秋も深まり冬近くなった今日、国は綾風の季節だ。それは俺の駐在する村も例外ではなく、昨日の深夜からこっち、時折、目を空けていられないような風が吹いている。綾風は根の国にたゆたう国母の息吹とも言われているけれど、無駄に霊力の強い俺からしてみれば、神無月の神祭りを終え、冬支度を迎えようとしている地祇や天神の慌ただしい行列に他ならない。その土地の人間であればその土地に根付く地祇が見えるように、天地に生きる八百万の隣人様を見る目を持っていると、この季節の散歩は、中々楽しいものがある。
「今年もいっぱい飛んでるね」
 赤い頬袋から細かな静電気を発している相棒に声をかければ、ちゅうと嬉しそうに鳴いた。電気鼠の衣をまとう俺の式は、稲穂の時期などになるとその小さな体いっぱいに雷撃を溜めこんで頬袋をばりばりさせている。肩に乗る黄色いその子と一緒に空を見上げれば、あわい黄金色のまぁるいひかりが、尾を引いてたくさん、空を飛んでいく。そっと水辺に視線をやれば、普段は海流深くに眠っている龍の子が長い胴体をくねらせて川を上っている。これが綾風の正体だと俺は、師匠であるナナカマド先生に教わった。祭りを楽しんだ隣人様たちが、それぞれのあるべき場所へ、冬を越す故郷へと帰っていく行列。川を上る龍の子らは、この冬を越えれば立派な龍の一員として空へと登って行くのだろう。もしかしたら育った海へと泳ぎ出す龍も、いるのかもしれないけれども。
「グリーンにも見せたいなあ、」
 俺以外には見えないと知っている、うつくしい光景。グリーンなら、この光景を一緒に楽しんでくれるのかもしれない。もしかしたら、グリーンとのつながり深いこの村の住人なら、俺が手を貸せば見られるかもしれない。けれど誰よりも、今はあの狐と一緒に見たかった。空を行く三本脚の烏や、地を這うしろい蛇は見慣れているかもしれないけれど、川を上る龍の子、川底を進む金色の蛙なんかは知らないだろうから。俺が教えてやったらどんな顔をするのだろう。
 驚いてから、楽しそうな顔をすればいい。俺と一緒に笑ってくれればいい。ヒビキに語った愛護欲よりも、もう少し深いところでそう思う。俺と同じ目で見て、笑って欲しい。
「って、駄目だ、この時期はどうしてこう――……」
 ふにゃっと口元を緩めた式が、ちいさなてのひらを伸ばして俺の耳に触れた。都で神祇省に出仕してからずっと一緒にいるこいつにはどんな誤魔化しも通用しないんだから、まったく負けるよね。自分の半身に心配をかけるとか、ご主人失格だ。そこらへんの神官に負けないくらいの自負がある俺は若い身の上に分不相応な力を持っているとかで、綾風の季節になると隣人様方の領域に引きずられやすくなってしまう。そのための修行もかなり積んできて普通の人間よりも丈夫にはなったものの、そのせいで左遷されたのだから強すぎるのも良し悪しなんだろう。
 特にこの土地は、地祇であるグリーンとの関わりが強いから。隣人の領域にとても近い。
「――……レッド?」
 ぼんやりと立ち止まっていたら、澄み切った泉のような空気にふさわしい凛とした音が響いた。いつもより鋭く鳴く狐の声。中空から聞こえるそれに顔を上げれば、細い細いと思っていた両腕いっぱいに萎れた稲穂を抱えた狐が、九本の尾を閃かせて川の上に現れる。
「なんだよ、この時期に外に出るとか危ねぇだろ、レッド」
「ごめんって。――そういうグリーンは何してるの。散歩は」
「俺は来年の分の稲穂集め。元気ないやつ集めて神社でまじないするんだ。ちょっとでもいっぱい冬越せたほうが、俺もみんなもうれしいからな」
 それは仕事熱心な地祇様だ。それにしたって、まるで冗談みたいなグリーンの姿に、言葉も出ない。本性を顕現させた九尾の狐は、俺が知っているどの生き物よりも美しかった。
いつもの簡素な狩衣に浅葱袴の姿ではなく、何枚も衣を重ねた上に千早に似た白の羽織を着て、緋色の袴を穿いている。髪をわけてぴんと立っている白い耳には炎のような飾りをつけているし、思わずつかみたくなるような尻尾は九本、水面にひたりと張り付いて彼の体を支えている。蜂蜜色の瞳孔は獣らしく縦に裂けて、顔にも見慣れない、赤い隈取り。
 美しいという感嘆詞はこういう状況下でこそ使われるべきだ。そう確信してしまうほど、今のグリーンは美しかった。いつも慣れ親しんだ姿ではないけど、たぶんこれが彼の地祇としての姿なんだろう。神と人との隔絶を感じさせる、強烈なまでの神格だった。
 けれどそれ以外は、いつも通りのグリーンだ。ぽわっとした表情も、楽しそうな声も。
「――手伝おうか、まじない」
 それに安心した俺は、自分でも気持ち悪いくらいやさしい声を出していた。
「ぇえー……、いいよレッド、綾風の季節に無理すると風邪引くぞ。体冷やすなって」
「ああ、うん、まぁね、いやあ、うん」
「なんだよ、歯切れ悪いな」
 心配そうに顔をしかめる狐の傍によって、川にじゃぶじゃぶと入り込む。慌てたようにあたたかい腕が背に回って、あわあわと狐が慌てた拍子に耳飾りが音を立てた。
「なんっだよ、おまえ! どうした!」
「なんでもない」
俺のことばかり心配する地祇がどうしようもなく可愛く思えてしまって、俺は焦った。人でないものに惹かれやすいのは、都にいたときからそうだったけれど。参ったな。今回はどうも、重症みたいだ。
「っていうか、ごめん、もう結構外にいたから、がっつり、体調崩してるかも、」
「おいこら、待て、ばかレッド!」
困ったことに俺は本気で彼を愛してしまいたいと思っているらしいと、それはもう困った自覚を最後に、俺の意識は急速に暗転した。けれどそれは思ったより心地よいもので、涙声の狐に名前を呼ばれながら、風に遊ぶ、俺にしか見えないものたちの音を聞いていた。









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