昔々、ある村にひとりの神様と狐がいた。狐は神様を兄と慕い、母代わりの霊狐を連れ、森に住んでいた。神様の神使だった狛犬と眷族の霊狐に囲まれ、狐は暮らしていた。それは何年も変わらない、村の光景だった。






「――……それがさ、百年くらい前に都から貴族が来たんだ。そう、今のレッドみたいに突然。なんか知らないけど、ややこしい家の事情から逃げてきたらしくて、あちこちふらふらしてる途中に、村に来た」
「その人があの手記、書いた人なのか」
「おう。字がめちゃくちゃ上手くてさあ」
 兄ちゃんがよく落ち込んでたな、と、グリーンが声を漏らして笑った。
「そのまま村にいつくのかと思ったら、またどっか行くって言いだして。兄ちゃん、そいつにべた惚れだったから、後追っかけて、土地放り出して、そのまま帰ってこなくなった。後はよろしくって言い残して出て行ったから、俺はそのまま神社に住み着いた」
 名前はそのときにもらったのだとグリーンは言う。さて、俺はどっちに嫉妬するべきなんだろう。都から来た過去の人はどうやら相当グリーンに懐かれていたようで、狐との記述はたくさんある。それとは逆に、地祇との記述はおそろしく少ない。だからといって、地祇がかすんで見えることもない。手記の最後は、地祇の章で締められている。私には応えられない、というたったの一言しかない記述だ。
 グリーンの名前は、元はその貴族のものだったらしい。そして、俺は。
「前の土地神」
「う、」
「レッド、って、名前だったんだね」
 飛び出したままだったのグリーンの耳が、下を向いた。
「読んだときにはちょっと信じられなかったけど」
 グリーンが兄と慕う、かつてウインディを神使として村を守っていた神の名前は、レッド。俺と同じ名前。グリーンが無条件に俺を信用してくれたのは、もしかしたら――と勘ぐってしまうには、少し出来過ぎた符号だった。都から来たというのも、前のグリーンを思い出してしまう切っ掛けになる。どちらの代わりに見られていたのかなんて本人に訊かないとわからないことだが、拗ねてもやもやするには色々と十分過ぎたのだ。
「なんで言わなかったの」
 あらかじめ知っていたら、こんなにも複雑な気持ちになんてならなかっただろうに。
「グリーン」
「いや、だって、言ったらレッド、兄ちゃん探しに行っちゃうだろ」
 そんなの嫌だと狐は涙声で言った。――ちょっと、待って。なにか誤解していないか。この狐。俺が奉仕しているのはグリーン自身なんだから、いなくなった前任者のことなんてどうでもいいのに。
「――あ、そうか」
グリーンは自分が神格を引き継いだことを自覚していないんだから、俺が地祇を探しに行ってしまうと思ったのか。そして唯一、前の地祇の行方を知る自分が口を閉ざせば、俺は村にいるしかないと思った。そういう解釈で、いいのだろうか。
つまり、グリーンは俺に地祇を探してほしくなかったらしい。少し自惚れ過ぎかな。俺は、思っていた以上にグリーンに好意を持たれているという解釈で大丈夫なんだろうか。
「心配しなくても、僕はここにいるよ」
「だってお前、ここの神主だし」
「神主だから、だよ。というか、結局グリーンは僕とどっちを重ねてたの。前のグリーン? それとも、前のレッド?」
「どっちも、だけど。でも、重ねてねえからな! 昔思い出して、ちょっと懐かしくなったりしただけだ! そもそも顔あんまり似てねえし!」
「僕が言いたいのは顔の問題じゃないんだけどね」
 あんまり、ってことは少しだけでも似ているのかと引っ掛かったけど、追求しないほうがいいだろう。グリーンは随分と慌てていて、俺に抱きしめられながらでもばたばたと両腕を振り回しているから。否定したくてたまらないらしい。ここまでされちゃあ、ね。
「折れるしかないか……」
「レッド?」
 不安そうな表情を隠しもせずに俺の顔を覗き込もうとするグリーンに、俺は折れるしかないと思う。グリーンが嘘のつけない狐だというのは、もう、わかりきったことだし。俺を通じて過去を回想していただけなら、そこは男として、度量の広さを見せるべきだ。
「いいよ、わかった。俺は俺としてグリーンと付き合ってきた。これでいい?」
「あたり前だ、馬鹿レッド!」
 嬉し泣きに目を潤ませた狐の頭を抱いて、俺は笑った。

「これからもよろしく、僕のお狐様」






 さりげなく所有格をつけたことで後にこんがりキュウコンに焦がされたのは、生涯かけての秘密として墓場まで持っていくことにしよう。




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