06

デート当日の朝、支度をしている最中に母親に呼び止められた。その手にはプリントが握られている。

「この前の三者面談のアンケート書いておいたから提出お願いね」
「わかった。明日持ってくー」
「今日は跡部君とデート?」

私の服装を見てそう尋ねられる。水族館のリベンジデートなのでこの前コーディネートをしていたワンピースを引っ張り出したのだ。
気をつけて行ってらっしゃいね、と笑顔で送ってくれると思っていたら急に玲子、と真面目なトーンで名前を呼ばれたので反射的に背筋が伸びた。

「ちゃんと跡部君と進路の話をしなさいね。このまま隠し事をしてたって良いことなんて一つもないの。溝が深くなっていくだけ。だから、できるだけ早く。ね?」
「……うん、わかった」

私の返事を聞いて安心したような母は休日出勤のためその後すぐ家を出た。私も後に続くように家を出る。
アパートの前にベンツが止まると目立つから大通りで待ち合わせをすることにしたのでそこまで徒歩で行くことにした。
梅雨シーズンだというのに天気は晴れ。跡部は晴れ男だな、なんて思いながらアスファルトを蹴っていく。
後戻りできないところまで来て言うつもりだったけど、母のあんな真面目な顔をして言われたので跡部に打ち明けるしかない。
でもどうやって話を切り出そう。
さり気なく跡部の留学について聞いてみて自分の話をしようか。それともそんなまわりくどいことはしないで就職を決めたってはっきりと言うほうがいいのかな。
でもそれじゃあ説得モードに入るかもしれない。決めたって突っぱねても素直に受け入れてくれる可能性は……どうなんだろう。
考えれば考えるほど跡部がわからなくなる。
最終的に折れてくれると思う。でも、財力もあるし(それは自分というより跡部父やおじいさんの功績だけど)、コネだってツテだってある。それを駆使して私に進学を勧めてくれるかもしれないから今まで進路の話は避けてきた。
私が跡部の彼女だから。跡部の特別だから。
隠し事をしたって良いことなんてないというお母さんの言葉を思い返す。
世の中のカップル全員、隠し事なんてしてないんだろうか。
ちょうどその時信号に引っ掛かり足を止めると私の前に一組のカップルがいた。恋人繋ぎをして、今日はどこに行こうかと話し合っている。このカップルも、お互い隠してることなんてあったりするのかな。お互いに歩み寄って妥協点を見つけて付き合ってるのかな、なんてぼんやりと考えていたら青信号になり大通りへ出ると私が見つけやすいように車の前に跡部が立っていた。
目立ってる。というか目立ちすぎ!メンズファッション誌から飛び出したような出で立ちで、コーヒーと英字新聞を持っていたらここは海外だと錯覚するような雰囲気だった。遠くから跡部を見ている大学生ぐらいの女子グループがいるし、話しかけていきそうなOL風の女の人も見えた。
逆ナンされる前にどうにかしなきゃ!

「おはよう、跡部」

悪いけど私という彼女がいるのだ、と見せつけるように足早に駆け寄って跡部に声を掛ける。振り返るとOLのお姉さんは私たちに背を向けていた。

「跡部今逆ナンされかけてたよ」
「逆ナン?」
「逆ナンパの略。女の人にナンパされることね」
「あぁ、どうりで視線を感じると思ったが、そういうことか」
「気付いてたんだ」
「見られることには慣れてるからな、気にもしなかった」
「なるほどね」

もう1組の大学生のグループはどうだろうかと車に乗り込む際に目を向けるとまだそこにいてその中の1人と目が合った。
すぐに逸らされたけど、その後そそくさと違う場所へと移動しているのが車の中からでも見えたので、きっと彼女たちはこれから私たちの話題でひとしきり盛り上がるかもしれない。格好の餌食になってしまった。
「もしかしてアレが彼女?」「全然つりあってないじゃん!」「だよねー」「身の程をわきまえろってかんじー」「そうだよねー」
そんな会話が繰り広げられてるに違いなく、つりあってないことは否定ができない。
ってダメだ!どうしてもネガティブな方向へいってしまう。せっかくのデートなんだから楽しまないと!
今日のミッションは2つ。
一つ目は跡部のことを景吾と呼べるようになること。
そして二つ目は進路のことをきちんと話すこと。
この2つは必ず完遂したい!
そして車に揺れること1時間弱ぐらいで目的地に到着した。新しくオープンする水族館は湾岸エリアの商業施設に隣接していてアクセスも良い。車から降り、外観を眺める。
若手の建築家に依頼をして設計したそうで、お洒落だけどどこか懐かしさを感じるデザインだ。

「社長って凄いね」
「親父が?」
「若手の建築士の人に任せたんでしょ。それってなかなかの博打みたいなものじゃない?」
「博打、か。そう言われてみればそうだな。ただ、玲子、俺は親父が依頼したとは言ってねぇぞ」
「じゃあ誰が……」

建物に向けていた顔を跡部に向ける。
ここで私は初めて含み笑いプラスドヤ顔をしている跡部に気付いた。

「跡部なの!?」

目が点になっている私を見て跡部は誇らしげだ。
よくよく聞いてみると跡部父は若い人の意見を取り入れたかったらしく跡部に協力を仰いだようだ。水族館の計画は数年前から動いていたプロジェクトで、跡部親子の肝いり案件と周りからかなり期待されていたらしい。
あぁ、まただ。また、跡部が遠い存在だっていうことを突きつけられる。

「そろそろ中に入るか」

先導して先を歩く跡部に焦りを感じて待って!と無意識に声を上げていた。
先に行かないで。私を置いていかないで。
そんな言葉が出かかったけどなんとか口を噤み、その代わりに自分の右手を差し出した。
私から手を差し出したことがなかったからか驚いた顔をされる。さっきのカップルを見て触発されたとは言ってやらない。

「珍しいな」
「だって、恋人らしいことあんまりできてないから」

そういえば、デートらしいデートもこれが初めてだ。ならおもいっきり楽しむのが吉!私のネガティブよ、どうか引っ込んでおくれ!
そう念じて負の感情を無理矢理奥へ引っ込めエントランスへ向かった。





「ようこそおいでくださいました、跡部様、滝川様。本日は存分にお楽しみくださいませ」

エントランスで待ち構えていた館長に丁寧に挨拶をされ逆にこちらが恐縮してしまう。テストモニターで今日は貸切だとはいえ、私たちのデートのために特別に開館してもらっているのだ。
ありがとうございます、とお辞儀をしてエントランスを通り抜けた。

「館長さん、良い人そうだね」
「親父が直に交渉して他の水族館から引き抜いた人だからな。優秀な人には間違いないぜ」
「へぇ、社長が直接交渉したんだ」
「他にも海外から招致した飼育員や大学院で水産業の専攻していた研究員もいるって話だ」
「ほんとに肝いり案件だね」

エントランスを通り抜けた先にはトンネル型の入り口があり、そこから照明が暗くなる。頭上にはプロジェクションマッピングで海の映像が映し出されており、その中にいるみたいな感覚になった。ワープできそうな雰囲気に一気にテンションが上がる。

「わっ!」

入り口を抜けると真っ先に巨大水槽が目に入った。あまりの大きさに声が出る。ここがオープンしたら日本一の巨大水槽になる、と跡部が説明してくれた。
水槽にはイワシの群れやマグロが泳いでいるけど、大きなサメが何匹もいて目を奪われる。

「あれってサメだよね?」
「そうだな。……大きさからしてジンベエザメか」
「小さい魚とかを食べたりしないのかな?」
「稀に食べられることもあるようだが、基本的に飼育員がエサをやってるからな。満腹状態をキープしていればわざわざ他の魚を捕食したりすることはないんだそうだ」
「そうなんだ。跡部、物知りだね」

水槽から跡部に目を向けると物凄い誇らしげな顔をしていた。きっと、この案件をお父さんと進めていくにあたって身につけた知識なんだろう。
って私普通に跡部って呼んじゃってる!この雰囲気ならちゃんと景吾って呼べそうなのに!と心の中で悶々としていると館内放送が鳴り、今からイルカショーが行われるというアナウンスがされる。

「イルカショー、行ってみるか?」
「もちろん行く!」

エントランスで館長から渡されたパンフレットで位置を確認してイルカショーが行われるステージに行くことにした。
館内から外に出てステージに向かう。暗い照明の中にいたからか外の明るさが眩しくて目を細める。
一番前の席に座るとスタッフの人が合羽と透明なシートを持ってきてくれた。透明なシートは顔に水が掛かるのを防ぐためのものらしい。なるほど、これが例の水被り席というやつか!
わくわくしながら合羽を着ていると隣にいる跡部がなかなか合羽を着ないのでどうして着ないのか聞いてみると、俺は水が掛からない、とありえないことを言い出した。水が避けるってこと?なんだそれ、跡部はモーゼか!

「絶対ずぶ濡れになるからちゃんと着ないと」

そう説得すると渋々だけど合羽を着てくれた。その姿が面白くて鞄からスマホを取り出し跡部に向ける。

「写真、撮っていい?」
「一緒に写るなら構わねぇぞ」
「ワンショットは?」
「駄目だ」

まぁ断られるとは思ったけど。一緒なら大丈夫だったので自撮りをするためにインカメラに変えシャッターを切った。
うん、いい感じに写ってる。

「跡部のスマホに送る?」
「あぁ、頼む」
「じゃあ後で一括で送るね」

これからまた写真も撮るだろうし一旦スマホを鞄に仕舞っていると軽快な音楽が流れ出し元気なお姉さんの声と共にイルカがプールからジャンプして顔を出した。
あ、水しぶきがこっちに飛ぶ!透明なシート!と思っていると跡部が既にシートを持ってくれていて、キラキラした水しぶきがシートの頭上を通り越す。
光の反射で虹色に輝いている水滴と跡部が綺麗に重なって幻想の中にいるような感覚になる。
こんなに近くにいるのに、触れられる距離にいるのに、透明な隔たりがそこにあるように思えた。



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