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目を覚ますと朝になっていた。そばにいたマルガレーテがいない。ということは私が眠っている間に跡部に連れ去られたってことか。
しまった!どうしてそのまま寝ちゃったんだろう。跡部に会いたかったのに、気配にも気付かなかった。ベッド脇のテーブルにおにぎりが二つ乗ったお皿と、起きたら電話をくれ、という跡部からのメモが置かれていた。
そういえば寝てばっかでご飯を食べていない。おにぎりに手を伸ばし一口頬張る。あー美味しい!おかかが入ってる。美味しすぎて二つともペロリと完食してしまった。
昨日と比べてだいぶ体調がいい。熱を測ってみると平熱に下がっていた。良かった。これで家に帰れる。
とりあえず跡部に電話してみる。今日は土曜日だし部活に行ってて電話に出られないかもなぁと思ったけどすぐに出てくれた。部活は休みらしい。

「おはよう跡部。昨日こっちに来てくれた?」
『あぁ。マルガレーテと仲良く寝てたな。そっちに向かうから少し待ってろ』

プツリと電話が切れて2分ぐらいでゲストルームにやって来た。手にはクリーニングから戻ってきた制服が入っている紙袋を提げている。
たった一日会わなかったぐらいで久しぶりに感じる。自然と笑みがこぼれた。

「だいぶ顔色はいいな」
「熱下がったんだ。看病してくれたメイドさん達のおかげ」

そこでハッと気づく。私お風呂に入ってない!一歩ずつ近づく跡部に待って!と牽制する。

「どうした?」
「私ずっとお風呂に入ってないの。だから髪の毛ベタベタだし、汗かいててくさいから」
「玲子でも気にするんだな」
「気にするよ」
「制服はどうすんだよ」
「投げて」
「そんな粗末に扱えるかよ。というか病人なんだから風呂に入れないのは当たり前だろ」
「でも気にするの」

私のなけなしの乙女心をわかってくれたみたいでシャワールームに紙袋を置いてくれた。
病み上がりなんだからシャワーにしておけよ、と釘を刺される。

「でもここの浴槽深いし大きいんだよね」

しかもジャグジーがついてるからリッチな気分を味わえるし、と言ってみると睨まれた。怖い。けど、それだけ私のことを心配してくれてるってことだよね。

「わかった。シャワーにする」
「ならいい。着替えたらメイドを呼べよ」

そう言って跡部はゲストルームを後にした。
跡部の言うとおりお湯には浸からずシャワーを浴びて制服に着替えてメイドさんを呼ぶとこちらです、と跡部の部屋に通された。来たか、と何かを準備していたらしい跡部に出迎えられる。跡部がいつも使っているであろう勉強机の上に教科書やノートが広げられていた。私の鞄も一緒に置いてある。ということは。

「勉強、教えてくれるの?」
「昨日の授業でやったところだけだけどな」

やらないよりマシだろうと私を椅子に座らせた。跡部は私の横に立ち勉強を教えてくれる。
跡部の授業は先生と同じくらいわかりやすい。特に英語は聞き惚れるぐらい発音がいい。さすが帰国子女だ。

「舞踏会の時も思ったけど発音がやっぱり違うよね」
「訛りを直したからな」
「訛りってイギリス英語のこと?」
「良く知ってるな」
「まぁ、そういうのは聞くし、本場の人ってやっぱりわかるもんなのかな」
「一発でわかるぞ。日本人が二つを聞き比べても違いははっきりとしてるからな。まぁ俺の場合、直したというより使い分けてると言った方がいいか」
「話す相手によって使い分けてるってこと?」
「そうだな。特に公の場ではアメリカ英語の方が伝わりやすいからな」
「じゃあドイツ語は?どこで習ったの?」
「イギリスにいた頃からドイツ語は習っていたが、本格的に身につけたのは帰国して氷帝に通い出してからだな。中等部の時に選択科目としてあったんだ」
「他に喋れる外国語とか、ある?」
「ギリシャ語は喋れるが」
「ギリシャ語!?」

まさかのギリシャ語に驚きを隠せなかった。跡部がそんなことまで聞いて何か意味があるのかよ、と私に尋ねてくる。跡部のことが知りたかった、とはさすがに言えなかったのでちょっと気になって、と誤魔化した。

「ちなみに、好きな音楽とかある?」
「好きなのはクラシックだな。特に良く聴くのはワーグナーだ」
「何型?」
「A型だ」
「へぇ、ぽいね」
「……おい玲子、これは何のつもりだ?さっきから質問ばかりだぜ」
「いや、特に意味はないよ」

意味はないように見えて私にとっては凄い大事なことなんだけど。
そんな会話を挟みつつ勉強をしていたらいつの間にかとっくにお昼になっていた。
きゅるきゅる、と自分のお腹が鳴りそれを聞いた跡部が小さく笑う。なんだか跡部には恥ずかしいところばかり見られてる気がする。
そしてそろそろ行くか、と跡部は私を違う部屋に案内した。そこには和室が広がっていた。洋館なのに和室があるとは思わなかったからびっくり。しかも真ん中辺りにこたつがあり、コック帽を被った調理長が何かを準備していた。カセットコンロに、あれは鉄鍋だ。お昼ご飯は鍋かなぁと思っていると状況を察しない私に気付いたのか、すき焼きが食べたいって言ってただろ、と跡部が言う。

「すき焼き?」
「まさか自分が食べたいって言ったことを覚えてないのか?」
「お、覚えてるよ」

しまった、すっかり忘れてた。私あの時すき焼きが食べたいって誤魔化したんだった。
このこたつですき焼きを食べるみたいで料理長が準備をしてくれていた。跡部はあの言葉をしっかりと覚えてくれていたんだ。

「でもこんなところに和室があるなんて思わなかったよ」
「この間作らせたんだ」

その言葉に再びびっくりしてしまう。なんでも杉ノ家アパートに感化されたらしい跡部が使わないこの部屋を和室に大改造させたらしいのだ。和室が一つあっても問題ないからな、と跡部はこたつに入りながら言う。跡部に続きこたつに入ると足がポカポカして気持ちがいい。あー冬はやっぱりこたつだなぁ。
料理長がカセットコンロの火をつける。そしてこたつ机に置かれている木箱の中には脂肪が編み目のように入っているお肉が綺麗に並べられて入っていた。
お肉!!牛肉!
それを割り下を少し入れた鍋の中に菜箸で入れる。さっとその割り下にお肉をくぐらせ、そのお肉を器に綺麗に盛り付けた。料理長はまずお肉本来の味を楽しんでください、と笑顔で説明をしながら私の前に器を置いてくれる。
いただきます、と手を合わせ、恐る恐る箸でそのお肉を掴んだ。手が震えてるぞ、と跡部に言われたけどそれを無視してお肉を口の中に入れる。

「……!!」

口の中でお肉がとろんって溶けた!初めての体験!何これ、物凄く美味しい!美味しいっていう言葉が陳腐に聞こえるぐらい美味しい!牛肉ってこんなんだったっけ。こんなに柔らかくてジューシーでとろけるものだっけ!?くぅ、生きてて良かった!

「顔が緩んでるぞ」
「これは緩むよ!すっごい美味しいです!」

月並みな言葉しか出ないけど、感想を料理長に言うとありがとうございます、と喜んでくれた。もう一枚どうぞ、と器にお肉を入れてくれる。
割り下から手作りらしく、その味付けが最高でどんどん箸が進んでしまう。
お肉だけでお腹がいっぱいになりそうだ。まぁそれを跡部が許してくれるはずもなく、三枚食べたところでストップがかかり、本格的にすき焼きを料理長は作り始めた。
野菜も料理長自ら市場に行き厳選したものだと話してくれる。長崎県産の白菜はそのまま食べても甘いこととか下仁田ネギは熱を通すとトロトロになって美味しくなることとか。わくわくしながらその話を聞いていた。

「そんなにすき焼きが珍しいか?」
「珍しいっていうか、鍋物ってあんまりしないんだよね。母親も仕事があるし帰る時間がバラバラだったりするから。たまにするけどすき焼きなんて滅多にしないよ。野菜中心のヘルシー鍋って感じかな」

考えてみれば年に片手で数えるぐらいしか鍋をしないかも。鍋って野菜もとれるし、安く出来るから便利だけど一人鍋って寂しいからあまり食卓には並ばなかったりする。
そしてすき焼きが完成し、食材が足りなくなったらお呼びくださいと料理長はその場を離れた。
木箱に入ったお肉が何箱かあるから十分に足りると思うけど。とりあえずお肉が固くなっちゃいけないからお肉に手を伸ばし、それから野菜をまんべんなく器によそった。

「跡部のもよそおうか?」
「あぁ、頼む」

跡部の器を受け取りよそう。なんだかカップルみたいで少し浮かれてしまう。そんな気を紛らわすためにすき焼きにがっついた。

「あー本当に美味しい。生きてて良かったって思える味だね」
「玲子は色気より食い気だな」
「今はまだそれでいいんだよ。いつか大人の色気を振りまく日がくるんだから」
「本当にくるのか?」
「くるよ!」

私のツッコミに跡部は笑っていた。その笑顔を眺めながら、私を女の子として見てくれてるのか謎なんだよなぁと考える。でも考えたって答えは出ないから今はお肉を思う存分楽しんでおこう。もう一生こんな高級なお肉にお目にかかれないかもしれないんだし。
そして木箱に入ったお肉をほとんど平らげてシメのうどんを食べ終えた頃には母親もそろそろ帰ってくる時間になっていたので車で送ってもらうことにした。
玄関まで跡部が見送りに来てくれたので車に乗り込み運転手さんに窓を開けてもらう。

「三日間お世話になりました」
「そんなにかしこまるなよ。それよりも風邪が治って良かったな」
「うん。本当にありがとう」
「今度何かあった時は真っ先に知らせろよ」
「わかった、そうする。じゃあまたね」
「あぁ」

窓が閉まり車が走り出した。
私は跡部に好きだって伝えることができるんだろうか。受け止めてくれたらいいと思うけど受け流されても困る。
でもいつかこの想いを跡部に伝えられたらいいなぁと思うのだ。だからそれまで、もう少しだけ跡部の友人でありたいと、窓から見える街並みを見ながらそう思った。



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