「アサミ」
そう呟いたキリの声に思わず身構えた。普段のキリからは考えられないような鋭く、冷たい声。人の感情を読み取ることが得意な俺でも、声の本質はまったく読み取れないほど声に感情が篭っていなかった。
隣にいるのは一体誰だ?そんなわかりきったことがわからなくなる。隣にいるのは本当にキリなのだろうか?
キリに謝罪の言葉をかけるアサミと呼ばれた彼女に、ふいにキリが抱き着いた。
「もう、いいの。私もアサミの立場だったらああしちゃうもん」
「キリ…。っありが…」
先程の声が嘘に感じられるほど、キリの声は暖かい。その声と先程の声、どちらが本当のキリかなんて俺には判断出来なかった。
根拠のない疑問にうまく答えを当て嵌められなくて、俺は勝手に名前を呼んだ声がたまたまだと決めつけた。無駄に干渉するべきではない。そう俺が考えている間、二人は黙ったまま抱き合っていた。
「…キリ、」
しばらくしてキリを呼ぶ声は、喜びとはまったく違う色が混ざっていて、どの声が本物かなんて判断出来なかった。
じゃあね、と手を離し、こちらに駆け寄るキリの姿は普段となにも変わらず、心の中に少しだけ恐怖が燻った。恐怖を感じるほどの違和感の正体はなんなのだろうか。
「待たせてごめんね。行こっか」
そう言って微笑むキリを見て、一つの可能性が頭を過ぎった。可能性としては無くは無い。しかしその可能性が当たっていたとしたら、キリにとって俺はなんて滑稽に見えていたのだろうか。可能性、つまりキリも俺と同じ様に、もしくはそれ以上に猫を被っていたのなら、先程の違和感も全て説明がつく。
「それじゃ、ばいばい」
「…あのさ」
手を振って笑顔でアパートへ帰宅しようとしたキリを右手で掴んで呼び止める。
「……?どうしたのトウヤ」
その笑顔は見慣れたもので、初対面から今までずっと変わらない笑顔で、その笑顔に慣れすぎてずっと気付かなかったんだ。
その笑顔は、偽物だ。
「俺が言うのもなんだけど、」
手を握る力を少し強める。顔を合わせ、瞳をじっと見つめて口を開く。
「…なんで猫被ってるの?」
その台詞にキリの笑顔が消えた。
「……どうして気付いた?」
「なんとなく、だけど」
「そう」
さも興味なさげに呟いたキリの表情にも声音にも感情は篭っていなくて、まだ春だというのに背筋に冷や汗を感じた。半歩後退ると、キリは薄ら笑った。
「見抜かれたのトウヤが初めてなんだよね」
親にもばれたことないの、とニヤニヤと笑みを浮かべたままキリは言った。
「だからその記念にどうして私がこうなったのか」


きみにおしえてあげようか


その言葉にただただ頷くしか出来なかった。





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