16

温かい匂いがする。何だかそれは幼い頃母親と一緒に寝ていた時に感じた匂いに似ていて、とても心地いい。
起きたくないなぁ。目を開ければきっとこの匂いは消えてしまう。ずっとこうしていたい。このままずっと温かい温度に包まれていたい。

「おい、……起きろ、玲子」

うるさいなぁ。私の安眠を邪魔しないでよ、誰かわかんないけど。

「玲子」

だからうるさいってば。というか誰が私を呼んでるの?

「遅刻するぞ」
「!!」

耳元でそう言われ、私は飛び起きた。遅刻なんてもってのほかだ!優等生(仮)の私は遅刻なんてしてはいけないのよ!

「はぇ!?あああ、あとべ!?」
「爆睡してたな」

ニヤリと笑う跡部が視界に入り無意識に後ずさりしていた。そうか、私は跡部家にお泊りをしたんだった。

「なな、何でアンタがここに。ま、まさか夜這いなんてしようと!」
「なわけねぇだろ。俺様が直々に起こしに来てやったってのにその態度は気に食わねぇな、アーン?」
「起こしに来てくれたの?」
「だからそう言ってんだろ」

まぁ確かに、冷静になって考えてみればそうだよね。跡部も私なんか夜這いしても頭おかしくなったのかと思われるだけだし、もし仮に何かあったとしても訴えればいいんだ。でも訴えれば費用とか莫大に掛かっちゃうんだっけ。それだけは避けたいな。

「あれ、もしかして跡部走ってきたの?」

跡部の格好は昨日の夜とはまた別のジャージを着ていて、制服でもなかったので聞いてみた。跡部は毎朝運動を欠かさずに行なっているらしい。

「もうすぐ朝食の準備が出来る。その間に着替えておけ」
「はーい」

それだけ伝えると跡部は部屋を出ていこうとするので私は跡部を引き止めた。言い忘れてたけど朝の挨拶を私たちはまだ交わしていない。

「おはよう、跡部」

私は跡部に笑顔を向ける。やっぱり誰かにおはようって言うのは気持ちがいいな。一日が始まったって気がするもん。そして跡部は小さく笑って、

「あぁ、おはよう。その寝癖、きちんと直してこいよ」

と言って部屋から出て行った。
ね、寝癖?そんな、まさか。昨日ちゃんと髪を乾かして寝たから寝癖なんてついてないよ。あれは跡部なりの照れ隠しかなんかだろう、うん。
ベッドから下り、鏡台へ一直線に向かう。……ピョン、と前髪が立っていた。恥ずかしいところを跡部に見られてしまった。

なんとか寝癖を直すことが出来、制服に着替えて少しぐらいしてからメイドさんが迎えに来てくれた。やっぱり案内してくれる人がいないと迷子になってしまう。
というかそれよりも目の前に並んである朝食が凄い。スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、スープ、パンに飲み物。完璧な貴族の朝食に小さくお腹が鳴る。そこに跡部もやって来て一緒に朝食をとることになった。

「寝癖は直ったみたいだな」
「あれは不覚だったわ」

パクパクとスクランブルエッグを口に中に入れる。跡部は私を見て笑っていた。ぬぉぉ、怒りたい。でもこのスクランブルエッグ美味しいぃぃ。この前のホテルのスクランブルエッグも美味しかったけど、跡部家のも美味だ。怒りが収まるぐらい美味しいよ。

「怒ってんのか嬉しいのかどっちなんだよ」
「え?」
「顔、さっきから百面相みたいにころころ変わってるぞ」
「美味しいもの食べてたらイライラが吹っ飛んだんだよ」
「幸せな奴だな」
「はいはい、私は単純なことで幸せになる奴ですよー」

さっきからちょくちょく嫌味を言われてるけど前みたくあまりイライラしない。何でだろう。あ、美味しい物を食べてるからか。それは納得。

「あぁ、言うのを忘れていたが、昼休みは生徒会室に来い。昼食を用意してやるよ」
「え、いいの?」
「購買で買うよりマシだろ」

跡部ってこういう気遣いは出来るのよね。ちょっと俺様な態度だけど、ちゃんと周りのことを見てるっていうか、そんな感じ。
タダで豪華な昼食を食べられるんだから昼休みは生徒会室に行くことにしよう。
そして跡部は朝練があるからと先に学校に登校するということで、私はメイドさんに交ざり見送りをすることにした。久しぶりにゆっくり出来た朝だったし、その時間をくれたのは跡部だ。
エントランスで待っていると支度を終えた跡部に何をしてんだ、と言われた。

「景吾坊ちゃまのお見送り。いってらっしゃいませ」
「お前、こういう仕事向いてるな」
「猫を被ってるから、でしょ?」
「賢い奴は嫌いじゃないぜ」
「はいはい。とにかく、いってらっしゃい跡部。また教室で」
「あぁ」

跡部がベンツに乗り込み一応手を振って見送る。って同じ学校に通ってるし、というか同じクラスなんだから毎日顔を合わせてるんだけど。学校での優等生モードの私は教室ではあまり喋らないようにしているし、跡部と仲良くしている、ということが知られたら今度こそ一貫の終わりだから余計に跡部と喋りづらい。ただ生徒会室は跡部のプライベート空間なので素の私でいられる。生徒会室に来いと誘ってくるあたり、跡部はそのことに気付いているのかもしれない。さすが生徒会長というべきか、そういうことに関してはありがたいと思う。
学校はある意味戦場だ。狭い教室に何十人という生徒がひしめき合っている。私立でエスカレーター式の学校だから表面上は仲良くやっているけど本音はわからない。跡部倶楽部じゃないけれど、お金持ち同士の暗躍が詰まっている場所でもあるだろうし、少しだけ貧乏で良かったと感じた。私が跡部だったら多分潰れる。跡部財閥の御曹司という重圧に押し潰されてしまうだろう。そう考えると跡部は跡部なりにいろいろ背負っているんだろうな、と思う。
そして待ちに待った昼休みがやってきた。跡部の言われたとおり生徒会室に行くと樺地君はおらず、二人っきりである。机には二つのお弁当箱が置いてあった。

「樺地君は?」
「今日はいない」
「休み?」
「樺地に限ってそれはねぇよ。教室にいる」
「お昼ご飯は?」
「見てのとおり今日は弁当だ」
「えっ」

跡部が私に感化されている!?
私は別にお弁当でも構わないけど。あ、でもちょっと期待してたけど、しょうがないか。って、何で急にお弁当!?本当に私に感化されたの?庶民の味もたまにはいいだろうっていう金持ちの余裕?

「どうしちゃったの?」
「どうもしてねぇよ」

と、跡部は机に置いてあるお弁当箱を手に取り蓋を開けて食べ始めた。冷めた弁当もいいな、と跡部は言う。朝練の時にテニスボールでも頭に当たったんじゃ?といささか疑問に思いながらもお腹がすいたのでお弁当を食べることにした。

「美味しい」

これはまた、私のお弁当は違った美味しさのお弁当だ。このお弁当も跡部家の料理人の人たちによるものらしい。お弁当は冷めても美味しいけど、このお弁当はそれ以上に美味しい。

お弁当を食べ終え、跡部は生徒会長の席でパソコンのキーボードをカタカタと叩いていた。来週にある会議に向けての書類を作っているという。
私はこの静かな生徒会室を利用して勉強をすることにした。何度も言うけど中間テストが迫っているのだ。跡部が生徒会の仕事をしている今がチャンスだ。跡部を追い抜くことを目標に。夏休み明けのテストのリベンジだ。

「……前から気になってたんだが」
「うん、何?」
「玲子はいつ勉強してるんだ?」
「今、だけど。それがどうしたの?」
「まぁそうだが。バイトも毎日のように入ってるだろ」
「あぁそういうことか。こういう昼休みとか、バイトの休憩中だとか、空いた時間を見つけて勉強してるよ。学校のテストってさ、授業でやったことしか出ないから復習を繰り返してればそれなりの点数が取れるんだよね。夏休み明けのテストは不覚だったけど」
「なるほどな。で、今度のテストの手応えは?」
「どうだろう。なんかいろいろあったから。順位は上げたいんだけどね。あ、跡部のせいって言いたいわけじゃないよ」
「勉強、教えてやろうか?」
「はぁ!?何言ってんの、正気?」
「俺は正気だが」

跡部は私の傍まで来て、私が見ていた数学の教科書を手にした。
さっきからどうしたの跡部。本当にテニスボールでも頭に当たった?

「み、見返りは?」
「俺様は見返りなんて求めねぇよ」
「本気?」
「教科書との睨み合いよりも人に教わった方がいいと思うがな」
「順位、上げてくれる?」
「簡単だな」

俺様を誰だと思ってる?と跡部は自信満々に鼻で笑った。せっかくの跡部の厚意だ。裏があるとは思えないから私はその提案に乗ることにした。



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