突然だが俺はどうやらタイムスリップなるものを体験しているらしい。らしい、というのは、どうやらここが正しい意味の過去ではなく、いくつか存在しているだろう「可能性としての過去」だから、だ。たとえば「俺」にあたる立場の子供が男だったり、ジムリーダーにならずにそのまま研究者としてナナカマド博士に師事していたりと、細かいことが積み重なって大きな違いを生んでいた。「オーキドの孫」で「マサラタウン出身のトレーナー」である彼の名前はシゲル。現在、俺が居候している先の家主でもある。 「しっかし、年頃にしては随分と綺麗だな……」 朝早くから博士に呼び出されたと朝食もとらずに家を出て行ってしまったシゲルを見送り、はからずも放置された状態の俺はとりあえず家のあちこちを見て回ることにした。まだ子供だというのにシゲルが一人暮らしなのは、どうやらシゲルが元トレーナーであり手持ちのポケモンが多くいることと関係があるようだ。確かに、定期的に手入れをしようと思うとどうしても庭付きの一戸建てが望ましい。そうそう研究所の敷地が使えるわけでもなく、子供の身で一戸建ては苦しいものがあるからマンションの一室で我慢しているのだろう。しかしあの年齢で一人暮らしをつつがなく過ごしているシゲルはどれだけ大人びているのだろうか。フーテンの某幼馴染に見習わせたいくらいだ。 ロフトとゲストルーム付きのマンションは、なんだか家賃も高そうだ。まあ郊外だし、そんな心配するほどでもないのかもしれないけれど。祖父さんの仕送りもあるだろうし、と俺はあたりをつけて、こざっぱりと片付けられている押入れの中から掃除機を取り出した。居候の上ぷー太郎では申し訳ないから、せめて家事炊事くらいはしよう。ちなみにシゲルには提案する前に逃げられてしまったので、事後承諾だ。もし嫌がられたら落ち込む。 「こら、セレビィ。邪魔するな。あとで遊んでやるから」 ホルスターに下がっているボールから勝手に飛び出てきた、鮮やかな新緑色のポケモンが俺のまわりにまとわりつく。ごめんね、と言わんばかりに情けない顔をしているから、怒っていないということを苦笑で伝えた。ナナカマド博士には伝えたが、俺がこっちに転送されてしまった要因の一つは間違いなくこいつだ。後輩から譲り受けた大事なポケモンだが、厄介なことにこいつは悪戯好き、更に時渡りという面倒な能力を持っている。一度、時渡りに巻き込まれた後輩たちが別の未来に飛ばされて大変だったことがあるのだ。セレビィは時渡りをする度にエネルギーを消費するから、次の時渡りまでブランクがある。つまり充電期間を必要とする。後輩のときは一週間だったから、今回もそんなところだろう。 「学会の発表が来月で助かった、」 自分で論文を書くことは少ない俺でも、たまには研究発表をしなければならないこともある。今は進化育成論と局地進化論について調べている最中なのだが、こっちでもできないことはないだろう。幸いにも白衣のポケットにメモリを入れっぱなしで、端末さえあれば論文なんてものはどこでだって書けるものだ。書きたくないのが本音だけれど。 このところ働き詰めだったから、こうしてのんびり家事をしているととても落ち着く。 元々家事は嫌いではない。論文と比べれば一発で家事を選ぶくらいには好きだ。料理なんてするのも何週間ぶりだから、つい凝ったものが作りたくなってしまう。朝昼兼用でサラダとトーストだけだったし、夜はなにか豪勢にしたい。 「夕飯どうするかなー」 シゲルが帰ってきたら聞いてみようか。それとも今から電話でもしてみようか。緊急連絡用に、と渡された電話番号のメモをそっと握る。こんなにも構いたくなるのは、やっぱり彼が「俺」だからかもしれない。俺はもう吹っ切れたけれど、彼はまだ色々なことに悩んでいるようだったから、つい手を出したくなる。昔の俺はそれこそガキで、ジムリーダーになってようやく半人前くらいになれたものだ。懐かしい。あのころは若かった。否、今でも十分若いぞ、俺は。二十歳なってないし。(誕生日もうすぐだけど、) トキワジムリーダーの周りにはそれこそ沢山の先達がいて、そのあとで俺の後を追いかけてきた後輩ができて、それが俺を成長させてくれた。けれどどうやらシゲルは大人の中で大人として振る舞うことばかり上手になっているようだから少し心配だ。 「なあセレビィ、俺もあんなんだったか?」 長く伸ばした自慢の髪で遊んでいるセレビィに声をかければ、ご機嫌な様子でくるくると宙を踊る。セレビィを譲られたのはつい最近のことだからこいつが知るわけもないのだが、本当に俺を知っている手持ちに聞くのは気恥ずかしい。幼馴染に無理矢理つけられた髪飾りを手にとって涼やかな音を楽しみながら、ぼんやりと夕飯の献立を考えた。 そうしていると、ピンポンと鳴るインターホン。ほどなくして俺が鍵を開ける前に扉が開いた。セレビィをボールに戻してそっと覗きこんでみれば、なにやら困った顔をしたシゲルが突っ立っていた。思ったよりも帰りが早いが忘れ物でもしたのか? 疑問に思って首を傾げているとシゲルが感づいたらしい。賢い子供だと思う。 「博士が午後休だと言って休みを……。夕方にはまた研究所に戻るんですが」 「へ? じゃあ夕飯いらねぇの?」 せっかく手の込んだものを作ろうと思っていたのに残念だ。シゲルに責任がないのは解っているのになんだかしょげてしまう。しょんぼり。って、乙女か。俺。 「夕飯までには、帰れると思います。ただ今から少し時間が空いてしまって」 「あ、それなら買い物行こうぜ。献立まだ考えてないんだよな」 「グリーンさんにそこまでして頂くわけにはいきません。僕の実験に巻き込んでしまったんだし、」 遠慮しているのか、玄関先でまごまごしながら動こうとしないシゲルは微笑ましかった。残り一週間もあるんだからゆっくり信頼関係を築いていくとしようか。 ああそうだ、忘れてた。 「流れ切ってごめんな。――おかえり」 シゲルはまるでゾロアに化かされたような顔をしてから、小さくはにかむ。 「ただいま」 ――可愛い返事に嬉しくなって、思いっきり抱きついたら逃げられてしまった。残念。 |