何に代えても行かなければ――それしか、考えていなかった。珍しく、本当に珍しく柔らかい文面での『一人で暇なんだ。見舞いくらいきてくれたっていいだろ?』というメールに、これはたとえ雲の中が大嵐だって行かなければならないと思った。たったの一行に何を振り回されているんだかと赤髪のライバルは鼻で笑うだろうが、そうだとしてもゴールドはだからどうしたと胸を張りかえして結局トキワまで飛んだに違いないのだ。
「無茶させて、ごめんな」
マスターでさえ目を見張るほどの美しい大翼を広げる鳳の首筋を、労るようにそっと撫でる。ひゅるる、と澄んだ泣き声が返答だった。気にするなと言われているようだ。
通常、ジョウトからカントーに移動する際にはリニア、飛行機、船、そしてトージョウの滝を越えるルートが推奨されている。ポケモンで直接飛び越えようにも、シロガネ山に連なる山脈を飛ぶのは容易なことではない。どうしても一度セキエイリーグに立ち寄り体力を回復させる必要があるために、セキエイを中継地点として使える一部のトレーナー以外は大人しくトージョウの滝を経由するか、公共機関を利用するのが手っ取り早い方法だ。
しかし。今回ばかりはそんなことを考えている暇もなかったので。
「おまえじゃなかったら無理な距離だなあ……」
伝説に語り継がれる獣。空の守神。スズの塔で出会って以来奇妙な縁で結ばれているホウオウの翼ならば、ジョウトとカントーを一通で飛ぶことも不可能ではなかった。滅多なことではしない無茶振りをしてしまったあたり、どれだけ自分が焦っているのかがわかってしまう。赤くなる顔を誤魔化せなくてどうにも照れくさかった。クリスが邪推するような感情を抱いているわけではないが、尊敬する先輩であり、目標である人に変わりはないのだし。――それにしたって、あの姉は弟に何を期待しているのかと思う。これでも長男なのにもし思うとおりのことになってしまったらどうするのか。
「――……いや、ありえないけど!」
思わず脳裏によぎった、あれやこれやのいかがわしい妄想を振り払う。それに伴って、地下水道で垣間見た痛々しい姿も思い起こされた。青白い顔、水に濡れて肌に張り付いた衣服、ぼんやりとした瞳。不謹慎だ、とても失礼だと思うのに、彼を見つけた瞬間、変な風に胸が躍ったのは――勘違いなんかではなかったと思う。それもこれも無駄にあの人がイケメンだから悪いんだ、と、今頃ベッドの上で暇を持て余しているのだろう先輩に責任を擦りつけた。頭良し、顔良し、運動神経良し。まだ十代なのに立派にジムリーダー業をこなして、神は贔屓するものに対して惜しみなく与えるんだなあと呆気にとられてしまうようなハイスペックぶり。体つきは華奢と言うにはがっしりしているけれど、細身と例えて問題ないような腰つきだったり、首周りだったり。そのくせ身長は高かったり。なんだかもう、なんだかなあ――と言う他ないような、憧れの人。
口の悪さや性格は、「残念」の一言なのだけれど。
親しく付き合ううちに、そんなところも含めて彼で、そんなところがないと彼ではないのだと思うようになる。ぜんぶひっくるめてグリーンという人。尊敬する人だから、多少無茶な要求だって呑みこんでしまう。こんなんだからクリスに誤解されるんだ。でも、それだけ憧れていることは否定できない。
「屋上に直接降りられるか?」
考えれば考えただけ深みにはまっていきそうな「好意」と名付けた感情を無理矢理黙らせて、視界に入ってきたトキワ公立病院に意識を集中させる。屋上に設けられた飛行ポケモンの発着場を指差せば、ホウオウは大きく翼を動かして肯定した。
――病室に駆け寄ってまず言うべきなのは謝罪か。それとも。
語り部は恋心