彼がこの街でどんな風に生き、今までどんな風な人生を歩んで来たのか。ほんの少しだけ知りたくなった。

ここは俺の街なんだよ。

尾形の言葉が、まるで残響のように耳に残っている。
あの言葉の意味をわかる日が、いつか来るのだろうか。




「+++ちゃん」

「わぁっ?!」

背後から急に名前を呼ばれたので、 驚きのあまり声を上げて振り返る。
そこには杉元さんが立っていた。手にはスーパーのビニール袋。おそらく仕事帰りだろう。

「っなんだぁ杉元さんかぁビックリした。いま帰りですか?」

「……今のって」

「…あ…そうなの…実はさっきね、」

「言ったよな、俺」

「え…?」

「尾形とは関わるなって」


いつもは優しい杉元さんの瞳が、鋭いものに変わる。

殺意を孕んでいるような、そんな瞳。


射竦められたように立ち尽くした私の耳に、尾形の声がまるで残響のようにいつまでも響いていた。

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