それでね、すっごくかわいいんだ、かわいくてどうしようってくらいにかわいいの、もうね、頬ずりしたいくらいにかわいいの、レッドはそういうの知ってるよな、もうね、なんであのこあんなにかわいいんだろうね。俺ほんとに不思議で仕方ないよ――、と、そこまで聞いてレッドは、ああはいはいそうですか、と思った。ついでに、うっかり出てしまった電話のせいで減らされた睡眠時間とかもろもろとか、長旅帰りでほとんど一睡もしていない身に惚気聞かせて楽しいのかお前とか、色々、それこそ色々言いたいことはあったのだが、結局全部飲みこんで、最終的に、まあうちの奥さんの妹なんだから当然だよな、と、電話口でかわいい、かわいいと連呼する従兄弟と五十歩百歩のことを考えたのだ。
 しかたない、だってオレの奥さん美人だから、と、レッドは買い物カートを押す妻の姿を横目で眺めながら、うん、とひとつ頷いた。美人は三日で飽きるというけれど、それはお前、本物の美人を見たことがないからだろ、と世間に自慢したくなるのは一度や二度ではない。生まれてすぐからの付き合いだけれど、レッドが奥さんの顔を見飽きる日はまだまだ訪れそうになく、暇さえあればでれでれと一日中でも眺めていられるのだから、本物の美人はすごいのだ。だからお前、本物の美人を知らないだろ、と世間に対して少しの優越感すら覚えたりもするのだ。
「――あ、ねぎ発見」
 今日の献立は妻曰く味噌煮込みうどんで、うどんに乗せるネギを手に取ってカートに入れようとした手に、そっと白い指先が重なった。そのままレッドのごつごつとした手のひらは横の棚に移動させられ、特売タイムセールと銘打たれたネギをつかむことになる。
「そっちの方が安い。無駄遣いをするな」
 どうせネギなんぞ入れたらそれで終わりだと買い物リストを見ながらいうグリーンのつむじを見下ろして、それなら買わなきゃいいのに、とレッドは苦笑した。妙に形式ばっているというか、生真面目で頑固なところのあるグリーンの中で、味噌煮込みうどんにはネギが乗っているものだと決まっているようである。美人で細かくて頑固、そのくせちょっとがさつな奥さんは、口で言えばいいものを、その方が早いという理由でレッドの手を引っ掴むようなところがあるのだから、なんていうのか、これがギャップ萌えってやつなんだろうなと血迷ったことを考えてみたりもするのだ。レッド自身、胸を張ってグリーンに色ボケしていますと言える現状、本気の恋をした男というのは、どうやら揃いも揃って馬鹿になるらしい。
「何を笑っているんだ、レッド」
 不思議そうに目を細める仕草は、美人がするから余計にすごんで見えるものである。
「グリーンはさ、浮気についてどう思う?」
「突然何だ、」
「今日の早朝からかかってきた電話で、散々、そんな話題で惚気られちゃって」
 一時間半、優にそれほどの時間、かわいい、あの子かわいい、俺の恋人は世界で一番かわいい、そんなことばかり聞かされたレッドには、どうして浮気について話し合っていた恋人がそんな結論に至ったのか、さっぱり理解できるものではなかったのだが。
「浮気されたら別れるんだって、相手の子。で、うちの奥さんはどっちなんだろって」
「その時にならないとわからんが、」
「え、そなの? てっきり折檻が待ってるんだと」
「酔った勢いで一発、とかなら、まあ、後頭部にバット振り下ろすくらいで許せる」
「それ多分許してないよな、オレ瀕死じゃん」
「冗談だ。バットじゃなくて、傘の柄で勘弁してやる」
 あんまり解決策になっていない、レッドはそう思ったのだけれど、にこりと笑って、珍しく冗談などを言って見せるグリーンに、まあいいか、と納得した。街でちょっときれいな女の子に目が行ったって、次の瞬間、でもグリーンのほうがずっと美人だ、そう思っているうちは浮気なんて考えもしないのだから、バットを振り下ろされようが、傘の柄でぶん殴られようが、そんな仮定の話では痛くも痒くもない。たとえグリーンよりもっと美人な女の子が出てきても、グリーンと過ごしてきた重みとか、ふとした瞬間のギャップとか、そういうものを思い出したら、きっと女の子に手を出す気にはならないだろう。もし手を出したら、それこそ殴られるべきだとレッド自身も思う。恋をした男は総じて馬鹿になる、その馬鹿の範疇にはきっと、愛した女の我儘や激情を受け止める度量も混じっているのだ。
「お前はどうなんだ、」
「へ、オレ?」
「もし浮気をされたら、どうする?」
 そうだなお前美人だもんな、レッドは頭の沸いたことを考えてから、ああそうか、こんなに美人なんだから、それこそ一日中でれでれ眺めていたって飽きない美人なんだから、性格だって少し頑固で融通の利かない初心な庇護欲をそそる美人が、浮気のひとつやふたつ、することもあるのかもしれないと思った。むしろ、今の今までまったくそんなことを考えていなかったオレはどうにかしているのかもしれない、レッドは首を傾げる。
「浮気する予定、あんの」
「あるわけないだろうが。お前の嫁に入ったっていうのに」
 嫁じゃなくても浮気するほど俺は器用じゃない、知っているだろうとグリーンは言う。
「ええ、じゃあわかんないよ、そんなん、その時にならないと」
「俺と一緒じゃないか」
「そうだけどさ。だってグリーンがオレ以外と、って、想像もできないっていうか。グリーンにそんなん一生無理だって、充分知ってるし」
 ぷいっとそっぽを向いてしまったレッドの奥さんは、大げさな様子でタイムセールのまぐろのタタキに手を伸ばし、念仏を唱えるような調子で、黙れタラシ野郎、お前の血筋は揃いも揃って馬鹿ばかりだと低く唸った。そうだな馬鹿ばっかりだ、とレッドは笑い返す。
「ところでグリーン、今日はうどんじゃなかったっけ?」
「予定変更だ。まぐろが安いし、ネギもある。巻き寿司でいいだろ」
 はい奥さん了解です、おどけて答えてみせる余裕もきっと、恋をした馬鹿の範囲なのだ。









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