曰く、クリスマスも一緒に過ごせなかったのだから年越しは一緒に居られると思った。
「――……その場で奴を張り倒さなかった僕を誰か褒めてほしい」
「……がんばったな」
「ありがとうシンジ、棒読みでなかったらもっと嬉しかったよ」
 旧年の友人はぐいっと大ジョッキのビールを煽り、片手をあげて追加を頼んでいる。店に入ってから二時間弱。その間に彼が空けた量は、ビールだけで恐らく数リットルはいっている。学生時代からザルだワクだと有名だったが、それにしても尋常ではない量だった。
「いくらなんでも呑み過ぎ……なんでもない」
 並々ならない憎しみを込めた目でねめつけられ、シンジは口を噤む。この、と悪態をつくのは、本来この憎しみを向けられるべき相手。シゲルがここまで荒れる原因を作った腐れ縁だ。悪気なく空気が読めずデリカシーのないあの男は、毎度のことながらシゲルの逆鱗に触れた癖にその怒りの矛先を向けられずに済んでいる。割りを食う己の身にもなれとシンジは、ノンアルコールを一気に喉に押し込んだ。薄いビールもどきの味が物悲しい。
「僕の職業を知った上で、ああいう発言が出てくる辺りで頭がどうかしているとしか思えないな。それにシンジ知ってるかい、今年のクリスマスは土曜だったんだよ、土曜」
「そうだな、土曜だったな」
「そうだよ! 休日なんだよ! 僕は前々から宮司に拝み倒して休暇届けを出してあったっていうのに、急な出張が入ったからってすっぽかしたのはサトシの方だろう。なんで僕の都合だけがつかなかったみたいな言い方をされなくちゃいけないんだ……!」
 がん、と机に叩きつけられたジョッキの底が悲鳴を上げた。いつも以上に荒れていると視線が遠くに逃げるのは自分のせいではない。シゲルのせいでもないが。
「あんまりにも腹が立って、電話口の爽やかな「そっか、仕事なら仕方ないよな。がんばれよ」さえ可愛さ余って憎さ千倍だったもんだから、昨日はいきなり押し掛けてベッド占領してやった。今日一日サトシなんて不眠に悩めばいいんだよ、ざまぁみろばーか!」
「それはあんまり意味がないと思うぞ……」
 あの男は寝るとなったらどこでも、それこそ硬い岩盤の上でも平気で熟睡できる男である。そもそもサトシはベッドでないと眠れないような、そんな繊細な神経をしていない。そんなことは当然シゲルも承知の上だろうが、なにか意趣返しをしないと気が済まなかったのだろうな、ということだけが察せられた。
 可哀想なのは一晩中我慢を強いられたことか、とシンジがサトシの境遇を憐れんでいる間にも、シゲルの勢いは止まらない。
「大晦日から三箇日が一番忙しいことくらい、わかりそうなものだろ! ねえシンジ、そうだろ、正月に暇を持て余してる神職がいたらそれはただのコスプレ馬鹿だこのやろー!」
 言葉遣いが一々幼いのは、おそらくわざとだ。酒に酔えないというのはこういう時に不便だなと、思わず顔を顰める。
 酒に強い。それはつまり酒に任せて己を爆発させられないということで。
「――おい、」
 ありったけの気遣いを込めて呼びかければ、ぴくりと片眉が跳ねあがるのがその証拠だ。酔えないから、こうして旧知の人間を捕まえて愚痴を吐く。それにはシゲルの職を知っていて、車を出せて、なおかつすぐに呼び出せる場所に住む人間がいい。それが偶々シンジだった。それだけのことなのだろうが、どれだけ杯を重ねても正体を失くせない自分が唯一弱気になれる、そんな相手を求めているということでもある。
 そうして彼は、彼の恋人と揉め事を起こす度に自分を引っ張りこむのだ。もう無理かもしれないと弱気になる心を、共通の知人であるシンジが慰めるのを待っている。
 体よく使われている己も大概人が良いのか、諦めが悪いのか。シンジは心中に溜め息を落として、素面のシゲルを見やった。これに焦がれていたのは随分と前、大学も前半の頃の話だが、間違いなくシゲルはその頃のシンジの気持ちを知っていて、おそらく、今でもシンジが心の片隅に留めている思いの欠片に気づいているからこうして利用するのだろう。
 吹っ切る切っ掛けでもあればいいのだろうが、生憎あれ以来恋愛沙汰はさっぱりだ。こうして酒に付き合うのが嫌でない以上、付き合ってやるのが義理というものだろうと思う。
「あいつに悪気がないのは、お前が一番知っているだろ」
 だから許してやれとは言わなかった。言わずとも、彼は知っている。知っているけれど、誰かに言って欲しい。少しだけ背中を押す言葉を欲しているのだ。
「――なんだか、いつも僕ばかり妥協しているような気がする。ずるいな、サトシは」
 僅かに酒精の混じった息を吐いて、シゲルが笑った。付き合わせてごめんと謝罪が続く。
「年越し、うちの神社にお参りにおいで。修祓と御札くらいはサービスするよ」
「時間が合えば行こう」
「あの馬鹿は置いてきてくれよ。君ひとりだけだからね、招くのは」
 それが精一杯のシゲルなりの償いなのだと、気づいてしまう自分のいじらしさに苦笑した。






泡沫のゆめ



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