「なあ、お前。俺のことが見えるのか?」


 それは唐突なまでの問いかけだった。思わず俺は手に持っていた風呂敷を落とし、目を見開く。今日から住まうはずの、古びた社。風雨にさらされながらも質感を失っていないその屋根の上に、それはいた。……なに、あれ。なんで尻尾と耳が生えてるんだ。しかもあれは、俺の見間違いでなければ――。
「狐……?」
「お、あたり! 久しぶりだなあ、他所の目の持ち主に会うのは!」
 にかっと笑う浅葱袴に狩衣姿の青年の感情に合わせてか、彼の頭のてっぺんから飛び出した二つの白い耳が揺れた。狐だ。あれは間違いなく狐だ。その上、ふさりとした銀色の尻尾も左右に揺れている。機嫌、良さそうだな。こっちは混乱しているっていうのに。
「お前、神主か? 長いことこの村にいるけど、外から神主がきたのは初めてだな」
「それが問題だから僕が派遣されたんだけどね」
「ふぅん」
 まぁいいやと狐の青年は言って、また尻尾を揺らした。癖なのかな。それよりも気になるのは彼の素性なんだけど。一応神域であるはずの神社の境内に、どうみても化け狐の彼がいる。妖怪に自由に出入りされているとなると神社と社を守る神、ひいては(就任したてとはいえ)神主の俺の責任だ。長い間ここにいる、と言っていたから、近くの森の狐が変に力を持って化けてしまったんだろう。せっかく友好的に接してくれているんだ、無理やり祓うんじゃなく、ここは穏便に退却して頂くとしようか。
 などと上から目線で見ていたのがまずかったのだと思う。
「僕はレッド。神祇省のレッド」
「レッド、ね。覚えた。俺はクオのグリーン。まあ、もらった名前だけど」
 嬉しそうなしたり顔で頷くと同時にぴくぴくする耳が、なんともいえず可愛いなんて思ったことは不覚としても、俺は彼の名乗りにひくひくと頬が引き攣るのを感じた。くお。クオ。――まさか、九尾、で、くお?
「……尻尾、一本しかないのに?」
「うるせぇ! これはわざとだっての! ぜんぶ化けると狐だって気づいてもらえねぇし、九本も出してると邪魔なんだよっ」
 ぎゃんぎゃんと狐なのに犬みたいに吠える青年を見やりながら、急に眩暈を感じる。なんだって? 九尾? ちょっと待って、就任初日からしていきなり相手が強すぎるだろう。国を傾けるような力を持つものも稀にだが現れる九尾の一族と、なんでいきなり鉢合わせしなくちゃいけないんだ。そんなに日ごろの行いは悪くなかったはずなのに。
 俺は速攻で決めた。祓うの、止めよう。いきものみんななかよし。ともだち。よし。
「グリーンはここに住んでるの?」
「おう。あとは仲間が少しな。レッドは? ひとり?」
「親兄弟は都にいるよ」
「そっか。やっぱ人間には家族がいるもんなんだな」
 妙に感慨深げな様子なのは彼の顔が綺麗だから様になってはいるけど、うん、ふさふさ揺れる尻尾とぴくぴくする耳ですべてが台無しと言うか。格好いい、綺麗、と言う前に、可愛い、が立ちふさがってしまう現状これ如何に。しかし害のなさそうな九尾だ。人を騙すことが天才的に上手な狐ということを差っぴいても、彼からは害が感じられない。それどころか、神格を帯びているような気もする。長く生き過ぎて妖怪よりも神に近くなったのか? それはそれでまたややこしい話だ。確かここの地祇は稲荷の系列ではなかったはずだから、神使として彼を迎えることもできない。下手に縄張りが被らないといいけど。
「グリーン、」
「うあ?」
「ここの社の神を知らないか? さっきから君の気配しか感じられない」
「いねえよ」
「……なんだって?」
「神はいない。もうずっと前に出てったきり、戻ってきてねぇんだ」
 だからお前が来たの不思議なんだよなとグリーンが首を傾げるのを見ながら、本日二度目の眩暈。とんでもないところに左遷された俺は、何か長官に恨まれるようなことをしでかしていたのだろうか。
「もしかして俺の最初の仕事、神様探しなのか……」
「探しても無駄だと思うぜ? 百年は帰ってきてねえし」
「これ以上追い打ちをかけないでくれ、グリーン」
 また反対側にこてんと首を傾げる狐。ああ、目の前が真っ暗になりそうだ。
 まず自分の仕える神様を探すことが神主の最初の業務です、なんて、一体誰が想像できるもんか。






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