03

五月病という言葉がある。
それは魔の病気だ。かくいう私も高一の時に経験した。氷帝に入学した同時にバイトを始めたことが原因で、当時の私はバイトに行くことさえ憂鬱に感じていた。この時期に五月病を発症する人は少なくないらしく跡部も例外ではなかった。
ここのところ昼休みに生徒会室に来ても話が弾まず、考え込むことが多くなった。原因がわかってるから私もあまり口出しできずにいた。
跡部をここまで追い詰めている原因は来週から開幕されるインターハイの東京予選にある。
東京予選では上位2校がインターハイに進め、氷帝は常連校となっているだけあって毎年偵察隊が各学校からやってくる。門前払いをされるのが当たり前だけど向こうも必死で弱点や今大会レギュラーメンバーなどを探ってくるので毎年その偵察隊を追い払う役目は1年生と決まっており激しめな攻防戦が繰り広げられるという。
予選まで時間がないけど大丈夫かな、と心配しながら生徒会室に向かうと既に跡部は来ていて生徒会長の席でこめかみをグリグリとこれでもかと指で押し付けていた。応接テーブルにはランチがそのまま放置されていて、張り詰めた空気が生徒会室に漂っていた。
この間までトントンと優しい感じでリズミカルにこめかみを叩いてたのに今は痛いとも思ってなさそうにグリグリと押し付けている。
セルフ指圧マッサージか!とは流石に突っ込めなかった。これが跡部のかなり参ってるサインだから。

「跡部」

私が声を掛けるとハッと我に返り私に気付いて来てたのか、と返事をする。

「ご飯冷めちゃうよ」

食べようよ、と声を掛けるけど食欲がないと会長の席から動こうとしなかった。
なるべく優しく接しようと心掛けているけどこれじゃあ跡部に何もできない。それじゃ駄目だ。
食欲がないという跡部を無理やりソファに座らせご飯を食べるように説得する。

「食べないなんて絶対に駄目だからね!作ってくれたシェフに失礼だし、食べないと跡部自身がもたないよ。もう跡部一人の身体じゃないんだからね」

語気を強めて言うとそんなことを言われるとは思ってなかったらしく小さく笑った。けれどそれが弱々しく見える。
やっぱりいつもの跡部じゃない。

「なんだよそれ、俺は身重じゃねぇぞ」
「そうだけど、意味は通じるでしょ」

とりあえず食べよう、と私が言うとやっとランチに手をつけゆっくりと食べだした。
私も向かいに座り直して自分のお弁当を広げご飯を食べる。その間会話はなく私は跡部を観察した。
樺地君たちは跡部の様子がいつもと違うってことに気付いてるんだろうか。毎日顔を合わせる仲間だ。きっと気付いてる。でも、何も手立てがないことも知ってるんだ。多分、試合前はいつもピリピリしてるんだろう。
だけどこの状況はいつもより酷い。この時ばかりは跡部の姿がか弱く見えた。何がキングだ。今は全然そんな面影なんてない。

「……紅茶、淹れようか?」
「いや、いい」

ランチは完食したけど元気はない。
腕を組み、何かを考えてる。そしてまた、こめかみをグリグリ押し付けようとしたので駄目だよ、と制止の声を掛けた。
私にできることを今しなくちゃ。
跡部の隣に移動してソファに腰を下ろし、ポンポンと自分の膝を叩いて跡部を呼ぶ。

「おいで」
「…おいでって、それはもしかして膝枕をするってことか?玲子が、俺に?」
「可愛い彼女が膝枕をしてあげようっていうのになんだね、その態度は」
「自分で可愛いと言うか?」
「そこに引っかからなくていいから。たまにはいいでしょ。ね?」

ほら、と再度膝を叩くと跡部は少し躊躇いながらも私の方へ倒れてきた。スカート越しとはいえ跡部の髪の毛の感触が伝わってきてこそばゆい。

「……最近ちゃんと眠れてる?」

跡部は自分が疲れていることに気がついてる。だけど、どうだろうな、とちゃんとした答えはもらえなかった。
大丈夫?という言葉が喉元まで出掛かる。その言葉は絶対に言っちゃ駄目だ。跡部は多分、大丈夫じゃなくても大丈夫だって答えてしまうから。

「予選大会が近いから気を張ってるんでしょ。そのピリピリ、意外と伝染しちゃうんだよ」
「わかってる。だがなかなかオーダーが決まらなくてな」
「それって跡部が決めてるの?」
「いや、監督と話し合ってだが、俺たちは最後のインターハイだ。ここで負けるわけにはいかねぇから余計に考えちまう。……まぁでも大丈夫だ」

大丈夫だから玲子が心配することはない、と跡部は続けた。
どうして大丈夫だって自分から言うの。私に心配もさせてくれないの?

「……大丈夫だって言わないでよ」
「玲子?」
「思いつめた顔をしてるの、自分でもわかってるよね。さっきなんて物凄い勢いでこめかみをグリグリ押しててさ、全然大丈夫じゃないじゃん。なのになんでそんなつまらない嘘つくの?お願いだから、本当のことを言ってよ。弱音を吐いてよ。なんのための彼女なの」

弱音を吐いて、と私が言った瞬間、跡部の肩がピクリと跳ねた。
言えるわけないだろという弱々しい声がして、この頑固者、と心の中で怒鳴った。
跡部は頑固だ。頑固で、時々弱い。完璧主義な人間なだけで完璧ではないんだ。だけどみんなは完璧な跡部を必要とする。跡部だって弱いのに、彼女である私の前でさえ跡部は頑として気丈に振る舞って、このままだったら跡部は壊れるような気がした。

「俺に心配を掛けろって私に言ってくれたよね?それなのに自分が心配される側は嫌なの?……もっと我が儘言ってよ。跡部は強いから我慢することが当たり前みたいになってるのかもしれないけど、それって違うと思うんだよね」

強いってなんだろう。心が強い?それとも肉体的に?
跡部は本当に強いんだろうか。

「跡部は人一倍頑張ってる。それはみんなに伝わってるはずだから、無理も我慢もしなくていいんだよ」
「……そんなことしたらかっこ悪いだろ」
「うん」

間髪入れずに答えてやった。即答だな、と跡部は苦笑する。だってそうでもしないと跡部は素直になってくれないでしょうが、とは言ってやらない。だから私は私らしく跡部にこう言い放つ。

「ネガティブな跡部なんて想像出来ないし、ヘタレだと思う。かっこ悪いよ、今の跡部」

誰も言わないんだったら私が言ってやる。だって私は跡部の彼女なんだから。それに、弱音を吐くなんて私の前でしかできない。どんな跡部だって受け止められる自信しかないから、思う存分甘えてくれたらいい。
それを跡部に伝えるため、でも、と言葉を繋ぐ。

「かっこ悪くていいんだよ。私に跡部の心配をさせてよ。もっと我が儘も言って。私を頼ってよ。誰かに縋りたいって思ったら私に縋って。それしか出来ないけど、跡部の力になりたいから。かっこ悪い跡部でも、ヘタレな跡部でも、我が儘ばかり言う跡部でも、私は好きだよ」

こういっちゃなんだけど、ネガティブな跡部もアリだ。いつもより幼くて可愛く見える。可愛い跡部は新鮮だ。
時計を見るとお昼休みが終わるまで後15分ぐらいあった。それまでゆっくり休ませてあげよう。
跡部の頭を撫でてみる。嫌だったら止めろって言うだろうから言われるまで撫で続けているとポツポツと話し出してくれた。

「……正直に言うと、負けるのが怖いんだ」
「うん」
「俺たちが負ける悪夢を見ることだってある。テニスコートに一人だけ取り残されて、自分の息づかいだけが聞こえてくるんだ。しだいに足元が暗くなってバランスを崩すと真っ暗闇の中を落下していく。終わりがない。まるで奈落の底に突き落とされたように、這い上がることもできない状況で目が覚めることだってあるんだ」
「大丈夫だよ。今私に話してくれたから正夢にはならないよ」
「……わかってるんだ、行き詰まってることも、自分が今まで以上に苛立ってることも」
「うん」
「部員にキツく当たったことだってある。アイツらはいつものことだと受け流してくれてるが、愛想を尽かされてもしかたがねぇとは思ってる」
「みんなも跡部が一番努力してるってわかってるんだよ。だからついていってるんでしょ。じゃなきゃ今頃派閥争いでめちゃくちゃになってるよ」

大勢いるテニス部員を今まで束ねてきたのは跡部だ。跡部だからできたんだ。

「愛想を尽かされてもしょうがないって言うけど、実際そんなこと一度もなかったでしょ。だからこれからもそんな心配はないよ。だってみんな、跡部のこと大好きなんだから」
「玲子もか?」
「そうだよ。さっきも言ったけど、かっこ悪い跡部も全部跡部だし大好きだよ」
「お前、心底俺様に惚れてんだな」
「あれ、知らなかった?でも、跡部だって私に惚れてるでしょ」
「だな」

ふっと笑い声が聞こえてそれから仰向けになるように体勢を変えた。

「少し寝る。時間になったら起こしてくれ」
「うん、わかった」

目を閉じるとすぐに寝息が聞こえてきた。相当眠たかったに違いない。
今度こそ良い夢が見られますように。

「……綺麗な寝顔」

眠り姫みたい。ということは、跡部が姫で私が王子様か。うん、それも悪くないな。なんて、少しふざけたことを考えたけど、跡部にとって休息の時間になれたらいいなぁと思いながら頬に口付けを落とした。
そして眠りから目覚めた跡部は憑き物が落ちたような吹っ切れた顔をしていて、それから五月病を発症することはなかった。



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