32

玲子がバルコニーから駆け出した時追いかけることができなかった。俺は失態をおかしてしまったのだ。
彼女のあんな泣くのを我慢している顔を見たのは初めてで、玲子の母親の言葉が思い返される。コイツはこの期に及んで俺の前でも取り繕う気でいるのか。いや、俺の前だからこそ我慢するのだろうか。
同情をしたつもりも見下したつもりもなく、むしろ敬意を払っているつもりだった。ただ玲子から見ればそれが金持ちの道楽として映っていたのだろう。誘うべきではなかったと少し後悔はしたが誤解を解かなくては何も進まない。
玲子を探すが会場はおろか周辺にもいない。外に出たのだろうかと思いSPに尋ねるが玲子の姿は見ていないと言う。
くそ、どこに行きやがった。まさかゲストルームのある二階に行って迷ったんじゃねぇだろうな。
舌打ちしたい気持ちを抑え二階に向かう。すると自室に戻っていたらしいレオンとすれ違った。ケイゴ、と呼び止められるが今はコイツの相手をしてる暇はない。

“無視すんなよ。玲子、今俺たちの部屋にいるんだぜ”

は?今なんと言った?
駆け足気味だった足を止めレオンに顔を向けると、姫様に逃げられたプリンスみたいな顔になってんぜ、と笑われ舌打ちをする。訳を聞けば偶然玲子と遭遇し彼女に助けを求められ部屋に連れて行った、という経緯らしい。
俺には面と向かって助けを求めたこともない玲子がレオンを頼った?冗談だろ、と思ったが本当にことなのだろう。

“フォローしておいたけど相当参ってたみたいだぜ”
“お願いだ、レオン。何も言わずカードキーを寄越せ”
“おいおい、俺の話を聞いてたか?お前が行ったら火に油を注ぐだけだぞ”
“だが話をしないと解決できないだろ”
“何を話すんだよ。まさかお前、告白でもするのか?惚れてもない女に?そりゃ滑稽だな”

思っても見なかったことを言われ何も言い返せないでいた。そんな俺を見てレオンはため息をつく。

“大体のことは玲子から聞いた。でも、俺はお前らのことお似合いだと思ってたんだよ。実際楽しかったんだろ、玲子と踊るの。ただ、玲子はそれを同情だと思い込んでいる。その誤解をお前はどう解く?一番手っ取り早いのは玲子が好きだと嘘をつくことだ”
“そんなことできるわけないだろ”

レオンの提案を否定するとだろうな、と彼は肩を竦めた。
確かに、玲子が好きでこの舞踏会に誘ったと言えば丸く収まるだろう。しかし玲子には誠実でありたいと思うのでそんなことはできない。
彼女を誘った理由も、玲子がいればつまらない舞踏会も楽しくなると思った俺の我儘だった。同情や、ましてや下心を抱いた覚えはない。
玲子の誤解を解くのは難しい。眉間に皺が寄るのが自分でもわかる。レオンはまた一つため息をついた。お前ら日本人は回りくどいのが好きだな、とでも言いたげだ。

“素直になりゃいいんだよ。俺には玲子が必要だーってキスのひとつでもカマしてみろよ”
“嘘の告白はしないと言ったはずだが”
“おっとそうだった”

悪びれる様子もなく面白可笑しくいじってくる辺りこの状況を楽しんでやがる。
どう説得してカードキーを手に入れるか思考を巡らせているとレオンは胸ポケットからカードキーを出し俺の前に掲げた。

“玲子には落ち着くまで部屋にいろと言ってある。ケイゴが行かずとも数十分で戻ってくるだろう。彼女はお前のガールフレンドとして今日の役目を果たす。それでもお前は行くのか?玲子の心を掻き乱してるのはケイゴ、お前だぜ”
“……それでも、俺は行かなきゃならないんだ”
“お前、すげぇ必死だな”
“必死にもなるさ”
“どうしてだ?”

どうして?
レオンに問われ考える。俺が無理やり誘ったから。玲子の機嫌を損ねた原因が俺にあるから。そのどちらも正解だがなぜか腑に落ちない。
押し黙り答えを探しているとレオンはもういい、と俺にカードキーを手渡した。

“いいのか?”
“お前の必死な顔を拝めたからもういい。幸運を願ってるぜ”
“恩に着る”

そしてレオン達が使用している客室の前まで来て足を止める。深呼吸をして走って乱れた呼吸を整えた。
玲子は俺との間に線を引いていた。俺と玲子は違う。そんなの当たり前だ。けれど今は踏み込みたいと思う。少しでも玲子のことを理解したいと思いドアを開け部屋に入ったが、彼女は呑気にコーヒーを飲んでいるではないか。
文句の一つでも言いたくなるが玲子に詰め寄ると急に泣き出したので何も言えなくなった。
コイツも子どもみたいに泣きじゃくるのか。今まで見たことのない一面が見れて嬉しく思った。やはり玲子は脆くて弱い人間だ。少なくとも今だけは彼女を支えてやろう。
正直に今の気持ちを玲子に話し彼女が落ち着くまで待った。そんなボロボロの顔ではもう人前に出ることは無理だろうと思い帰ろうと玲子に提案すると彼女は首を横に振った。

「せっかく練習したんだし、最後までいようよ。今度こそ跡部のフォローがなくても踊れるから」
「靴擦れはどうすんだよ」
「我慢する。だって皆痛いのを我慢して踊ってるんでしょ」
「まぁ、そうだが」
「さっきのリベンジさせてよ。上手に踊りたいの」
「お前、俺が思ってた以上に負けず嫌いだよな」
「それはお互い様でしょ」

玲子の意志は固いようで靴を履き直し立ち上がる。気合い十分の玲子を引き止め控室にいるであろう使用人を呼びメイクを直す用意をさせた。その間俺は鏡越しの玲子を観察する。
気の強い性格は元来のものだろう。猫を被っている様子もあまり無理は感じずそつなくこなしているところを見るに器用なところもある。だが、時に打たれ弱く泣き出すこともある。俺が玲子を外の世界に連れ出した。本人も俺がいたから学校生活が楽しくなったと言っていた。あぁ、そうか。俺が玲子を変えたのか。そう思うと自然と広角が上がる。

「さっきから嬉しそうだね」
「そうでもないぞ」

今まで知らなかった玲子の一面を見られて嬉しかった、とはとても言えない。
メイク直しも済み会場に戻るとレオンの姿を見つけ玲子はレオンに一言言ってくると駆けて行った。キーも返さなくてはならないし、俺も礼を言うべきか。
玲子たちに混ざろうと足を踏み出すと見知った顔に呼び止められた。先程ダンスを断った彼女だ。
どうやら玲子の姿が傍にいないことが彼女にとってスキャンダラスに映ったらしい。
きっと彼女は俺に好意を持ってくれているのだろう。それに気付かないほど間抜けでもなく自惚れでもなかった。
何か言いたげな彼女に先手を打つべく口を開く。

”彼女は自分にとって相応しい女性ですよ。俺が彼女を選んだんです。侮辱するようなことは許しませんよ”

今、玲子を守れるのは俺しかいない。なら全力で彼女を守るのみだ。
玲子がこちらに気付き目が合う。では、と彼女に別れを告げ玲子の元へ向かうと傍にいたレオンが笑っていた。モテる男はツライな、と冷やかしに似たことを言うのでカードーキーを返却するついでに胸を小突く。

“玲子、今度ケイゴの昔話をたっぷりと話してやるよ”

そうレオンは告げ、自分の彼女の手を取り雑踏の中へ紛れ込んだ。玲子が心配そうに俺の顔を覗く。

「大丈夫だった?」
「あぁ。ほら行くぞ」

玲子の手を取り、曲が終わったタイミングで会場の真ん中辺りに陣取る。凛々しい顔つきの彼女を見て、もう俺のフォローは必要ないだろうと悟る。とてつもなく頼もしい存在だ。




舞踏会は盛大なフィナーレを迎えた。
レオンたちに別れを告げ車に乗り込む。玲子はレオンの彼女と親しくなったらしく連絡先を交換していた。
友人が出来たのなら良かったと思う。玲子にとってかけがえのない経験であったことに間違いはない。
ダンスを100%の力でやり切った玲子の機嫌は良く、楽しかった、と口にした。

「泣いたり笑ったり忙しい奴だな」
「その節はご迷惑をおかけしました」
「まぁ楽しかったのならいい」
「ごめん。もうあんなことは言わない。跡部が同情なんてするはずないもんね」

誤解が解けたのなら良かった。少しは理解し合える関係になれたのだろうか。レオンに問われた答えも出ないまま跡部家に着きお互い着替えを済ませ玄関で落ち合う。
花束を抱えている俺の姿を見つけて玲子は驚いていた。ガーベラをメインとした花束は玲子の母親に用意したものだ。

「どうしたの、それ」
「玲子の母親に。俺からのクリスマスプレゼントだ」
「わー、やることがキザだね」
「金品は受け取ってもらえないだろう」
「そうだね。お母さん喜ぶよ。でも直接渡したらいいのに、お母さんまだ起きてるよ」
「いや、それは遠慮する。さっき滝川家にケーキを届けたから一緒に食べてくれ」

ケーキと聞いて玲子の目の色が変わる。
まぁ跡部家が贔屓にしているホテルのパティシエが作ったケーキなので美味いのは間違いないが、そんなに喜ばれるとは思っていなかった。結局花より団子らしい。
車に乗り込むところまで見送ると玲子は花束をしっかりと抱え満面の笑みで俺に礼を言う。

「跡部のおかげで最高のクリスマスになった」

さっきまでピーピー泣いてたじゃねぇか、とは口に出さず代わりに、花も似合うものだな、と褒めてやると玲子は照れたように笑った。
玲子もそんな顔をして笑うのか。いつもの気の強さは影を潜めているようで、普通の、笑顔の可愛い女の子という印象を持ち、憑き物が落ちたような清々しく晴れやかな表情をしている。
どうやら俺は玲子が引いた線を超えることができたようだ。



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