39

なんだろう、この感じ。凄く温かいのに冷たくもあって、気持ちがいい。
あ、跡部だ。跡部が白馬に乗ってる。白馬に乗っている跡部は、私に何か伝えたいことがあるらしく口をパクパクさせていた。
え?何?
全然聞こえなくて跡部に近付こうとするけど足が動かない。何とかして近付きたいのに!痺れを切らしたのか跡部は白馬を操り私とは反対の方向へ進んでいく。
待って!
そう叫んでもその声は届いていないみたいで跡部が見えなくなっていく。あ、と私は気付いてしまった。声が出ていないのは跡部じゃなくて私の方だ。
跡部、待って!私を一人にしないで!

「待って!」

あ、ちゃんと声が出た。

「玲子、気が付いたか?」
「い、うひぁぁあ!」

目の前にででーんと跡部の顔があってびっくりした私は悲鳴を上げてしまった。
あれ、現実の跡部だ。なんで?
私を心配してくれていたみたいで跡部は安堵の息をついた。ふかふかベッドに私は寝ている。しかもいつの間にかシルクのパジャマに着替えていた。着替えた覚えもないんだけどなぁと辺りを見渡すと跡部邸のゲストルームらしかったので跡部に尋ねてみることにする。

「ここ、跡部の家?」
「お前、自分の家の玄関の前でぶっ倒れてたんだぜ。覚えてないのか?」
「……私が?」
「俺に電話したことは?」
「あー……なんとなく、覚えてる、かも。でもはっきりとは覚えてなくて。私何か跡部に失礼なこと言った?」
「いいや」
「なら良かった」
「起きられそうか?」
「うん」
「何か食べ物を用意させるから少し待ってろ」

跡部は壁にくっついている電話の受話器を手に取り電話を掛けた。あれって飾りじゃなかったんだ。というかいつも以上に跡部が優しい。なーんかおっかしいの。
ふふっと笑うと、電話を終えた跡部にどうした?と聞かれた。そのどうした?の言い方も優しいし。

「ううん、何でもない」

額に何か貼られていることに気付いて手をやると、ひえぴたみたいなものが貼られていた。さっきの温かくて冷たい感覚はこれだったんだ。

「母親はどうしたんだ?」
「あー、今北海道。社員旅行で明後日まで帰って来ないの。あ、今何時?」
「一時前だな」
「じゃあ明日だ。明日の夕方戻ってくるの。あ、費用は全部私持ちでね。私渾身のへそくりを出したんだから文句は受け付けませんよ」

跡部が何かを言いたそうだったので先手を打っておいた。というかもう日付が変わってたんだ。

「ずっと起きてたの?」
「まぁな」
「……そっか」

跡部って優しいよなぁと思う。普通の人なら側にいてくれるかもしれないけどこの時間なら眠ってしまう。
しばらくしてメイドさんがゲストルームにお粥を持ってきてくれた。お礼を言って私は起き上がる。
白粥に梅干が添えてあるシンプルなお粥だったけど、その味は抜群の美味しさで完食してしまった。ふぅ、と息をつき手を合わせる。ごちそうさまでした。

「あー美味しかったー」
「玲子の食いっぷりはいつ見ても凄いな」
「だって美味しいんだもん。もう最高」

ニカっと笑うと跡部も少し笑った。ふと、ベッドの横にあるサイドテーブルに洋書があることに気付いて見ているとその視線に気付いた跡部がその本を手に取った。

「ドイツ語?」
「シェイクスピアの本だ」
「あれ、でもシェイクスピアってドイツ語圏の人だっけ?」
「これはドイツ語に翻訳したものだ。元は英語だな」
「ドイツ語読めるの?」
「当たり前だろ。俺様だからな」
「うわー嫌味だ」
「というか早く寝ろ。玲子が寝るまでここにいてやるから」
「はいはい」

そっか、跡部はドイツ語も出来るんだ。新しい発見。
ベッドに潜り布団を被る。でもさっきまで寝てたからあまり眠たくない。

「罰が当たったんだよね」
「罰?」
「うん。バレンタイン、スルーしようと思ってたから」
「誰かにやる予定だったのか?」
「跡部だよ」

そう言うと、跡部は意表を突かれた表情をしていた。そして本をサイドテーブルに置いて私を見る。

「玲子が、俺に?」
「な、何よその物珍しい目は。い、言っとくけど義理だからね!?跡部にお世話になりっぱなしだからそのお礼にって思っただけだからね!?」

嘘ばっかり。でも本命とは言えない。

「なら何でスルーしようとした」
「……跡部はさ、毎年何千っていうチョコを貰ってさ、私はその中に含まれるのかなぁって思ったらなんか腹が立ってきて、もういいやって思ったの」

こんなこと本人に言うつもりじゃなかったんだけど。
恥ずかしくなって私は布団を頭がすっぽり埋まるぐらい上に引っ張った。なので跡部から私の表情を見られることはない。
今日はやけに素直だな、と言われたので風邪のせいで不安定なの、と言っておく。そうだ。風邪を引いたから不安定になってるだけだ。心細いから本当のことをポロっと溢してしまうのだ。

「ごめん」

自然と出てきた言葉はそれだった。
跡部のことを好きになって、大切な人が増えて、けどその大切な人に迷惑を掛けて。迷惑を掛けたいわけじゃないのに、頼っちゃって。だから結局跡部に迷惑を掛けることになるんだ。
自分優先で恋をしていた。跡部がどう思っているのかも知らずに。今まで跡部の気持ちを優先したことがあったっけ?その前に、私は跡部の気持ちを確認したことがあったっけ。面倒くさいとか思ってたりするのかな。うわ、そんなことを思ってたらなんか泣けてきた。

「泣いてんのか?」
「もうほっといて、寝るから。もう寝るから」

心臓がきゅうって痛い。跡部の声を聞くと更に胸が締め付けられるから、今は何も言わないで、お願い。
そう声に出さずに願っていると、カタンと音がした。イスから立ち上がった音であってほしいと思っていたら、布団をベリっと引っぺがされ視界が急に明るくなった。
目の前に跡部の顔があってびっくりしてたら額に貼られていたひえぴたをこれまたベリッと剥がされ次の瞬間、私の額目掛けて跡部の頭が突進してきた。え、ちょ、まって。
ゴオオオン!

「い!ったーー!!」

イタイイタイイタイ!本気の頭突きだ!コイツマジで本気の頭突きをしやがった!学園祭の時の仕返し!?あのデコピンをまだ根に持ってるっていうわけ!?
自分の額を押さえのた打ち回る。あーもう何なの本当に!

「病人に何すんの、石頭!」
「今のは玲子が悪いだろ」
「意味わかんない!」

痛すぎて涙出てきたじゃん。涙はさっきから出てたけど、今ので倍増した。
跡部は無言で新しいひえぴたを出し、私の額に貼った。まだジンジンする。そして無言でイスに座るから凄く怒ってるように見えた。ように見えた、というか完全に怒っていた。

「なんでそんなに怒ってるの」
「怒ってねぇよ」
「怒ってるよ!」
「怒るに決まってんだろ!」
「ほらやっぱり!」

やっぱり怒ってる。
跡部がはぁ、と溜め息をついたので泣きたい気分になった。

「私、跡部がわかんないよ。嫌だったら嫌だってちゃんと言葉にしてよ」
「そんなこと一言も言ってねぇだろ」
「ならなんでそんなに怒ってるの」
「玲子が謝るから怒ってんだよ。何回謝ってんだお前は。もう謝るな。迷惑を掛けろよ。それで俺を頼れ。俺に玲子の心配をさせろ」

跡部の顔は、今まで見たことのない優しい顔をしていた。私に向けられてるのがもったいないぐらいに、優しくて、かっこよくて。ドキリと胸が高鳴る。好き、という言葉が喉まで出掛かって困る。

「玲子こそちゃんと言葉にして出せよ」
「え?」
「今だけ、全部吐き出しちまえ。自分の思っていること全て。たまには外に出さねぇとしんどいだろ」

その時温かい何かが込み上げてきた。その何かは言葉に表すとあやふやでとても頼りないものだけど、跡部になら全部言える。そう思った。

「……跡部に迷惑掛けるつもりじゃなかったの。面倒くさいって思われるのが嫌だったから。でも、頼る人って母親以外に跡部しか思い浮かばなくて。……さっき、母親の社員旅行の話をしたでしょ、費用は私持ちって話。あのお金、去年跡部に貰ったバイト代だったの。でも、母親に行ってきなよってお金を渡したらそれは自分のために使いなさいって言われて。結局は受け取ってくれたんだけどね。……多分、母親の収入だけじゃうちはやっていけないの。だからバイトを始めたんだし。でも、バイトは楽しいし、働いたら働いた分だけ給料が入ってきて、やりがいがあった。……私は家のためにバイトをしてるのに、自分のためってどういうことって思ったんだよね」
「玲子の母親は玲子のためを思ってそう言ったんじゃねぇのか?」
「うん、そうだと思う。正直に話すと、母親にお金を渡す前にちょっと使っちゃったんだ。その時になんだか気が引けちゃってさ。だから次にこのお金を使うときは自分以外の人のために使いたいなって思ったの。私って根っからの貧乏性だよね」

そこまで言い切って私は息をついた。ノンストップで話したから少し疲れた。

「疲れてるようなら明日また聞くぜ」
「あ、後、もう一ついい?」
「あぁ」

跡部に伝えたいことがまだ一つ残ってる。

「す、き」

好きだよ。

「やきがたべたい」
「……すき焼き?」
「……うん、すき焼き」

しばしの沈黙の後、跡部は額に手を当て笑い出した。それだけの食欲があれば十分だ、と。

「前からだが食い意地張ってるよな。全快祝いはすき焼きで決まりだな」
「よ、よろしく」
「しっかり睡眠を取れよ。治るもんも治らねぇからな」
「うん」
「じゃあ俺は部屋に戻るぜ。何かあれば電話でメイドを呼べよ。絶対に遠慮はすんな」
「うん。わかった。おやすみ」
「あぁ」

跡部を見送った後、私はまた布団を頭に被った。そしてごろんごろんと寝返りを何回も打つ。
だぁぁぁぁ!やってしまった!何がすき焼きなの、私!いや、すき焼きなんて滅多に食べないし。というかお肉なしのすき焼きだからすき焼きと言えるかどうかわかんない物を食べてるからちゃんとしたすき焼きを食べたいけど!って違う!わああ、もう!素直じゃない自分が憎い!でもあそこで好きって言い切っちゃったらそれもそれで後悔したかもしれないし。というかどっちしろ私のバカ!
寝返りを打つのを止めて、ドキドキしっぱなしの心臓の辺りをぎゅっと押さえてみる。
さっきの跡部、本当にかっこよかったなぁ。

「好きだよ」

声に出すとやっぱり恥ずかしい。顔が熱いし、なんだかポカポカする。跡部のせいで熱が少しだけ上がった気がした。でも、良い夢が見れそうだ。
今度こそ跡部に近付ける夢が見られますように、と神様に願って目を瞑った。



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