策士か、否か

さて、どうしたものか。

お昼休みに入りざわざわとした空間の中、私は腕の中にある物を抱えて一人席で迷っていた。そう、古森くんから借りてしまったジャージを抱えながら。

古森くんと一緒に帰った昨晩、帰宅するや否や私の格好を見た母親に「あら〜?そのぶかぶかのジャージどうしたの?」とニヤニヤされながら質問攻めに遭ってしまい、家に入る前に脱げば良かった、と私の中で後悔の嵐が吹き荒れたものだ。

事情を簡潔に説明すれば「へぇ〜。いいじゃないその子。名前も青春してるのね〜」と揶揄いながら、母は洗濯機の中にジャージを放り込んでいたっけ。そういうことを言われると、余計に意識してしまうからやめてほしいのに。

いつもの見慣れた洗濯機のはずなのに、古森くんのジャージが一緒に入っているという事実がどうにもこうにもむず痒くて、母に「乾燥まで終わったら私が取り出すから!」と吐き捨てたのが帰宅してからの出来事。

そして今。彼に借りた時とは異なる柔軟剤の香りをたっぷりと含んだジャージを丁寧に畳み、袋に入れて持って来たはいいものの、どのタイミングで返しに行けばいいか悩みに悩んでいる。

一年生の教室は棟が違うから、ただの十分休憩ではバタバタしてお礼もろくに言えなさそうだし…と考え、私はお昼休みに決行しようと考えていた、ところまではよかった。

しかし、一人で他学年の教室へ行く勇気はなく明日香についてきてもらおうとしたところ、彼女はタイミング悪く担任に日直のことで呼び出されてしまったのだ。「ごめん!」と詫びながら教室を出て行く彼女を見届け、最後の頼みである飯綱くんへ声を掛けようとしたら、席に彼の姿は見当たらない。クラスメイトに話を聞くと、どうやら彼は授業で分からなかったところを教師に質問しに行っているらしい。

授業中たまに寝たりしているくせに、なんだかんだで真面目なんだから…!と理不尽な理由で彼に対して文句を言うも、何かが起きるわけでもない。そうこうしているうちに時計はチクタクと針を進めていくし、さすがに一日空けて返すのも気が引ける。

「(こうなったら、やるしかないか…)」

迫りくる昼休み終了の時間まで、あと二十分。移動の事も考えたら悠長にしていられない。なんとか自身を奮い立たせた私は、これでもかと言うほど主張が激しい色をしたジャージを胸に抱き、教室を飛び出したのだ。


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が、しかし。一年生の教室がある棟に着いてから気づいたことがある。私、古森くんのクラス、知らないのでは?

二年生の棟とはまた異なる、新鮮さと活気に溢れている廊下で一人呆然と立ち尽くしながら、そんなことを思う。我ながら、考えなしにも程がある。

部活の後輩達に聞けば、彼のクラスくらい分かるかも知れない。しかし、変に聞いて「もしかして付き合ってたりするんですか?」などと有りもしない噂を立てられてしまうのも憚られる。いや、私の考えすぎなのかも知れないが。

「(どうしよう…来たはいいけど、当てもないし今日は帰ろうかな……)」

運良く廊下に古森くんが居れば、と思い目を酷使して見渡してみたけれども、残念ながら彼らしい姿は見当たらなかった。やはり、諦めて帰るしかなさそうだ。そう思い、肩をがっくしと落としながら踵を返したその時、誰かにドンッとぶつかってしまう。

「わっ…ご、ごめんなさい…!!!」
「……………苗字さん、」
「え?あっ佐久早くん」
「……ドモ」

その相手とは、なんたる偶然だろうか、古森くんの従兄弟である佐久早くんだった。ジト…と見下ろされる威圧感は毎度慣れないけれど、この廊下の喧騒にかき消されそうなほど小さな声量でもキチンと挨拶してくれるあたり、案外お話ができるのかも知れない。

彼の漆黒の瞳をジッと眺めていると、気まずそうに目線を逸らされてしまったけれど、私はそこでハッと閃いたのだ。

「さ、佐久早くん」
「……………何ですか」
「折り入って頼みたいことがあるんだけど…」
「…嫌です」
「え、ちょ、まだ何も言ってないのに…せめて聞いてほしいな……?」

せっかく名案だと思って佐久早くんに助けを求めようと提案した矢先、話を聞く前にぶった斬られてしまった。まさかここまで潔く断られるだなんて思っていなかったから一瞬心が折れかけるも、もうこの子しか頼める子がいないのだ。私は去ろうとする佐久早くんの腕をガシッと掴み、何とかして踏み止まらせる。

「お願い!これだけ教えてほしいの!」
「…声デカいっす」
「ご、ごめん…。えっと、その……古森くんのクラス教えてほしくて」
「………なんだ、そんな事すか」
「私にとっては死活問題なんだよ…!」

やっぱり、佐久早くんは見かけによらず意外と喋ってくれるみたいだ。それは良いのだけれど、そんな事だなんて。どうやら彼は思っていることを随分ハッキリと述べるらしい。私とは大違いだ。

「………6組」
「!…あ、ありがとう!」
「じゃあ俺はこれで」
「待って、ついてきてくれると助かる…!」
「絶対イヤです」
「うっ…ひ、一人だと心細いの…お願い……」
「年上だしそんなこと思う必要なくないっすか」
「人によるのよそこは…」

今回だけで良いから…!と土下座する勢いで頭を下げると、流石にその挙動にギョッとしたのか、佐久早くんは「それやめて」とだけ言ってスタスタと歩き出してしまった。彼の上履きが視界から消えるのを確認して、あぁ…やっぱり一人で行くしかないか…としょぼくれていると、「……置いてきますよ」とボソボソとした声が届く。

「…ありがとう佐久早くん。優しいね」
「……別に。あのままワガママ言われても面倒くせぇなって思っただけです」
「もう少しオブラート包んでくれると助かるな」

優しいのか冷たいのかよくわからない彼の反応にへこたれそうになりながらも、私はぺたぺたと歩く彼の後ろに並びながら、古森くんが居るであろう6組へと足を進めた。

「やっぱりここは佐久早くんが」
「用事あんの苗字さんでしょ。俺関係ない」
「そうだけど、そうなんだけどさ…」
「あれっ、聖臣?そんなとこで何してんだー?」
「……じゃ、俺はもう行くんで」
「へ?!あっちょっ、待…!」
「えっ?苗字さん?」
「………こ、こんにちは…」

教室まで来たは良いけれど、自ら声を掛ける勇気はやはり出なかった。最後まで甘えて申し訳ないけど、佐久早くんに呼び出してもらおうと彼と密かな攻防をしていたら、当の本人である古森くんに見つかってしまった。果たして、良いのか悪いのか。

「え、なんで聖臣と苗字さんって組み合わせ?しかもここ、1年の教室っすよね?」
「佐久早くんは紆余曲折ありまして…」
「ふぅん…」
「ほ、本題はこれ!」
「ん?あっ、ジャージですか?」
「そう!昨日はありがとうね、本当に助かっちゃった」
「いえいえ。てか、わざわざ届けに来てくれたんすね」
「それが礼儀かなって思って。あ!ちゃんとお洗濯もしたからね」
「ハハッ!嬉しいです、ありがとうございます」

一瞬だけ古森くんからピリッとした空気が生まれた気がしたけど、すぐにそんなこと無かったかのように、パッと周りを明るく照らしてしまうような笑顔が見れたので、多分気のせいなんだと思う。

それにしても、よかった、ちゃんと今日中に返せた。無事にミッションを終えることができたことで私は安堵し、ほっとひと息ついていると、目の前の彼からとんでもない一言が飛び出した。

「あ、そうだ。俺今から購買行くんですけど、一緒に行きません?」
「へ?な、なぜ?」
「だって苗字さん通り道だし!一緒に行かないのもなんか変じゃないですか?」
「それもそう…?」
「じゃあ決まりですね!行きましょ〜」

やっぱり、彼はたまに強引なところがある。今もこうしてさらりと誘いの文句を投げかけてきたし。確かに彼の言う通り、購買は教室に戻るまでの通り道ではある。けれど、昨晩の出来事で変に意識しまっている今、隣を歩くのはどこか緊張してしまう。

「そういえば苗字さん、佐久早怖くなかったですか?」
「佐久早くん?威圧感は凄かったけど、意外と喋ってくれる子でそんな怖い印象はなかったよ」
「え、マジですか?」
「うん。え?どうかした?」
「いや、アイツが喋るなんて珍しいなーって」

それは多分、私の必死さを哀れんでくれたからだと思う。面倒くさそうな顔をしてたのは気づいていたけれど、何とかしてこの時間に古森くんにジャージを返したかったから、気づかぬフリをしてまで強引に連れ回したのだ。普段の私ならここまで強気になれないけれどこうなってしまったのは、相当切羽詰まっていたんだと思う。

「なんだかんだ優しい子なんだろうね」
「あー、それはそうなんすけど」
「?」
「…なんか佐久早と苗字さんが仲良くなんの面白くない気がします」
「えっ」
「なんて言うんですかね、俺のが先に仲良くなったのにーって」

どうしてこうも、彼は突然爆弾を落っことしてくるのだろうか。「着いた〜、おばちゃーんパンまだある?」と階段を降りながら良く通る声で喋っている彼のつむじをいつの日かと同じように眺めながら、私は階段の途中で佇んでしまった。

古森くんのことだ。あまり意識せずとも、きっとこういうことを恥ずかしげもなく言えてしまう子なのだろう。そう仮定すれば、変に彼を意識してドキドキしてる自分がなんだか恥ずかしい。

その恥ずかしさで少しだけ顔が暑くなっていたところ校舎の窓からそよ風が入り込んできて、頬の火照りを優しく鎮めてくれる心地がした。それと同時に、このよく分からない感情もこの風に全部乗っけてしまおうかな、と新緑の匂いを感じる風に揺られながら考えてしまう。

「苗字さん?大丈夫ですか?」
「っわ、だ、大丈夫…!」
「なんかちょっとボーッとしてたから」
「…平気。それより、お目当てのもの買えた?」
「はい!メロンパン、ラスイチだったんですよ〜」
「美味しいもんね」
「あとこれ!」
「ん?」

「飲んで元気出してください!」と言って古森くんが渡してきた物は、購買限定の紙パックの飲むヨーグルト。呑気な牛がこちらを見ていて、その絵柄に私はいい具合に力が抜けてしまう。

「古森くん、自分のは?」
「もちろんありますよ」
「あ、本当だ。てか、お金払うよ」
「いや、俺がしたくなって勝手に買っただけなんで要りません」
「でも…」
「それにお揃いだし!」
「…」

せっかく風に乗っけて一旦忘れようと思っていたのに、古森くんが再びその気になってしまうような発言をしてくるものだから、私はまた彼を意識してしまうことに逆戻りだ。基本的には懐いてくれている弟のような存在で可愛いのだけれど、たまにこういう発言でそれが崩されてしまいそうになるから、無自覚天然タラシほど怖いものはない。

「ありがとね、」
「いえ!それ飲んで部活頑張りましょ!」
「あははっ、そうだね」

ただ、やっぱりこうして会話する分には弟的要素が強くて、思わず笑みが溢れる。今日の部活は、このヨーグルトで頑張れそう。そう思いパッケージを見つめていると、頭上から大きなチャイム音が降り注いできた。

「あ!ヤベッ、予鈴だ!」
「古森くんの教室ここから遠いでしょ?急ぎな?」
「はい!すいませんなんか引き止めちゃって」
「楽しかったし気にしてないよ」
「…!よかった!では、また!!」
「うん、またね」

ドタバタと慌てて階段を駆け上がる古森くんを見守っていると、またもや愛犬の姿と重なってしまった。今の彼は、散歩に行くと分かればウズウズして飛び跳ねる愛犬の様子にどこか似ている。それが可笑しくてこっそり笑っていると、彼がくるりとこちらを振り返る。

「また一緒に帰りましょーね!」
「……えっ?」

そう言って廊下を走って行く古森くんの後ろ姿を見送りながら、またしてもとんでもないことを言われてしまったのでは、と先ほど言われたことを反芻する。

どういう意図で彼があぁ言ったかは分からないけれど、最後の最後で言うのは、ズルいよ古森くん。そう思っていると、遠くで「こら古森!廊下走るな!」「スイマセン!」というやり取りが聞こえてきて、良い意味で破天荒さもある子だな、と私は困ったように笑うのだった。