ごうごう、と、頭上を民間旅客機が飛んでいく。飛行機雲を残して去っていくその姿を追いかけながら、指を伝って手首に溶けたアイスキャンディを舌先で拭った。
「カフェオレとアイスクリームって。太りますよ、グリーンさん」
「しゃあないだろ、疲れたときには甘いもんがいるんだ」
「僕はぷにっとしたグリーンさんも好きでいられるから構いませんが」
「ぷにっというな。どこのゆるキャラだよ俺は」
 勤務している教育隊基地の外、真夏の太陽に照りつけられたアスファルトの上。南海の離れ小島に作られた空軍基地では知る人ぞ知る、隠れた名店の氷菓子を齧るのは、青いベンチに隣並びに座ったグリーンと、その昔馴染みである青年。怠惰な様子でずるずると腰を滑らし座っているグリーンとは対照的に、トウヤは背筋を伸ばして笑っている。封の空いた缶の中身は、グリーンはカフェオレ、トウヤは無糖のコーヒーだった。舐めている氷菓子も、ミルク味の甘いそれと、薄黄色のグレープフルーツ。何一つ重ならない。
「お前はなんで無糖なんか飲めるんだ。疲労にカフェインとか、なんだそのコンボは」
「僕、これでもモデルですから。体重コントロールの一環として、です」
「そういやトウヤ君はそういうヤクザなお仕事のひとでしたっけねー」
「グリーンさんも、昔はやっきになって食事制限していませんでしたっけ」
 ふわ、と甘やかに笑って見せるトウヤから目を逸らして、グリーンは思った。そうか、体重コントロールか。そういえばそんなこと、すっかり忘れていた。
「教官職だと、気にしなくていいからな。パイロットと違ってさ」
「そうですね」
「何年も乗ってないと色々忘れてくなー」
 トウヤは何も言わずに、額の汗を拭った。動作のひとつひとつが絵になる男を視界に入れて、グリーンは氷菓子を舐める。
「トウヤ、」
「はい?」
「俺さあ、退官しようかと思って」
「僕と恋人になるためにですか?」
「アホか、」
「なんだ。違うのか」
「なんでそこに発想が飛んだんだよ」
「軍人身分のうちは付き合えないって断ったのは貴方なのに」
 忘れちゃったの、とトウヤは笑う。忘れてなんかいなかったけれど、そこに考えが至らなかったのもまた、事実だった。自分を追って僻地に住所を構えている青年のことを忘れられるほど、薄情ではないつもりだった。
「夏の間に、退官したいんだ」
 燦々と太陽は照りつけている。アスファルトがじりじりと焦がされていく。今ごろ、勤務している基地の滑走路は灼熱の鉄板のように熱くなり、ふわりふわりと陽炎を波立たせているだろう。その上を、銀色の脚を持った人工の鳥が、ごうごうと唸りを上げて飛んでいるのだろう。あの日の自分と同じように、誰かがその鳥の中に乗っているのだろう。
 あの日に見た、まばゆいばかりの光と同じ季節だ。燃える陽光の、夏の季節だ。
「俺がいることで、鳥の巣を壊したくない」
「貴方のためにならない巣なんて壊れてもいいのに」
「止せよ、トウヤ。俺はあそこが好きなんだ」
「知っています。嫉妬したくなるくらい貴方はソラに夢中だから」
「だって、あんなに綺麗じゃないか」
 旅客機に乗って海の外に出た幼い日。眠れなくて、機体の後方にあるトイレに立った。その時に、ひとりの客室乗務員に促され、窓の外を見た。
「見下ろせばしろい海が広がっていた。雲海って言葉は後で知ったけど、海みたいだって思った。見上げれば、狭い丸の中に、青から紫、藍色へグラデーションしてく空があった。どこに繋がっているのかもわからない空があったんだよ」
 グリーンの、ソラに対する人一倍の愛着はそれが起因だった。空軍で、目指すものの少ない工種戦闘機のパイロットになろうと思ったのも、すべてはその光景を忘れられなかったことがきっかけだった。誰もが空を自由に飛べるようになればいい。そしてこの見上げるばかりの空を飛んで、雲海を見下ろしながら旅をするのはとても素敵な事だろう。――幼い心に刻まれた憧憬は、深く魂に絡みついてほどけないままでいる。
「ポケモンじゃ駄目なんだ。あそこまで飛べるのは機械だけだ。あの空を見られるのは、航空機だけなんだよ」
 過去に事故を起こしたパイロットは、書類の上では既に退官している。それは国防省と開発元の重工、そしてグリーン自身が望んだことだ。ここにいるのはグリーンであって、グリーンでない人物。けれど、いつどこからもれるのかわからない。そうなれば世間は、徹底的に叩くだろう。処分を隠蔽したことに端を発し、やがて工種そのものが批判されることだろう。そのような危うい身をいつまでも浮つかせておけなかった。工種航空機の開発は、これからもずっと続いて欲しい。軍用機開発のノウハウはやがて民間機にも転用され、誰もがあの空を飛べるようになるだろう。その日のために、続いて欲しかった。
 それがたとえ何十年後のことだとしても。いつか、誰もが飛べるようになればいいとグリーンは思う。
「グリーンさん」
「ん、」
「慰めてほしいなら、もっと素直に言って下さい」
 苦笑したトウヤが氷菓子の最後の一口を齧り、グリーンを抱き寄せ、そっと口づける。幼子を宥めるようなそれを受け入れ、目を閉じた。だらりと垂らした手首の上を、溶け出したアイスキャンディが伝っている。





ハロー、デイドリーム



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