007


決して平穏と言えぬ人生を決断した。
理性ではなく心で、彼の、指切り落とされた短毛に覆われる手を離したくはないと契りを交わす。
人の道を外れようと獣人の雄とともに

何本もの無情な凶剣が彼を貫くのを
潜り込んだ床下の隙間から目にする

必死に息をひそめて──神を呪った

顔に服にあたたかな彼の朱がしたたり段々とぬくもりが失せる。騒がしい野蛮な兵士たちの靴音が止んでいくなか

かすれゆく呼吸と最後の言葉


あいしてる



やわらかい感触が全身を包む。鉛のよう四肢の倦怠感に苛まれこのままもう一度意識を手放そうと力抜き、ひやりと額を擦る感触に、重い瞼を力入れ光を瞳に取り入れる

「あ。起こしちゃった」

視界に映る布が取り外されて、声する方を見やるとまばゆい星屑が散りばめられているかのよう透き通る髪をさらりと揺らす美しい女性

「うなさてたけど平気かな」

自身が寝かされているベットの側に椅子座り、寝汗を拭いてくれたのか綿の手拭いを後ろに侍るメイドの方へと手渡す。

「おかあさん!」

上体を起こすのを補助してくれながら身なり整えられている愛しい我が子が胸に飛びこんでくる。

「あぁフェリシア‥‥あの‥ここは」
「私の屋敷さ」

清潔なシーツにふっくらとセトラとフェリシアを包むマットレスが敷かれている天蓋付きベット、掃除が行き届いている室内は一人住み使うには余りある衣装箪笥やソファーにドレッサーなど家具が置かれ、遠目からでも精巧な造りと判る調度品が揃えられてある。まるで貴族然とする優雅な内装。高い天井から垂れるカーテンを通して、部屋内を照らす日の光がこれが夢ではないと思い知らされる

「先に謝っておこう──勝手に身体を拭かせてもらったんだけど、これは貴女の血じゃないね」

いつの間にか自分もシルクの寝巻きに身を包んでいる事に気付く。女性が椅子から立ち上がり、入れ替わりメイドの方が丁寧に畳まれたそれを差し出す

鼓動が跳ね上がり現実が脳裏甦る

「ぁ‥‥あ、あぁ‥」

朱をべったりと染められた自分の衣服。
最後に凶剣をすべて引き抜いてから抱き締めた、抱き返してくれたあの人の腕は、もうどこにも

錆鉄の匂いすら構わず差し出されるそれを顔にうずめて溢れる悲壮がこみ上げられる涙がとめられない

崩れるよう肩を震わせ咽び泣く母親の傍に寄り添うフェリシアに、そっと頭を撫でナマエはこの場を任せるよう目合わせる。了承の頷きを見届けたあと、部屋を退出する主人に続きカーリィナも用意していたガウンを母親に羽織らせ肩に手を添える

「落ち着いたら何かお腹に入れなさい」

消化によいとされる食事の温度が下がらないよう魔法を施し、配膳していたカートをそのままに静かに部屋のドアを閉める。

部屋から数歩離れての壁に背を付いて寄りかかり、腕組みながら目を閉じていらっしゃる主人の元へ

「カーリィナ」
「はいナマエ様」

瞼開け組んでいた腕をほどき、壁から離れて向かい合わせになる主従。

「手を」

両腕の掌をカーリィナに見せるよう、それに習い。自身の両手を主人のと重ねる

「ふむ‥‥ちょっと冷たいんだな」

いたずらっ子のよう顔をほころばせる主人にもう胸を締め付けられる衝動に駆られながら震えそうになる両脚を叱咤し、表情を引き締める状態を保つ

「私の種族は<水精妖乙女ローレライ>──人間とは異なりこの身体は水と成っております故」

手を離された主人に名残惜しつつもナマエ様自らの御手によってこの命、創り出された自負に偽りなし。

「そうだった」
「そうですナマエ様、こちらをお渡ししそびれてました」

メイドエプロンのポケットから取り出すそれ

「ん!?それはもしやっ」
「僅かばかりの貨幣でしょう、村の代表者が是非にと」
「うん!そっくりそのまま返しましょう!」

麻の小袋に金属が擦り合わす音、これがカーリィナの手に渡るまでの経緯は今よりも数時間前に遡る。




フェリシアとセトラを無事に救出し、
拠点に帰還したナマエは息つく間もなくせわしなかった

「おおおお天国シャオラァアア!」

屋敷の食堂で待っていたのは異世界に転移されてから初めてお目にかかるカーリィナお手製アップルパイ!
ああカーリィナどこに出しても恥ずかしくない我が自慢の娘!

「大好きだーっ!」

突然の主人の告白に卒倒しそうなカーリィナは強靭な胆力を以てして踏み留まり、目頭が熱くのを腰を九十度曲げてお辞儀することでナマエに悟られぬよう努める。

「お前さんって結構わかりやすい性格なんな?」
「黙りなさいっ!この駄牛」

きらめくアップルパイを切り分ける作業に夢中なナマエをよそに。アレクサンドルが屈んでお辞儀しているカーリィナを覗き込んで、逆に射抜かれん程睨み返される。

「いただきまーっす!」

拠点に着いてから身綺麗にしてもらい、同じく食堂の場にいるフェリシアは今までこんな豪華な屋敷と広大な敷地を見たことがなかった、開いた口が塞がらないそこにカットされたアップルパイが放りこまれる。

「ふぅほひぃー!」
「や何言ってるかわからんっ」

快活笑うナマエに急いで咀嚼するも

「ほいひー!」
「だろー!うちの娘の料理は世界一だーっ!」

因みに言った言葉は賛辞の「すごいー!」と「おいしー!」である。
アレクにも切り分けたそれを手渡し、まだ幼児であるフェリシアの食事の面倒を見ながら平らげる。

「っふ仕方ないから貴方にも世界一のアップルパイを差し上げてやるわ。ナマエ様の御慈悲に感謝することね」
「ああー‥‥(やっぱ面倒な性格だこりゃぁ)」

腹が満たされたことで、更に目まぐるしい苦難の一日を乗り越えたフェリシアは身体が欲する要求のままテーブルに突っ伏して睡眠に身を任せる。
カーリィナの部下である一般メイドの<水精霊ウンディーネ>の一人が怪しまれないよう、人間の姿を保ったままフェリシアを抱えて食堂をあとに寝床へと運んでいく。

「さてと」

掌をあわせ感謝のごちそうさまを唱えて


「西の村をる」


獰猛な笑みでにやつくアレクサンドル。
微動だに表情変えぬまま胸に手を当てこうべ垂れるカーリィナ。ああなんて心強い臣下たち

「奴ら──まだフェリシアと母親を諦めていないだろう、最初の奴らはただの捨て駒だ。次に寄越してくるのが本命の正規軍だ」

糞の役にも立たなかった奴らだったが仮にも兵士だ、帰還しないのであれば次軍を投入するのは必然。

「あっちから仕掛けてきた喧嘩だ。買わない道理はない今度はこっちから往く」
「いいんだな大将?暴れても」
「許す。ただし一撃だ、一撃で村を奪るのに必要な時間と情報が欲しい」
「御心のままにナマエ様──我ら如何なる命令をも遂行する次第」
「先に魚人マーマンたちが村の地形を探ってくれている。彼らが戻ってくるまではカーリィナ、他の子たちが皆平気だったか教えてくれ」


よろしいならば戦争だ




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