小説 | ナノ






(ヤクザな尾形に絡まれるお話)

!あくまでフィクションにおいてのヤクザ設定です。苦手な方はご注意ください!






ギリギリまで寝たいという目論みで職場の隣町に住むことに決めた私は周辺の家賃相場の高さに慄き、一ヶ月ほど悩み抜いた末ろくに下調べもしないまま1Kのアパートに飛びついた。
少々古いものの日当たりもよく、家賃も比較的安い。(風呂トイレ別だし近くにスーパーあるし)

これから始まる新しい街での生活。
まだ積み重なったままのダンボールもそこそこにカーテンのない窓の前に立って外を見る。
微かな不安と期待を抱えながら初めての街に思いを馳せた。




「昨日やっと引っ越し終わったんですよ〜」

金曜日に作ったデータ確認をしながら、隣席の上司の月島さんに告げた。
月島さんは黙々と資料の準備をしつつ、無表情のまま視線だけをこちらに向ける。

「わざわざ職場近くにか…すっかり社畜の鑑だな」

「違います、ギリギリまで寝てたいからです!それにこの辺で7万以下って安いほうじゃないですか?」

「…確かに、よく見つけたな」

「K町って結構栄えてるんですよね。スーパーも近いし」

呑気に言う私の隣で、普段無表情な月島さんの表情が驚きに変わり、そのまま固まった。

「K町って…一駅隣の?」

「そうですよ。頑張れば歩ける距離ですし」

「………………」

「なんですかその顔」

月島さんは眉間にしわを寄せて、なんとも言えない顔をしている。
そして暫しの沈黙のあと、とても言いにくそうに口を開いた。

「…K町って日本三大歓楽街の一つだぞ」

「へ?」

「警察沙汰は日常茶飯事。治安ランキングで常にワースト上位だ」

「ええっ…もっと早く言ってくださいよぉ」

割と長くこの地域にいながらK町に降り立ったことのなかった私は、不安を煽るような言葉を聞いて情けなく声を上げる。
知るか、と一蹴する月島さんは無責任だと思う。いや私が悪いんだけど。


「…まぁ…怪しいところに近づかなければ大丈夫だろう。…多分」

なんとも言えない感情の矛先をどこに向けることもできず、がっくりとデスクにうな垂れた。


仕事を片付け終えた頃にはすでに21時を過ぎていた。
電車に飛び乗り、一駅分揺られながら月島さんの言葉をぼんやり思い出す。

名前だけなんとなく知っていたK町は、日本でも指折りの眠らない歓楽街だった。
安い居酒屋が多いため学生やサラリーマンも多いが、キャバクラやホストクラブ、怪しげなぼったくり店も多い。
深夜になると街には黒服のオニイサンやどこの国の人かわからない外国人、客引きで溢れ、車道には黒塗りの高級車がずらっと並んでいる。朝方は酔いつぶれて誰かしらが倒れている。喧嘩や小競り合いも日常茶飯事で警察も大忙し。

私が昼休みに調べたことも付け加えて、だいたいこんな感じの街らしい。


K町に着くなり、急に不安が押し寄せた。改札を出ると、飲みに来たと思しきサラリーマンや学生で賑わいすでに夜の街の様相を呈していた。

繁華街を迂回する道もあるが、そちらは人通りが少なく街灯もないため夜道は暗い。できるだけ平静を装って繁華街の真ん中を足早に歩いた。街は賑やかだ。色んな所から音楽と下世話な笑い声、客引きの声がする。

さすがにこんな時間から自炊する気力もなくて(冷蔵庫もないし)、繁華街を少し抜けたところにあるコンビニで出来合いの弁当を買うことにした。
駐車場には、明らかにチンピラ風の男たちがタバコ片手に屯している。
そこまで遅い時間でもないというのに、すでに潰れかけた酔っぱらいまでいる始末だ。

「(上京したての学生じゃあるまいし…)」

私は何をこんなにビクビクしているのだろう。
月島さんも言っていた、危ないところに近づかなければ多分大丈夫だって。
この街を選んだのは自分だし、しばらく生活するのだから慣れなければ。

心の中で自分に言い聞かせながらコンビニを出たところでふと黒服の男と入れ違う。


深い黒の瞳。掻き上げた髪。頬の傷。

端正だけど冷たいその風貌。
黒いスーツのその体から、ふわっと香るタバコと香水の香り。


「(あ、この人)」


裏社会の人だ。
瞬時にそう思った。


何となく目が離せなくて、あまりにも凝視しすぎたのかすれ違いざまに目が合った。
慌てて態とらしく顔を逸らす。まだこちらを見ているような気がした。

「(こ、こわ…)」

私はまるで蛇に睨まれたカエルのように足早にコンビニを去った。
後ろから突き刺さる視線を感じる。
失礼だっただろうか、因縁つけられたらどうしよう。

こんなんで本当に大丈夫だろうか…
昼間よりさらに大きな不安を抱えながら、私は全速力で新居のアパートに向かうのだった。


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