――神格は高く、公明正大。その性は清廉にして、深緑を愛し、炎を鎮める神。



「……なに読んでんだ?」
 俺が読み上げた一節に、肩口にもたれかかって俺の手元を覗きこんでいたグリーンは耳を上下させた。尻尾がぱたぱたと床を叩いている。ご機嫌なしるしだ。
「この村の古文書だよ。いなくなった地祇について調べてるんだ」
「ふうん。それ、まだ残ってたのか」
「ここの村人は真面目だね」
 冗談めかしていえばグリーンは納得したのか、すぐに興味をなくしたようだった。ごろりとその場に丸くなり、自分の尻尾を巻き込むようにして寝がえりを打っている。眠る体勢の彼に、音もなく一匹の狐が寄り添った。金毛の九尾の狐だ。彼女はこちらをちらりと一瞥し、たっぷりとした自分の尻尾や体でグリーンを覆い隠してしまう。
「……心配しなくても、とって食いやしないよ」
 しかし過保護な彼の神使は、俺の言葉なんて聞いてくれない。九尾の狐だが霊狐の類である彼女は人に化けるほどの力を発揮しようとせず、地祇として神格を帯びたグリーンの傍近くに控えることを己の使命としているのだ。もう一匹の眷族である狛犬よりも、ある意味グリーンに対する溺愛っぷりはすさまじいものがある。
「君たちは本当にグリーンが好きだな、」
 俺の言葉に彼女は、当たり前だろうと言わんばかりに鳴いた。これ以上言うと怒られそうだ。ちょっと肩を竦めてから、大人しく古文書の解読に戻る。いや、古文書というよりも、誰かの手記、と言うべきか。ちょっと見ないくらい見事な漢文体で書かれたそれは、少なくとも村の者が書いたものではないのだとヒビキは苦笑していたから。たしかにこんな硬い文書、今時役人でも書かない。訓読するように書かれていないってどういうことだ。
 神祇省でみっちり師匠にしこまれたおかげで解読は一応不可能ではないが、少なくとも一定以上の教養を受けていない人間にこれは書けないだろう。村での伝達手段は万葉仮名で、漢文ではない。と、くれば、これを書いたのは、ある程度の教養をもった何某の貴族である可能性が高い。百二十年前のことについてわかるのはそれくらいだ。
「レッドぉ……」
「――寝ぼけてるし」
 人が歴史の謎を解き明かそうとしているのに、呑気に眠りこけているお狐様はむにゃむにゃと寝言をいいながら神使の体に頬を押し付けて幸せそうにしている。毎日、楽しそうだなあ。まあ、俺も楽しいけどさ。都にいたときには考えもしなかった穏やかで騒がしく、楽しい生活だけども。見た目からは想像もできないほど純粋で子供っぽいグリーンは毎日俺に構い構われながら嬉しそうにしているから、こっちまで引きずられてしまう。
「グリーン」
「んぅ、」
 ぴくぴくと反応する耳にかかった髪を払ってやろうと手を伸ばすと、目を閉じていたはずの神使が唸った。そして、ぴしりと尻尾で俺の手を打つ。これ、は、心にくる、なあ。
「そんなに警戒しないでくれないか、キュウコン」
 ウインディはそうでもないのに、何故か彼女は俺ばかり嫌っているようだ。おかしいな、ヒビキやコトネには愛想をするし、グリーンが構っている半妖のカナデなんかにも優しいのに。なんで俺ばっかり意地悪されてるんだ。役人か、役人だからなのか。
「――……俺はグリーンに害を与えたりしない。君に誓ったっていい」
 それは彼が俺の仕えるべき地祇であることも含め、こんなに懐いてくれる相手を無下にしたくないからでもある。こんな無害なものを苛めたら逆に罪悪感で潰されそうだ。村からも恨まれる。左遷された今、それはとっても困るわけで。だからちょっと触るくらい、許してくれたっていいだろう。
 キュウコンはしぶしぶといった感じに、逆立てたままだった尻尾を下ろした。怖い。けど、彼女の気まぐれが発動する前にそっとグリーンの髪を横に払う。
「ん、れっど」
 投げ出されたままの手が動き、何かを探すような仕草をする。内側に握りこむような仕草に、思わず手を握り返したくなった。でも、うん、これ以上やるとキュウコンの炎で消し炭にされそうだ。ああ、くそ、もうちょっと真面目に修行しておくんだったなあ。そうすれば神使の神通力にこんなにもびくびくしなくて済んだ、かもしれないし。
「キュウコン、」
 神使に情けない声で御伺いを立てると、彼女は深く、それはもう海の底に潜ってしまいそうなほど深く、鼻息をもらした。そしてくいっと顎をしゃくる。どうやら握ってもいいらしい。早速俺は、指が動いているてのひらをつかんで握り返した。
「僕はここにいるよ、グリーン」
 途端、へらりと笑うグリーンがどんなことを考えているのか、彼の夢の中にもぐってみたいものだ。








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