ばたばたと煩い目覚まし時計をシーツに投げつけて、かすむ視界を無理矢理こじあけた。示された時刻は八時半。休日の朝としてはまずまずの起床時間だと言えなくもない。が。 「――……八時半?」 早すぎるだろ、おい。昨日目覚ましをセットしたときには、試合中に寝ないようにと遅めにタイマーをセットしたはずなのに。寝惚けもいいところだ。確かに今日は、弓道部に所属する幼馴染の大事な公式試合の日である。なんの試合かといえば、今でも信じられないことに県大会の決勝だ。中学三年から弓道を始めたレッドは無駄に良好な視力を活かし、めきめきと上達しやがったのだ。今は一年ながらに主力選手らしく、早くも次の部長候補に名前が挙がっている。 俺は内心、嬉しい気持ち八割、悔しい気持ちが二割でその話を聞いた。幼馴染が認められて嬉しい。そのくせ素直になれない俺は、ひどく性格が曲がっていると自分で思う。 「あいつ、知ってるよなあ、」 じゃなかったら、絶対に応援きて、と笑うはずがない。楽しそうにしていた表情から察するに、あれは俺の葛藤なんか全部お見通しだ。売り言葉に買い言葉で返事をしてしまった俺も、素直になれないだけでレッドのことを認めてはいるのだ。大きく深呼吸をして、寝起きでぐしゃぐしゃの頭の中を整理しようと、髪を手櫛で整える。模試や実力テストで俺が好成績を出す度にぐりぐりと乱暴に頭を撫で回してくるほっそりとした指は、今ごろ慣れ親しんだ愛弓を握っている頃だろう。 「――……止めた。二度寝しよう」 朝早くからリハーサルを兼ねた最終調整に忙しい幼馴染とは対照的に、試合そのものは午後から始まる。応援する側はもう少し朝寝したって大丈夫なんだから、二度寝しよう。眠ってすっきりした頭で行った方がいいよな。もう一度安眠の世界へようこそ俺、と、いい具合にあったかいかけ布団に潜りこんだ瞬間、枕元の携帯が鳴った。 表示名はレッド。着信音はレッド専用、ジョーズのテーマだ。 「はよ、レッド」 「おはようグリーン、寝起き?」 「ばっちり寝起きだよ。今度はなんだ。弁当か、筆箱か。それともお前、まさか道着忘れたとか言わないよな」 「だいじょうぶ、今日は忘れ物してない」 忘れ物の達人のことだからまた何か忘れたのかと案じた俺の心配に反して、レッドはくつりと喉を鳴らした。今日は、の言葉がとてつもなく不穏だ。 「なんかあったの。お前、もう会場入りしてんだろ」 「グリーン、寝起きってことは暇だよな」 「そりゃあ、な。今日は予定入れてねえし」 「応援よろしく」 嬉しそうにレッドは笑い声をあげた。おやこれはひょっとすると、と、俺はあるひとつの予感に襲われた。たぶんそうだ。思い返してみれば、こいつは今までこういう状況にぶつかったことがない。 「今から来てよ、二度寝したら遅刻するだろ」 「しねえよ、馬鹿」 答えながらも、俺はあったかい布団から体を起こした。まだ袖を通す予定のなかった制服をクローゼットから引っ張り出し、電話切るなよと念を押してイヤホンマイクを携帯に繋げ、ストラップの止め具に引っかけて首から下げる。りんりんと音を鳴らすのは、お守り代わりのトンボ玉と鈴の組み紐だ。制服で行けば学校の団体席に通してもらえるんだから、学生って色々便利だよな。 「レッド、お前、今日は時計つけてる?」 唐突な俺の問いかけに、レッドは不思議そうにしながらも頷いた。そうか、そりゃいい。 「知ってるか、今日のうお座のラッキーカラー、赤なんだってさ。昨日姉さんが言ってた」 「ナナ姉が言うなら当るかも」 いつもレッドが腕にしている赤いデジタル時計を思いだしていると、レッドはほっとしたように息を吐いている。ばたばたと準備をする俺とは違って、余裕を持ち始めているらしい。一階に下りて、くすくす微笑んでいる姉さんに人差し指で内緒話の仕草をした。心得たとばかりに、手際よくバスケットに朝飯を詰め込んでくれる姉さんには感謝の言葉しかない。顔を洗ったり歯を磨いたり、朝の用意をしながらも電話はずっと通じたままだ。 「あのな、レッド。お前は今までのらくら生きてきて、それなりに学生生活修めてきて」 「――うん」 「不安になるのは、初めてだろうけど」 私立大学付属の中学だったから、エスカレーターで進学した。文系特化だから理数に関して初っ端から諦めていたし、語学は天性のものなのかあっという間に伸びた。そんなレッドは伝統ある弓道部で一年にして主力選手で、めきめき上達しやがった俺の幼馴染だ。 「優勝してもしなくても、俺がお前の分まで、がんばったお前のこと褒めてやるから。だからあんま、気負わなくていい」 いつか、俺が成績優良の優等生という重圧に負けそうになっていた時、レッドは同じことを言った。がんばった俺を俺が褒められないんなら、代わりにレッドが褒めるのだと。今でもあいつは有言実行とばかりに俺の頭をぐりぐりと撫で回す。順番からして、今度は俺がこう言ってやる番だろう。 「なら――、優勝する用意して、待ってる」 「ああ、すぐに行ってやるよ」 それきり切れた電話回線の向こうで、たぶん幼馴染は弓に触れているんだろう。さっさと会場に行って、拳を頭に突きつけてやらねばなるまい。妙な使命感に捉われた俺は、朝飯のバスケットを自転車の前かごに乗せて、ぐっとペダルを踏み込んだ。 |