01

春休み最後の日にバイトの休みが取れて、跡部もその日は午後からオフということだったので水族館に行くことになった。念願の初デート!と意気込んだ当日の朝、何を着ていこうかと数少ない私服からコーディネートをしていると部活中の跡部から着信があり通話ボタンを押す。

「もしもし、どうしたの?」
『……少し面倒くさいことになってな』

なんだか歯切れが悪い。部活で何かトラブルが発生してデートをキャンセルさせてほしいとか言われるのかな。とか考えていると思いもよらないことを聞かされる。

『昨日から親父がイギリスから帰国してるんだが、玲子と食事をしたいと連絡が来ててな』

ん?それだけ?
あまり面倒くさいこととは思わないけど電話越しの跡部は重たい溜め息をついていた。

『まぁ元々親父に気に入られているようだから少々ヘマをしても大丈夫だとは思うが』
「どういう意味?お父さんと楽しい食事会じゃないの?」
『楽しくはねぇだろうな。玲子を試すことが目的だろうからな』

跡部が重たい溜め息をついた理由がだんだんとわかってきた。
私だって社長に挨拶をしたいと思っていた。跡部財閥の御曹司と、跡部財閥の子会社であるにんまり弁当のバイトの私が付き合ってることをきちんと知っておいてほしかったから。
だけど先手を打ってきたのは社長の方だった。試す、ということは、私が跡部の彼女として相応しいかどうか試すってことだ。
事の重大さに気付いた途端背筋がゾクリとした。跡部父の何を考えているのかわからないあの笑顔が頭に浮かぶ。

「ど、どうしよう跡部」
『とりあえず落ち着け。まぁ礼儀作法にはうるさいからな、それさえパスすれば大丈夫だろ』

大丈夫だ、と跡部は繰り返し言った。その言葉が何より心強い。
そして、もうすぐ部活が終わるというので跡部家で合流しようということになった。
直前まで迷っていた膝丈のワンピースは自転車に乗ると下着が見えそうで怖いから一番近くに置いてあったデニムパンツを履き、黒Tを着て家を出る。
跡部家に着くとまだ跡部は帰って来ておらず客間に通されるかと思ったら衣装部屋みたいなところに案内された。壁一面に服や靴、鞄やアクセサリーなどが綺麗にディスプレイされている。
部屋の真ん中に女性が立っていた。目が合い微笑みかけられる。私の母よりも絶対に若い。金に近い茶色の髪がふわりと揺れる。薄い色のサングラス越しだから瞳の色はわからないけどハーフの方かな。

「こんにちは」
「こ、こんにちは」

うわぁ、物凄く綺麗。モデルさんみたい。と思っているとずいっと距離を詰められ、肩をポンポンを叩かれる。肩に置かれた手はそのまま腕をなぞられぎゃあ、と声が出た。

「な、なんなんですか!?」
「急にごめんなさい。私、景吾様に頼まれたスタイリストです」

どうやらこの人は跡部が手配してくれたスタイリストさんのようで、一瞬触っただけで私の骨格がどうなっているか見抜き一番似合うワンピースを見繕ってくれた。
鞄やアクセサリーなど全身コーディネートしてもらい鏡で自分の姿を確認する。ネイビーのパンプスもシンプルなものだけどワンピースに合っている。さすがプロだ。
スタイリストさんはとても満足そうに笑みを浮かべている。そして仕上げのメイクもしてもらうことになりドレッサーの前に座る。石鹸のような清潔感のある香水の香りが鼻腔をくすぐる。
メイクをしてもらっている間、マナー本に載っていた会食の注意事項の項目を思い出す。私たちは絶対に下座に座って、跡部父の飲んでいるグラスが空になったらお酌して。って社長ってお酒飲む人なんだっけ?あぁもう頭が混乱する!

「大丈夫よ」

プチパニック状態の私にスタイリストさんが気付いてぽん、と優しく肩に手が置かれる。安心して一気に緊張がほぐれた。

「あなたに意地悪したくて食事会をセッティングしたわけじゃないのだから」
「え?」
「あなたらしく。それが一番よ。……さぁ準備は整ったわ。とても綺麗よ」
「ありがとうございます。なんだか食事会も乗り切れそうです」
「頑張ってね」

ふわりと笑って見送られる。雰囲気が柔らかい彼女に大丈夫だと言われて自信もついた。
私もこんな大人の女性になれるのかな。でも今のままじゃ無理だよなぁ、なんて思いながら衣裳部屋を出るとメイドさんに跡部の部屋に案内された。
こちらも準備は整っているようでカジュアルそうに見えて清潔感のある服を着ている。

「物凄く焦ったよ。でもありがと、スタイリストさん手配してくれてたんだね」
「スタイリスト?」
「うん。サングラスしてても美人さんってわかるんだね。あれ、跡部が手配してくれたんじゃないの?」

心当たりがないみたいな反応だったので心配になる。
もしかして跡部は跡部でも父の方か!?でもあの人跡部に頼まれたって言ってたしな。

「いや、大丈夫だ。その人なら問題ない」
「ならいいんだけど」

食事会は跡部家が懇意にしている料亭で行われるそうで、あまり畏まることはないという言葉と共に手をぎゅっと握られる。跡部の体温が心地良くて自然と顔が綻んでいく。

「いつもの玲子でいいんだ。親父も取って食おうってわけじゃねぇから」

跡部のその言葉に安心して私は頷いた。
そして車に乗り20分ぐらいで目的地に着いた。
純和風の旅館みたいな外観で、品格のある風貌に度肝を抜かれゴクリ、と生唾を飲み込んだ。出入り口から着物を着た女将さんらしき人が出てきて私たちを案内してくれた。社長は先に来ているらしい。
大広間を抜けて長い外廊下を歩き襖の前までやって来た。日本庭園がとても綺麗でそれに見惚れていると、女将さんが失礼します、と襖を開けようとしたので慌てて視線を元に戻す。
ゆっくりと襖が開くと、社長、改め跡部のお父さんが上座に座って待っていた。目が合い、ニッコリと笑いかけられる。

「やぁ玲子君、よく来たね」
「ご無沙汰しております」

ペコリとお辞儀をする。そういえば直接会うのは数ヶ月ぶりだった。

「そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。今日は楽しく食事をしたいからね」

爽やかな笑みと共に言われたけど、もうここから私は試されてるんだって思っていいんだよね。
丁寧に礼儀正しく、そして私らしく。
跡部に促され部屋の中に入り席に着いた。正座は慣れてるし、大丈夫だ。
そして緊張の会食が始まった。
料理が次々と運ばれて来て、豪華絢爛な料理に目が輝いてしまう。それを見たお父さんは玲子君は食べ物に目がないんだね、と笑った。

「あ、はい」

ここで言い訳をしてもしょうがないから正直に頷く。
うちの料理長の料理も美味しいだろう?と跡部父は話を続けた。やばかったら跡部が止めてくれるだろうしこのまま会話を続ける。

「ええ、すっごく美味しかったです。味が繊細というか深いというか、本当に美味しくて景吾君のことが羨ましいと思うぐらいです」

そうかね、と跡部父は笑みを浮かべ頷いた。
自然な流れで跡部のことを名前で呼んでみたけど跡部父の反応は何もなく、跡部の名前を呼んだ自分がなんだか恥ずかしくなった。名前呼びをするぐらい親密になりましたという遠回しなアピールなんだけど、笑顔を崩さないからそれに気付いているのか気付いてないのかあまり良くわからない。
早くも心が折れそう。帰りたくなってきた。
食事をしながらときどき会話を挟む。けど会話に集中しずぎてあまり料理の味がわからない。美味しいっていう感覚があるのは確かなんだけどなぁ。

「……ところでこれは二人に聞きたいのだが、二人はどこまで進んだのかね?」
「ゲホッ!」
「コホッ、親父、今なんて言った?」

跡部もそんなことを聞かれるとは思っていなかったらしく若干慌てていた。いや、やましいことなんて一つもしてないけど!

「親としては気になるところだぞ。私としては孫がたくさんいた方が賑やかで楽しいと思うんだが、玲子君はどうだろうか」
「あ、や、それは、」
「セクハラだぜ親父」

間に跡部が入ってくれた。答えづらい質問だっただけにありがたい。けれど、そうは言っても景吾、と跡部父は引き下がってくれない。

「将来娘になるかもしれない子にこういう質問をするのは当然だろう」

息が止まった。完全に止まった。箸を持っていた右手がピタ、と止まる。
この人は何を言ったの?将来の娘?

「……冗談だよな」
「冗談でそんなことを言うほど私はボケていないぞ」

そしてその場の空気が凍る。跡部父はニコニコと笑顔を絶やしていないけど笑い返すことも出来ない。

「……将来のことは自分たちで決める。まだ俺たちは学生だ」
「まだ学生、とは言うが、景吾も玲子君も今年で18になる。法律的には婚姻を結べる歳だ。そう遠くない未来だと思うがね」

そう言われ、何も言い返せない跡部は口を噤んだ。この人には敵わないと思ったんだろう。実際威圧感をバリバリ放っている跡部父には到底敵わないと私でもわかる。なんとかしてこの状況を打破しないと、と思い私は口を開く。だって跡部もスタイリストさんも言ってたじゃん、私らしくって。それが一番誠意が伝わる。

「あの、ちょっといいですか?」
「何かね」

箸を箸置きに置いてすすっと横に移動し、三つ指をつく。私の行動に驚いた跡部が私を呼んだ。けれど私はそのまま話を続ける。

「すみません!こんな私が社長の息子さんと付き合うことになってしまって。でも遊びとかじゃなくて、私なりに本気なんです。……正直、最初は玉の輿が目的で彼に近付きましたが、今はそんなことはどうでもいいんです。いや、少しはどうでもよくないって思ってるんですけど」

あぁ何言ってるんだ私。
どっちだよ、と跡部の呆れた声がした。私も結局どっちなのかわからなくなってきた。

「お金のこととか関係なく景吾君のことが好きなんです。結婚とかまだわからないし、そんな気も今はまだないです。だけど真剣に景吾君と向き合っていきたいと思っているので交際を許してください!」

畳に額がくっつきそうになるぐらい頭を下げた。
これで、君は景吾には相応しくないと言われてしまったら別の方法を考えるしかない。
ぎゅっと目を瞑り跡部父の反応を待っていると、唐突に跡部父の笑い声が聞こえてきた。何がおかしいの?やっぱり笑いのツボは庶民とは違うところにあるらしい。と思っていたらポン、と頭を優しく叩かれた。顔を上げてみろ、と跡部の声がしたので頭を上げると爆笑している跡部父の姿が目に入った。この人もこういう笑い方をするんだ、と思っていると跡部父と目が合う。

「すまないね笑ってしまって。しかし玲子君は何か勘違いしてるんじゃないか?」
「勘違い?」
「二人の交際を許さない、と私は言った覚えはないということだ」
「え?」

びっくりして今度は跡部の顔を見る。そしたらバツが悪そうに顔を逸らされてしまった。
私の勘違い?というかそれって跡部の勘違いってこと?

「私を試すための食事会じゃないんですか?」
「試すなんてそんなことしないよ。試さなくても玲子君のことは知っているつもりだからね。今日は君と食事をしたいから招待したんだよ。その感じでは景吾に何か言われたのかな」

ええ、全くその通りです。跡部のバカ、と心の中で毒づいた。それにしても跡部が早とちりするなんて珍しい。それだけこの会食に意味があるって思ったのかな。

「けれど、意外な本音を聞けて私としても景吾としても良かったんじゃないかな」

さっきの私の言葉を思い出したのか跡部父はくすりと笑った。思いのほか景吾はちゃんと愛されているんだね、と安心した表情で言う。
うわぁぁ!やっちゃった!跡部の父親の前で跡部が好きとか言っちゃった!カァ、と体温が上がっていく。

「別に恥ずかしいと思う必要はないんだよ。そう思うのは当然のことだ。だから玲子君、これからも景吾のことをよろしくお願いします」

跡部父が私に向かって頭を下げてきた。あの跡部財閥の社長が、貧乏人で、しかも高校生の私に。それだけ跡部のことを心配してたんだ。なら私もちゃんと応えないと。
姿勢を正し真っ直ぐ頭を下げる。

「こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いします」

それはそうか、と思う。この人にとって跡部は大事な一人息子だ。
そして誤解も解け、いろいろあった会食は無事終了したのであった。





「それにしてもさ、景吾君」
「あぁ、何だ?」
「珍しいこともあるんですね」
「あぁ、そうだな」
「……」
「……」
「明日、雨かもね」
「そうかもな」

帰りの車は微妙な空気を孕んでいた。跡部父はこの後も仕事があるらしくもう一台のベンツに乗って去って行ったので二人っきりだ。
少し棘のある物言いで跡部に話し掛けると、奴は私に対抗してか肯定しかしない。その言い方も白々しい感じがするから余計に腹が立ってきた。

「お父さん、喜んでたね」
「……」
「よろしくお願いしますって、私に頭を下げてくれたよね」
「……悪かった」

ようやく謝る気になったらしい。まぁ結果オーライなので刺々しい言い方は止めることにする。

「でも良かったよ。認めないって言われたらどうしようって思ってたから」
「俺は親父に反対されようが縁を切れと言われようが別に構わなかったけどな」
「それってお父さんに歯向かうってこと?そんなことできる?」

あの人に逆らうなんて、例え私が跡部父の実の娘だとしてもできない。怖いし、しっぺ返しされそう。けどさらっと跡部は頷く。

「惚れた女のためならってやつだ」

惚れた女、だって。跡部はそんなキザな台詞をいとも簡単に言ってしまう奴なのだ。顔がニヤけてしまうのを必死になって抑える。
本人は恥ずかしいと一切思ってないし、そういう台詞が似合ってしまうから尚のこと性質が悪い。
そんなことを思っていたら車がアパートの前で止まった。ドアが開いて外に出る。自動的にドアが閉まって、その代わり窓が開いた。

「また電話する」
「うん。今日は楽しかったよ。じゃあ、ばいばい」

とりあえず跡部のお父さんには認めてもらえた。でも私、跡部のお母さんに会ったことないんだよね。どんな人なんだろう。父より癖がない人だったらいいなぁ、なんてまだ見ぬ跡部母を想像しながら車が見えなくなるまで手を振って見送った。



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