04

氷帝男子テニス部のインターハイ東京予選大会は順調に勝ち進み、大会三日目となる今日は準決勝と決勝がありそれに勝てばインターハイ出場が決まる。
月並みな言葉でしか応援できないけど勝つって信じてるからね、とメールを送り私も試合会場へ向かう準備をする。
私服か制服か迷ったけど上手く紛れ込むのは制服かな。応援もしやすいし、と氷帝の制服を着て外へ出た。
天気は晴れ。今日は暑くなりそうだ。
自転車の鍵を外していると鞄の中に入れていたスマホからメールを知らせる音が鳴った。送信者は跡部。忙しいから返信は期待してなかったのに。マメな人だなぁ。

『当たり前だ。勝つのは俺たち氷帝だ!』

文面からでも熱量が伝わってきて自信満々の跡部の顔が頭に浮かぶ。
だから私は絶対に勝つって信じられるんだ。
自転車を漕ぎ試合会場に向かうと人で溢れていた。女子テニスの試合も同じ会場であるらしくテニスウェアを着た他校の生徒とすれ違う。
氷帝生だ!とすれ違った後、そんな声が聞こえた。跡部のパフォーマンスは他校の女子テニス部にまで轟いているらしい。金持ち学校だって言われてるぐらいだし、知名度はかなり高いと思っていたけど私服の方が目立たなかったかも。失敗したなぁ、なんて思いながら自転車置き場からテニスコートへ向かう。
氷帝生の軍団が観客席にいるのが見えてそこに向かった。目立たないように端の方に座り試合が始まるのを待っていると前方にいた部員が立ち上がって氷帝コールが沸き起こる。
初めて聞いた時はなんだこのコールは、と思ったけど今じゃすっかり馴染んでしまった。コールに混ざるのも恥ずかしくない。
そしてレギュラー陣がコートへやって来た。途端にコールの音量が大きくなる。雰囲気は完全に氷帝のもので、対戦校の人たちは苦虫を噛み潰したような表情でパフォーマンスを見ていた。
跡部が右手を掲げる。指を鳴らしコールを止めた。一瞬の静寂の後、跡部の声が響く。

「勝つのは氷帝だ!!」

跡部に同調するかのように歓声が上がる。
本当に頼もしい。最高の部長だよ。





結果は見事優勝でインターハイ出場を掴んだ。
喜んでみんなで抱き合うシーンはなかったけどそれが氷帝らしい。いつも通り、クールに。優勝が当たり前だという雰囲気すら感じてしまう。
ここまでたどり着くのにいろいろな努力をして、練習も物凄くしているのにそれを感じさせず、この間弱音を吐いていた跡部も、もうどこにもいなかった。
表彰式でトロフィーを授与される跡部の姿を見届けて帰路に着く。

『お疲れ様。優勝おめでとう!今日はゆっくり休んでね』

メールを跡部に送りスマホを制服のポケットにしまう。
テニスをしてる跡部、やっぱかっこよかったなぁ。サービスエースを取った時も、スマッシュを決めた時も、汗を拭く姿さえもかっこよくて見惚れてしまった。
そんな感想を持ちつつ自転車を漕いでいるとすすっと一台の車が私の横についてきた。後部座席の窓が開き、そこから女の人が顔を出す。

「滝川さん、少しいいかしら」

ん?私に用事があるのかな。ブレーキを掛け自転車を止めると車も止まった。
女の人を確認する。亜麻色に染まった髪は肩上ボブでツヤツヤストレート。太めのアイラインが綺麗な顔に良く映えている。
この人誰だっけ。見たことのあるような感じだけど、こんな人知り合いにいたかな。首を捻り考えるけど答えが出なかったのでその人を無視することにして再び自転車を漕ぐ。
すると、ちょっと滝川さん!と呼び止める声がした。この声、誰かに似てるんだけどなぁ。ぼやぁとその人の顔が浮かぶ。

「あなたこの私を無視する気!?」

キュ、とブレーキを掛ける。今、この人と記憶の中の人が合致した。
けど、そんなまさか。
それを確かめるため自転車に跨ったまま地面を蹴って後ろに下がりその人の顔を確認する。やっぱりあの人だ!

「会長!?」
「気付くのが遅いですわよ」
「会長……」
「何かしら」
「メイク、濃いですね」

一拍間があり、あなたって本当に成長という言葉を知らないのね、と嫌味たっぷりに言われた。
メイクが濃い、というキーワードは会長にとって地雷だったらしい。会長は様変わりとは言わないまでも見た目は結構変わっていた。メイクもそうだし、クルンクルンのパーマが特徴だった髪はバッサリと切られていた。
氷帝は校則はあまり緩いとは言えないけど、みんな校則を守っている。故に髪を染めたり派手なメイクもしていない。多分ほとんどの生徒は進学や就職のことを考えてのことだと思うけど。
だから髪を染めたりメイクをしている会長は新鮮だった。それこそ別人だと思うぐらいに。

「まぁいいわ。あなた、この後の予定はある?」
「いや、ないですけど」
「なら私に付き合いなさい。嫌とは言わせませんわよ」
「でも私自転車ですよ」
「車に積めばいいじゃない」

会長はマリーアントワネットのあの台詞を彷彿とさせるかのような口ぶりでそう言った。まぁ確かに、この自転車は何度か跡部家の車にお世話になった。だから私は大人しく会長の指示に従うことにした。
車に乗り込みそっと会長を盗み見る。この間まで私と同じ学校に通っていた先輩が、今はこんなにも違って見えた。容姿はもちろんそうだけど雰囲気も変わった。周りを取り巻く環境が変わって人は変わっていくんだ。変わらなきゃいけないんだ、と会長を見て思う。
車が止まり降り立った先にはお洒落なカフェがあった。私のお気に入りのお店なの、と会長はスタスタとお店のテラス席に向かい近くにいた店員さんを呼んで注文をした。

「同じものでいいわね?」
「あ、え、」
「ここは私が払いますわよ。だからそんなに挙動不審にならないでちょうだい」
「あ、はい」

店員さんに注文を終え会長は優雅に足を組んでイスに座った。こんなお洒落なお店に来たことがなかった私は会長に言われて気が付いたけど挙動不審になってしまったらしい。
気を取り直して席に着くと、店員さんが紅茶セットを運んできた。ティーカップに紅茶が注がれ、お菓子がテーブルに置かれる。マフィンやスコーンにジャム。まさに貴族のティータイムだ。
会長はティーカップを持ち、香りを嗅いでから紅茶を啜る。やっぱり美味しいわ、と酔いしれている様子だ。私も一口紅茶を飲む。
あ、美味しい!これがプロの紅茶の味か。
次にスコーンにジャムを乗せて食べてみる。んんんーー!何これ美味しい!

「……あなた、幸せそうね」

呆れた表情をして会長はマフィンを咀嚼していた。こんな美味しい物を食べて幸せじゃない人なんていないと思う。
会長がどうして私を誘ったのかわからないけど、美味しいお茶とお菓子を前にすれば会長の嫌味が可愛く思えた。

「……それで、あなたを誘ったのはこの雑誌についてお話をしたかったのよ」

一息ついた頃、会長はそう話を切り出した。高級バッグから雑誌を取り出し私に見せる。
『日経タイムズ』と書かれている雑誌のタイトルを口に出してみる。
お店のお洒落な雰囲気とお堅いタイトルの雑誌がミスマッチだ。それに、私には馴染みのないビジネス雑誌で首を傾げる。

「この雑誌がどうしたんですか?」
「あなた、彼から何も聞かされていないのね」

会長の言う「彼」とは跡部のことだ。跡部絡みの話だろうとは思ってたけど、何も聞かされていないという会長の言葉に引っかかりを覚え、なんだか胸がざわざわした。嫌な予感がする。
会長は手に持っていた雑誌のページを捲り、あるページを私に見せるように机に置いた。
そこには跡部社長と肩を並べている跡部の写真が載っていた。どうしてこんなビジネス雑誌に載ってるの。
ページを捲ると見開きで跡部の写真が掲載されていた。フェンシングを楽しんでいるところだったり、優雅にピアノを弾いている姿に乗馬をしている姿。人懐っこい笑顔を浮かべ、パラグライダーのインストラクターの人と談笑している姿まで写真に収められていた。
全部、私の知らない跡部だ。跡部が跡部じゃないみたいで、早くも壁にぶち当たったような気がした。温かい紅茶を飲んで身体が温まっていたのにいきなり水風呂に落とされたみたいに全身が冷えていく感覚がする。

「……聞いてもいいですか?」
「何かしら」
「他に跡部が載ってる雑誌とかあるんですか?」
「跡部君のお父様は前々から経済雑誌の常連でしたけれど、今回のこの雑誌は異例と言えますわね。跡部君がメインのようですし。ですから私の知る限り初めてのことね」
「なんだか、別次元の人みたいですね」
「みたい、ではなく元からそうですわよ。メディアへの露出も、今度増えると思っておいた方がよろしくてよ」

手厳しい会長の発言に苦笑いしかできない自分が恥ずかしい。
わかってたはずだった。でも、それでもいいと思った。跡部が私を選んでくれたんだって胸を張っていられたけど、こうも違いを見せつけられると来るものがある。
それなら私が変わればいいのかな。

「……私も何か習い事をした方がいいんですかね」
「あなたそれ本気で言ってますの?ピアノに茶道に日本舞踊、琴に書道。言いだしたら習い事もキリがないわよ。それに、習い事の費用なんてあなたが払える額ではないのよ」
「それは、まぁそうなんですけど。あれ?私、会長にうちが貧乏なこと話しましたっけ?」
「貧しいって自分からカミングアウトしていたじゃない」

あ、と思い出す。プロムの時に会長にそんなことを言ったんだった。
あの時の勢いはどうしたの?と尋ねられ、答えに詰まる。

「あなたと跡部君は天と地ほどの差があるのは明白で、それをわかってて交際しているのでしょう?あなたらしくないですわね」
「……私が跡部を支えなきゃって思ってたんです。支えられるのは私しかいないって」

この間のように弱音を吐けて弱いところをさらけ出してくれたのは私の前だからだって思ってた。私しかいないって自惚れてた。
でも、跡部の周りにはいろいろな刺激を与えてくれる人たちがいる。楽しいもの、自分が得意なものだってある。なのに私には何もない。得意なものも、才能だってない。それを思い知らされた。

「それってただの勘違いだったんですかね?」

会長に問うというよりも、自分自身に問い質したといった方が正しいかもしれない。
私はただ、跡部と同じ場所に立って同じ景色を見たかっただけなんだ。でもそれは、到底かなわないことだった。どう頑張ったってそこには辿り着けない。

「あなた、何を焦っているの?」

会長の目は鋭くて萎縮してしまう。私の考えてること全て見透かされてるみたいだ。
そうだ。私は会長に指摘されたとおり焦ってる。追いかけたいと思った背中が、あまりにも遠かったことに気付いてしまったから。

「いい?彼はこれから世界に羽ばたいて日本経済を支えるお方でもあるの。このぐらいでへこたれるようならこの先が不安ですわ」
「……だから私が変わればいいっていう話ですよね」
「それは自分で考えることよ。……あなたのそれが裏目に出なければいいわね」

裏目ってどういうことだろうか。それを聞こうと口を開こうとしたけどもういいわ、と会長は一方的に会話を終わらせようとしていた。

「あなたはこの私にノロケているのよ。本当に腹立たしいわね。それを飲んだらすぐにお帰りなさい。私ももう行くから」

紅茶を飲み干そうと会長はカップに口をつける。時間が経ったからか紅茶は冷めていたらしく顔を顰め紅茶は飲まずに口を離した。

「その雑誌、あなたに差し上げますわ。貧乏のあなたには買えないでしょうから」

席を立ったご立腹な会長にごちそうさまです、と声を掛けると彼女は振り返らず颯爽と立ち去っていった。
残されたのは私と、冷えた紅茶が入ってるカップ二つと写真の中で乗馬を楽しんでいる跡部の姿だけだった。
冷め切った紅茶がカップの中でゆらゆらと揺らいでいる。それがなんだか悲しくて、私はそれを一気に飲み干した。



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