ぎりぎりまでつっぱった腕が悲鳴を上げていた。なんだかもう、自分でもわけがわからないくらいに顔はぐちゃぐちゃだった。それでも見開いた視界の向こうで、数人のクラスメイトは戸惑ったようにしているのがわかる。三歳のころから意地っ張りが板に付き、怖くも優しい姉貴に、男の子は強くありなさいと躾けられてきた俺の反撃は、あいつらにとっては予想外のものだったようだ。
「あやまれ、よ! いますぐ、あやまれっ!」
 きっと目線を鋭くした俺の叫びに、リーダー格だった奴が顔を真っ赤にした。俺や俺の幼馴染より体の大きいそいつに怯える気持ちもあったけど、それよりもなお、俺を突き動かしていたのは怒りだったのだ。大事な幼馴染をばかにされた。そのたった一つの事実が、俺をここまでさせている原因だった。
「なんだ! オーキドはかんけいねーだろっ!」
「ねえよ、ねえけど、今のはだめだ!」
手を伸ばして広げた背中の後ろに俺は、幼馴染を庇っている。俯いたまま、ぎゅっと両手で帽子の鐔を握っているレッドの存在が鍵になって、俺は一歩も引かなかった。背負ったランドセルはがちゃがちゃと音を立てている。その拍子にりんりんと鳴って俺を勇気づけてくれるのは、入学するときにレッドとお揃いで買ったストラップだった。新品の黒いランドセルにぶら下がっている、透き通った水色のトンボ玉と銀色の鈴の組み紐。がんばれ、と言ってくれている鈴の音に励まされ、一歩も引かない決意をしたのだ。
「そいつがいつも帽子かぶってるのはほんとのことだろ!」
 苦し紛れにアンパンみたいな顔をした奴がそう言うから、俺は言葉につまる。その通りだから何も言えない。いや、言えないからって、ばかにされて許せるわけじゃない。けど、レッドがいつも赤い帽子を被っているのは本当のことだった。黄色い帽子が制服だった幼稚園を卒業して小学校に上がったのに、目深に被った帽子のせいでろくに顔も見れない。教室に入ったら外しているけれど、登下校のときには必ずしている。それによく考えてみれば、体育の時に被る指定の帽子も、ぐっと鐔を下げているのだ。
「おれはほんとのこと言っただけだ! 引っ込んでろチビ!」
「それだけじゃないだろ、おまえ、レッドのことばかにしたろ!」
「してねえよ!」
「うそつけ! じゃなかったらレッドが泣くはずない!」
 ああ、ちくしょう涙声になってきた。強い子でいなさい。体を張って守れる男の子になりなさい。何度も俺に言い聞かせてくれた姉ちゃんの言葉もむなしく、ぐずぐずと決壊寸前の鼻水とか涙とかで、水っぽい声になる。からかわれたレッドの方が辛い思いをしているはずなのに俺が泣くのはカッコ悪すぎるだろう。大事な友達が喧嘩売られたんなら、倍返しでそれを買い取ってやれと父さんは笑っていた。だからがんばれ、俺。
「――……ぼく、はっ、」
 散々やりあってそろそろ手が出る、という切羽詰まった頃に、俺の後ろで俯いていたレッドが、声をあげた。ちいさな声だったけど、打てば響くようなよく通る声だった。
「――レッド? いまなんて」
「ぼくは、目が、すごくよくて」
 人見知りをするレッドが、がんばっている。その事実に胸が熱くなって、呆気にとられているクラスメイトの好奇の視線から守るように、レッドの傍に駆け寄った。レッドは被っていた帽子を外し、胸の前でぎゅうと握りしめている。
「すごくよく見えるから、すぐ、つかれちゃう、し。目の色がちょっとへんなのは、色がたりないからで、帽子をかぶんないと、光がまぶしくて歩けない、から」
「……レッド、」
「おっきくなったらいらないんだけど、今はまだ、かぶってないとだめなんだ。だから、」
――グリーンとけんかしないで、と、レッドは言った。どうしようもないくらい辛くなって、でも同じくらい腹が立ってきて、もう一度、レッドを守るように背中を向けた。アンパンはすごく、おろおろしていた。この際だから畳みかけるように謝れと連呼してやろうか、と、相当頭に来ていた俺はそんなことを考えた。
 そこに、クラスで一番のガキ大将が飛び込んでくるまで、延々と睨み合っていたのだ。
「ごるぁ! てめえらいつまでやってんだ、おれのクラスで好きほうだいしてるバカは今すぐ出てこい!」
 喧嘩両成敗、腕っ節も強ければ口も悪い、俺と同じくらいチビのくせに態度もデカい、でもとびきり優しいガキ大将は、俺とアンパンの双方にごつんと拳骨を一発ずつ落としてその場を収めた。アンパンはぎゃんぎゃん何か吠えていたけれど、その取り巻きは正直助かったというような感じで、口々にレッドに謝っていた。レッドも、涙ながらに嬉しそうにしていたから、まあ、これで良かったんだろう。アンパンは最終的に、ガキ大将によって正座させられて拳骨をもらっていた。ざまあみろ。――と、意地の悪い俺は思う。
「ぐりーん、ねえ、グリーン」
 すっかり遅くなってしまったお昼時、ご近所さんに同い年は俺達しかいないから、半ば必然的にレッドと一緒に家に帰る途中。きゅ、と目深に帽子を被ったレッドが微笑む。
「ありがとう」
「べつに、おれ、なんもできなかったし」
「ぼくの代わりに怒ってくれた」
「そのくらい、どんだけでもやってやる」
「うん、」
「なんたって、おれの方がレッドよりちょっとだけせんぱいだからなっ!」
 なんだか今までのことが急に照れくさくなって、ふん、と鼻を鳴らして自慢げにしたら、レッドは声に出して笑った。いつかぼくも代わりに怒ってあげるね、と言う。たったそれだけの約束が嬉しくてたまらなくなった俺は、通学路の真ん中でレッドと指切りをした。








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