31

会場から飛び出したものの、一体どこへ逃げたらいいんだろう。
ここは跡部の別荘だ。外に出るにしたって玄関にはSPさんがいるだろうし、その人たちに見つかれば強制的に跡部の元へ連れて行かれる。
頭を抱えながら逃げ道を探していると運が良いことにレオン君に遭遇した。彼女さんは友人と会場にいて、彼はお手洗いに行ってその帰りだと言う。

“レオン君ヘルプミー!”

私が切羽詰った顔をしていたので緊急事態だと察してくれ、場所を移動しようとレオン君たちが使用しているゲストルームに案内してもらった。
跡部家のゲストルームと造りはほぼ同じだけどこの部屋は二人用らしくツインベットが並んでいた。
コーヒーを淹れるから座ってろ、と言われたのでソファに腰を下ろす。バーカウンターにはスタイリッシュなコーヒーマシンがあり、レオン君は手際良く何かのカプセルをコーヒーマシンにセットした。ボタンを押し、すぐに熱々のコーヒーがカップに注がれる。なるほど、そうやってコーヒーを抽出されるのか。ハイテクな機械だ。
コーヒーマシンに視線を向けているとそんな珍しいものか?とレオン君が聞いてくる。スタンダードなものだろ、と一家に一台所有しているのが当たり前だと思っている彼に私にとっては珍しいものだよ、と答える。
実際我が家にはコーヒーメーカーを置いてない。嗜好品と呼ばれる物は置かないし買わないのが当たり前。あるといえば特売で買った緑茶のお茶っ葉ぐらいだ。
レオン君はすぐに会場に戻るからと自分の分は淹れずコーヒーカップを私の前に置いてくれた。

“ありがとう”
“ケイゴと何かあったんだな”
“ちょっと喧嘩しちゃって”

喧嘩ではなく私が一方的に啖呵を切っただけだ。
私の歯切れを悪さに跡部に原因があると思ったらしいレオン君はどうせケイゴに何か言われたんだろ、と大きく息をつき向かいの一人用のソファに座った。

“それがそうでもなくて。……私ね、本当の恋人じゃないんだよ”

レオン君に打ち明けると彼は驚いた様子もなくそれで?と続きを促された。
驚くと思っていたのにどうして冷静でいられるんだろうと疑問をぶつけると見栄を張って嘘をつく人もいると言う。

“伊達に何年もこういう場を経験してねぇよ。ただ、ケイゴと玲子はそうは見えなかったけどな”
“……私、こんな煌びやかなパーティーに参加できる身分じゃないんだ。跡部はそれをわかった上で私を招待してくれた。それが嬉しかったんだよ。ちゃんと内側を見て評価してくれてるんだと思ってた。だけど気付いちゃった。私を招待したのは同情だったんだよ。こんなキラキラした世界を知らないなんて可哀想だって思ってることに。哀れんでるんだって気付いた。私と跡部とじゃ住む世界が違う。それがはっきりとわかったの”
“それ、本人が言ったのか?”

レオン君の問いに首を横に振る。
全部私の想像だ。でも、なんとなくわかる。今までだってそうだった。人の気持ちを推し量って、ずっとそうやって生きてきた。

“知ってるか?昔のケイゴ、俺にテニスで惨敗してたんだぜ。昔っから負けず嫌いで、日本に帰国する頃には俺と張り合えるぐらい上手くなっててさ。まぁ女性をエスコートするのは俺の方が上だったけどな。昔馴染みの俺から言えるのはケイゴはそんなチンケな同情をするような男じゃないってことだ。アイツは中身で人を判断する。ケイゴが玲子のことを可哀想だと思った?バッカじゃねぇの。違うだろ。ケイゴは玲子を選んだんだ。自分のパートナーに玲子が相応しいと思ったんだろ。それに同情?笑わせるなよ。大方こういう世界もあると、玲子が思っている以上に世界は広いってことを見せたかったんだろ。ケイゴは自分が見えている景色を玲子にも見せたいと望んだんじゃねぇのか”

アイツはそういう奴だ、とレオン君は困ったように笑う。
本当にそうだろうか。私と跡部じゃ不釣合いであの女の子たちの方がお似合いだと思ってしまう。そう考えると胸のざわつきが増すけど。
納得できてない私を見てレオン君は意外に頑固だな、と肩を竦めた。

“少し頭を冷やしたほうが良いかもな。ケイゴには玲子が無事なことは伝えておくから落ち着いたら会場に戻ってこい”
“ありがとう、助かる”
“この際だ、思いっきりケイゴを困らせてやれ”

ケラケラと笑うレオン君はソファから立ち上がり素直になることも大事だ、と私を見据える。

“玲子と踊るケイゴ、すげぇ楽しそうだったぜ。それだけ価値があったんだろ”

価値?私と踊ることに価値なんてあるんだろうか。
その答えは見つからないままレオン君は部屋から去って行った。
一人になった部屋はなんだが物悲しい。防音の設備はバッチリなようで会場の音楽も聞こえなかった。
ソファに寝そべりたかったけど髪をセットしてくれたメイドさんに申し訳なくて靴だけ脱ぐ。靴擦れ防止に貼っていたテープがボロボロになっているのを見て、私はやっぱりガラスの靴なんて似合わない人間なんだと痛感した。
でもきっと、皆そういうのを我慢して綺麗に着飾ってるんだ。影で努力して表ではそんなこと微塵も感じさせないように装ってる。
胸が苦しいのは相変わらずでぎゅっと自分の心臓辺りを手で押さえてみる。
こんな自己嫌悪になるクリスマスイブは二度目だ。
そんなことを考えていたら一度目のことを思い出してしまった。その思い出は、小学校一年生の時のクリスマスまで遡る。
当時の母は朝から晩まで働いていた。母が度々うちを空けるので私の家が貧乏だってことは幼いながらも知っていたし、クリスマスプレゼントなんていらないと思っていた。
けど、あの日は違った。私に父がいないことをよくからかっていた男子に言われたのだ。
『クリスマスのプレゼントに父ちゃんが欲しいって母ちゃんに言ってみれば』と。
今にしてみればそれは不謹慎極まりないけど、当時純粋だった私はそれを真に受けてしまいイブの日に母に言ってしまったのだ。
『お父さんが欲しい』と。
『サンタさんが新しいお父さんを連れてきてくれるんでしょ』と。
本当に残酷なことを言ってしまったと思う。その時の母の表情は覚えてないけど、きっと悲しい顔をしていただろう。けど母は私にこう言い放った。
『玲子が欲しいって言っても新しいお父さんはずっと来ないよ。玲子のお父さんはお父さんただ一人だけなんだから』
母はもう既に再婚はしないと決めていたのだ。母の想いは私が思っている以上に一途だった。
母の想いなんて当時の私には理解出来るはずもなく、私はわんわん声を上げて泣き出した。ずっと来ない、と言われたことがショックだった。
あまりのショックに気付けば家から飛び出していてよく知らない公園に辿り着いた。これが初めての家出だったわけだけどあっさり見つかってしまった。母は今私が愛用している自転車をかっ飛ばして私を探していたからだ。
母は泣いていた。ごめんね、と何度も謝って私を抱き締めた。私も母の腕の中で号泣した。それからごめんね、と何回も謝った。
あの時のことを思い出してちょっと涙目になってしまう。
跡部は今頃どうしてるだろう。
あの子たちの相手に疲れてるか、踊りの誘いを受けているかもしれない。そうだったらちょっと悲しい。逆に私のこと探してくれてたら嬉しいな、と思うのは私のワガママだろうか。
あんなこと言って逃げ出したけど嫌われたくないのが本音だった。
会いたい、と思った。
口が悪くて俺様で、傍若無人な素直じゃない奴だけど、恋しいと思った。
会いたいと言葉にしたらきっと泣く。
急に昔に戻った気がした。あの時も、私はこんな感じだった。不安で胸がいっぱいで、暗いし寒いし、お母さんが私を見つけてくれなかったらどうしようと思っていた。
そうか、私は心細いんだ。跡部との関係が壊れるのが怖くて怖くて堪らないんだ。
今からでも遅くないかな。さっきのことをちゃんと謝って今まで通り過ごしたい。女友達のままでいい。嫌われるよりマシだ。だって私は、……私は?
あれ、なんで跡部のことを考えると胸が締め付けられたみたいに苦しくなるの?

「えっ……」

驚きのあまり自然と声が出た。
いやいやいや!何考えてんの私!跡部のことを考えてたら胸が苦しくなる?いやいや、そんなの新手のストレスかなんかでしょ。とりあえずコーヒーを飲んで落ち着こう。
認めてしまったら何かが変わってしまう気がして気を紛らすためにコーヒーカップに手を伸ばす。そのタイミングで出入り口のドアの鍵が開けられ誰かが部屋に入ってきた。レオン君が忘れ物でもしたのかな、とドアに目を向けるとそこに跡部がいた。
一瞬息が止まった後、心臓の鼓動がいつもより早くなる。どうしてここにいるの。

「何呑気にコーヒーをよばれてんだよ、アーン?心配かけさせやがって」
「あ、とべ?」

跡部は私を見つけると必死の形相で詰め寄ってきた。めちゃくちゃ怖い。怒ってる。当たり前だけど。

「どうしてここがわかったの」
「俺様の力を使えばこのぐらい造作もねぇんだよ」

そう勝ち誇って言う跡部を見てさっき感じていた不安が吹っ飛んだ。
私のことをちゃんと探してくれるんだ。お母さん以外に私を探してくれる人がいたんだ。そう思うと胸がいっぱいになった。
鼻の奥がツンとした。もう駄目だ、と思った瞬間に涙がボロボロ溢れ出す。

「ごめん、跡部。ほんとうに、ごめん」

謝っても許してもらえないかもしれない。でもきちんと謝りたかった。
会いたかったよ、跡部。でも絶対に泣くから会いたくなかったよ。いや、それは嘘だ。会いたくてしかたがなかったんだよ。

「お前、泣き顔不細工だな」
「うっさい!っ…うう」
「ったく。ほら、使えよ」

泣いて謝るとは思ってなかったらしく完全に毒気が抜かれた様子の跡部は私の隣に腰を下ろし、顔にハンカチを無理矢理押し付けてきた。うぐっ、と声が出てしまう。そんな私を見て跡部は笑っていた。心なしか嬉しそうに見えるのは私の気のせいだろうか。

「……さっきは言い過ぎた。本当にごめん」
「俺は玲子に謝ってもらうために探しにきたわけじゃねぇぞ」
「じゃあ、なんで」
「俺が謝りに来たんだ。すまなかった」
「なんで跡部が謝るの」

跡部は全然悪くない。勝手な想像で暴走したのは私だ。レオン君の言う通り、跡部は人を見かけで判断するような人じゃない。

「……正直、最初の頃は玲子のことを可哀想だと思っていた。住んでる場所はボロアパートで、性格はひん曲がってやがる。氷帝の生徒に相応しくないとさえ思っていた。確かに、滝川家は貧しい。昨日改めて実感した。ただ、そこに本物の家族が見えたんだ。親父が玲子に肩入れする理由もわかる気がする。……俺自身も少なからず影響を受けてたんだろうな。だから俺は玲子と対等でありたいと思った。舞踏会に招待したのも、玲子がいたら退屈な時間も楽しく過ごせそうだと思ったからだ。同情でも哀れみでもねぇ。俺は滝川玲子を一人の人間として見てる」

だから悪かった、と跡部の真剣で真っ直ぐな瞳が私の瞳に映る。
心臓がぎゅうっと掴まれたように痛んだ。
モヤモヤしたりイライラしてたのはあの子たちに嫉妬をしてたからだと気付いてしまった。跡部を好きな彼女たちが羨ましかったんだ。
もう言い逃れはできない。胸が張り裂けそうなこの気持ちの正体に気付いちゃった。悔しいけど素直に認めてやる。
私は跡部のことを、とてつもなく、どうしようもなく、好きだ。



back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -