小説 | ナノ


(薩摩隼人は砕けないの次の日のお話)



昨日の嵐が嘘のように、今朝の北海道は抜けるような晴天だった。
俺は昨夜の出来事を思い出しては、憂鬱な気分に苛まれている。



「少尉殿、落ち着いてください」

「落ち着いているッ!」

今日は有坂閣下の新しい機関銃のお披露目が行われるというので、準備が整うまで昨夜案内された同じ部屋で鯉登少尉と待機することになった。少尉はひどく落ち着かない様子で、なぜか扉を開けたり閉めたりしている。

「しかし…なぜ+++さんが機関銃のお披露目なぞ見に来る必要があるのだ?」

「さあ…鶴見中尉殿の姪御ですからな。何に興味を持っても不思議ではないでしょう」

「けしからん、危険じゃ!+++さんが怪我でもしたらどうすっとじゃ!」

「………」

やがて窓の外に数人の女の影が見える。鯉登少尉はガバッと身を乗り出し、気が付いた頃には既に玄関先に移動していた。

この人は昨夜、一目惚れした相手に「恋敵」として宣戦布告されたことを理解しているのだろうか?



「鯉登様、ご機嫌よう。昨夜は有難うございました」

「+++さん、お早うございます。此方こそ昨夜は好い夜でした」

+++さんは深い緑の洋装にブーツの出で立ちで、日傘を畳みながら柔かに笑みを浮かべて頭を下げた。+++さんに付いている侍女は少尉(の外面)を見て顔を赤らめている。
+++さんの笑顔に昨夜のような冷酷さはない。それでも、彼女の腹の内に住むあの本性を知る者としてはその様子が少々胡散臭くすら感じるのだが。

「今日は楽しみにしておりましたの。伯父様ったら、『昔から』武器には目がなくって」

「『よく』存じ上げております」

+++さんは『昔から』の部分を、少尉は『よく』の部分を強調して互いに地味に牽制し合う。+++さんは笑顔だがおそらく内心では「死ね」くらいには思っていると思う。


お披露目はまるで宴のように大いに賑やかだった。というのも有坂閣下の声が大きい上機関銃の音も響くので、必然的に賑やかになっているだけなのだが。

「素晴らしい!」

鶴見中尉は時折自分で、そびえ立つ樹木を機関銃で撃ってはその性能の良さを称賛し拍手する。それを恍惚の表情でうっとりと見つめる人物2名。

「伯父様、素敵ですわ!」

「鶴見中尉殿、わっぜ素晴らしかです!」

+++さんが鶴見中尉を称賛し、鯉登少尉がそれに続く。その度に+++さんはまるで鬼の形相で(一瞬だが)少尉を睨むが本人は気づいていない。

「(俺は夫婦漫才でも見せられてるのか?)」

互いに鶴見中尉を巡って争いながらも、かたや少尉は+++さんに惚れているしもはや訳がわからない。

「お嬢様、あまり近づかれては危険です!」

「大丈夫よ。…凄い、木もこんな風になってしまうのね」

他の団員たちや鶴見中尉が閣下の機関銃の説明に聞き入る横で、+++さんは穴が空いた木に近づいて機関銃の痕を興味深げに眺めた。嗜める侍女に向かって振り返り、+++さんは片手を上げる。

ふと、どこからともなくメキメキと不穏な音が響き出した。
機関銃によって穴の開けられた樹木が支えの幹を失い、今にも倒れそうに揺れている。周囲がそれに気づいた時はすでに遅く、とうとう根元から折れた樹木が+++さんに向かって倒れかかってきた。


「!危ない!」

「え、」


キャアア!と侍女の悲鳴が響き渡る。ドシン、と地面を揺らして樹木が倒れた。

「お嬢様!!」

「担架を持ってこい!医者を呼べ!」

緊迫した空気の中、慌ただしい声が響き渡る。鶴見中尉も目を見開き、周囲の団員とともにそちらに駆け寄る。
しかし、俺は鯉登少尉が誰よりも早く彼女の元に駆け寄っていたのを見ていた。

誰もが+++さんは樹木に押しつぶされたと思っていた。
そんな中、鯉登少尉が間一髪の所でしっかりと彼女を抱きとめ助け出していたのだ。

「だから危険だと言ったのだ」

頭に葉をたくさんつけ、+++さんを横抱きにして少尉はすっくと立ち上がる。なぜか口元に不敵な笑みを浮かべて。
+++さんは呆然と硬直している。皆が一様に固まる中、少尉はそのままスタスタと歩き出した。

「怪我をしているかもしれない、医務室に連れて行く。月島!手伝え!」

「…分かりました。申し訳ないが、あなたも来てくれ」

「は、はい!」

侍女についてくるよう告げて少尉とともに医務室に向かう。+++さんは相変わらず固まっている。





「+++さん、お怪我はありませんか?」

医務室に入るなり、少尉は跪くようにして椅子に座る+++さんの顔を覗き込む。それに動揺している侍女を尻目に(なぜお前が動揺する、と内心で突っ込みつつ)、+++さんはようやく口を開いた。

「…あなたの方が」

「え?」

「怪我しているわ。肩のところ」

「これくらいかすり傷です」

「脱いで」

「ぬ…脱っ…?!」

「上着だけよ。消毒するの」

指差した鯉登少尉の肩先は、確かに軍服が裂け血が滲んでいる。倒れてきた樹木の枝が掠ったのだろう。乙女のような反応をする少尉を無視して+++さんは傍にあった救急箱を手に取った。

「私は大丈夫と伯父様にすぐに伝えて」

侍女は少し戸惑ったものの言う通りに部屋を出て行った。+++さんは俺にも目配せをする。

「外で待っています」

「つ、月島!?」

二人きりになって焦る鯉登少尉を置いて、俺は部屋を出た。
しかしやはり気になるので、扉を僅かに開けて中を覗き見る。

細い指が、傷を消毒し、綿紗を当てた患部に真っ白な繃帯を丁寧に巻いていく。
互いに何も言わずにしばらくいたが、+++さんがようやく口を開いた。

「…あなたは伯父様の部下でしょう?軽はずみに怪我されては伯父様に迷惑がかかるわ」

「ムッ…」

「……………ごめんなさい」



ありがとう。



二人の横顔を窓から射す日の光が照らしている。言葉や声は柔らかだ。
傍目から見れば恋人同士のようも見えるだろう。とても(一人の男を巡って)争う関係には見えない。流れる妙な穏やかな空気になぜか戸惑う俺がここにいるのも確かだ。

「弱きを助けるは軍人としての大義です」

「…さすが薩摩隼人は殊勝ね」

「ただし、勘違いしないで頂きたい」

「…?」

「貴女を助けたのは大義の為だけではない。惚れたおなごんためじゃ」

「……っ!」

+++さんの顔は途端に真っ赤になって驚いた顔をする。ひどく動揺している。


「あなた頭おかしいんじゃないの?」


その言葉が動揺を隠すためか本心かはわからないが、これに関しては全面的に同意だ。俺は彼女の言葉に深く頷く。


「軍曹さん、覗きなんて悪趣味だわ」


ぎく、と肩が揺れる。バレていた。

「つ、つ、月島!お前、いつから!?!?」

「はぁ…初めからですが」

「キエェ!!」

+++さんよりも顔を真っ赤にして奇声を上げる鯉登少尉に呆れたように、+++さんは立ち上がると軍服を少尉の顔めがけてバサッと投げつけた。


「ぶっ」

「自惚れないで」


敵のくせに。


+++さんはひとしきり悪態をついたあと、髪をふわりと靡かせ颯爽と去っていた。
その顔が未だ真っ赤であるのを、俺は見逃さなかった。それはまだあどけない少女の顔で、昨夜見た「本性」の面影はなかった。

思えばまだ、男に惚れられていると分かっただけで赤面するようなあどけなさの残る女を、悪女に見立てる方が無理があったのだ。

軍服に顔を埋めて動かずまるで余韻に浸るような少尉をみしばし見つめてから、ちらと時計を見やる。外は騒がしい。鶴見中尉も心配しているかもしれない。

「鶴見中尉殿に報告してきます」

「?!き、きさん、なにを報告する気だ!」

「それは、…まあ様々……」

「キェェ!待て!!」


月島ァ!とけたたましい声が響き渡る。

結局は、なんだかんだどっちもどっちだ。
何がどっちもどっちかよく分からない。まぁ、分かりたくもないのだが。

空は抜けるような青空だ。
俺は心底呆れたため息と少しの好奇心を抱え、背後から追いかけてくる地響きのような足音を感じながら、鶴見中尉の元へと戻るのだった。