小説 | ナノ



「***、今日はもう帰れ」


尾形とは関わるな、という杉元さんの言葉の真意を聞くことができないまま、一週間ほど経った金曜日。
なかなか終わらない繁忙期のせいで帰りが遅い日々が続いていた。よほど酷い顔をしていたんだろう、疲れを隠せない私に気づいた月島さんが、私の頭をファイルで軽く叩いた。

時間は22時を指している。
こういう時はいくらやってもダメなのだ。

「すみません…お先に失礼します…」

「ああ、気をつけて帰れよ」

月島さんの厚意に甘えることにして、退勤することにした。


金曜ということもあり、賑わう街の喧騒を後目に足取りも重いままのろのろと帰路につく。疲れのせいかあまりお腹も空かない。明日は土曜日だけどきっと泥のように眠ってしまうだろう。そんなことをぼんやり考えながら、いつものコンビニにふらりと入った。

駐車場には酔っ払いのサラリーマン集団が賑やかに騒ぎ立てて次の店を決めているようだった。
その賑やかさになんだか余計疲れてしまって、肉まん一つだけ買ってコンビニを出た。

「そこの可愛いお姉さ〜ん」

コンビニを出てすぐ、先程からクダを巻いているサラリーマンの1人が私の前に立ちはだかった。
吐息は明らかに酒臭い。かなり酔っている。

無視をして通り過ぎようとしても、サラリーマンは執拗に私の前を遮る。

「この辺りで2軒目によさそうな店とか知らない?ここで飲むの初めてでさぁ」

「…知りません、どいてください」

「お姉さんも仕事帰り?もしよければ一緒にどう?」

あからさまに嫌悪を顔に出してぴしゃりと断っても、しつこく絡んでくる酔っ払いに届いている気配はない。頑なに脇を通り過ぎようとしても、前に立ちはだかってはついに私の腕を掴んだ。

「いいじゃん、金曜だし一緒に飲もうよ〜」

ほかの仲間はゲラゲラ笑ってただ見ているだけで特段止めようともしない。なかなか離されない腕がじんわりと痛む。男の人の力ってこんなに強いのか。

怖い。

「離してくださいっ」

振り払おうにも、出る声と言えば恐怖に苛まれた消え入りそうな声だけだ。

この街に引っ越してきて、こんな場面は数多く見てきたし酔っ払いやチンピラの存在にも慣れたつもりだった。
でもこういう時に意外と怖いのは普通のサラリーマンだったりするのだ。


「遊び慣れてない奴はこれだから困る」

ふと、低い声がする。
ふわっと鼻孔を擽る煙草の香り。

「っイッテェ!!」

折れるんじゃないかというくらい、ギチギチとねじ曲げられた腕の痛みに先程まで私の腕を掴んでいたサラリーマンが悶絶の声を上げる。


「よほど普段女から相手にされてないらしいな」



闇に溶け込みそうな黒い髪、黒い瞳、黒いスーツ。顎の傷。柔らかく香る香水の匂い。


尾形だった。


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