Ses véritable intention

「車だし一番近いスーパーより安いとこ行ってもいい?」
「うん」

エンジンをかける名前の隣で、角名は助手席のシートベルトを締める。彼女の運転をする姿をこうして見るのは初めての角名は、内心ソワソワと落ち着かない気分でいた。

控えめに香る石鹸のようなカーフレグランスの匂いに、恐らく新しく買った車なのだろう、ほんのり新車独特のあの真新しい香りも含まれている。居心地の悪くない車内環境に、角名は試合で疲れた身体を座席の背もたれに委ねる。

「そうだ、音楽でもかける?」
「いや、ラジオでいいよ。あんま聞くことないし」
「たまには良いよね〜、ラジオが面白いってことに私は最近気づいた」

ラジオパーソナリティって何であんなに声も良くて話も上手いんだろうね?なんて、角名が到底わかるわけもない質問をしながら運転する名前は、やはりどこか大人の雰囲気を感じさせる。高校生には馴染みのない車という乗り物を自由自在に操るその姿が、彼が余計にそう感じる理由なのだろう。

今日は平日の部活と違い自主練が無かったこともあり、いつもよりうんと早い時間帯に帰宅できた。ちょうど日が傾きかけるこの時間は西陽の光が非常に眩しい。現在はそれに向かって車が走行している為、ふと正面に太陽を見てしまうと視界にチカチカと黒い点々が現れる。

角名はその眩しさを防ぐため、上方に設置されているサンバイザーをゆっくりと下ろす。背丈があるおかげで彼の顔には見事に影がかかったが、隣を見やると名前の顔は太陽の光をもろに受けており、彼女は険しい表情を浮かべていた。サンバイザーを下ろしているというのに全く機能していないそのちぐはぐな感じが面白くなってしまい、角名は思わず吹き出してしまう。

「え、なんで笑ってんの?」
「っくく…、いや、名前サンバイザー下ろしてる意味ないし顔険しすぎでしょ」
「人が眩しくても頑張って運転しとるって言うのに…!」
「ふっ、ごめんっ…なんかツボった」
「倫ちゃんにもこのツラさ味わってほしい!」
「それは嫌」
「不公平だ…!!!」
「ほらほら、青になったよ」
「あっ、……う〜、眩しい、太陽なんて爆発して無くなってしまえ………」
「そしたら地球滅亡して俺らも死ぬじゃん」
「それは嫌だなぁ……え〜、今だけでいいから座高伸びんかなぁ…」
「ははっ」

数ヶ月前に突然再会した時はごちゃごちゃと考えた角名だったが、この昔と変わらないやり取りにさらに笑みがこぼれる。

相変わらず三年間の空白にどんな理由があったかは不明なままだが、やはりそこを追求するにはまだ勇気が足りない。まぁ、とりあえずそれは置いておいて、今はこうして名前との時間を過ごせればいいや。角名はそんなことを思いながら、車を降りて少し先で待つ彼女の元へと歩いて行った。

「さぁ〜今日は何が良いかなぁ、倫ちゃんは何の気分?」
「腹減ってるから何でもいいよ」
「それが一番困るんだけどな!!」

そう言いながらもパパッと今晩の献立を頭の中で決めたのか、名前は精肉コーナーへと足を進める。鶏むね肉の塊が入ったパックを手に取り、その後すぐに野菜コーナーへと移りピーマンやにんじんなどを始めとした緑黄色野菜をいくつかカゴに入れていく。角名は特に料理に詳しいわけでもないため、この時何が出来上がるのかいまいちピンときていなかったが、「他は何作ろうかな…」と小さく呟く彼女に、ふと思ったことを言う。

「名前の料理なんでも美味いから、本当になんでもいいよ。作ってくれるってだけでありがたいし」
「…倫ちゃんってそういうことしれっと言うよね……」
「ん?なんか言った?」
「んーん!何でも!そういえば、今日も練習大変だった?」
「いや、今日は練習試合だった」
「エッ!!!!???」

角名が練習試合だったことを告げると、名前はスーパーの店内でこれでもかと言うくらい大きな声を出す。その声に周りの客も振り返り、二人は一瞬にして注目の的となってしまった。加えて角名は背丈があるためか、余計に「なんだなんだ」と野次馬が少しずつ集まり出してしまい、勘弁してくれと言うように角名は彼女を見下ろしてジト目で睨む。

「ご、ごめんね…?」
「名前」
「はい」
「ここスーパーだってわかってるよね」
「存じてます」
「何をそんな驚いたかは知らんけど、ここ、公の場」
「ぱぶりっくぷれいす…」
「名前。」
「ひっ、ごめんなさいもうふざけません」

注目を浴びるのを好まない角名は、その元凶となる名前を諭すように言葉を連ねる。しかし、彼女は反省しているかと思ったら少しだけおふざけモードに入った為、一度目より低い声で再び彼女の名を呼ぶと、名前はちゃんと反省をしたらしかった。

周りの野次馬たちは、そんな二人のやり取りを見て微笑ましく思い、何もないと分かればすぐに買い物へと関心を戻していった。その空気を感じ、角名は名前にわかるように思いっきり溜息をつく。こいつ、たまにこういうところあるからな。本当、どっちが年上なんだか。

「ほんと、外では勘弁してよね」
「うん、ごめんね…。でも、練習試合だってこと知らなかったからつい」
「まぁ言っとらんかったし。でもさ、あんな驚くことじゃなくない?」
「……今日予定なかったから見に行けたのになぁって…」
「…」

急にしおらしい態度になった彼女に、先程まで呆れていた態度の角名は、今度は息を呑んで固まった。名前といると、普段は常に平行線のようなテンションを保っている角名でも、心電図のようにその線が波打ってしまうのだ。表情には出ないと言えど、彼の心臓はとくん、とくん、と先程よりも早く脈打っている。

「…そんなに見たかったの」
「うん…、だって、倫ちゃんがバレーする姿、…………しばらく見てないし」

確かに名前の言う通り、角名自身が本格的にバレーに注力するようになった中学校の頃から突然連絡が途絶えたため、彼女は角名の試合を観ていないことになる。角名が小学生だった頃はいつもクラブチームの試合には来ていたし、その度に「倫ちゃんがんばれーーー!!」と会場に先程のような大きな声を響き渡らせていたのが、角名の中での記憶だ。

中学の時も、最初の数ヶ月は観戦に来ていたのに、気づいたら会場で彼女の声を聞くことは無くなった。当時はあの声を五月蝿いと思う時もあったが、それが無くなったら無くなったでどこか調子が出ない試合もあった。中学生という多感な時期、ひっそりと想いを寄せている幼馴染相手に自分のバレーを見られたり応援されたりするのは気恥ずかしくもあったが、その元気な声に角名がパワーを貰っていたのは確かだ。

「……、来週の土日もまた練習試合あるよ」
「!!!」
「観覧自由だし、…時間あんなら観れんじゃない」
「本当?!あ、でも、……行ってもいい、のかな。倫ちゃん嫌じゃない?」

顔色を伺うようにそっと角名を見上げる名前は、どこか不安げな表情を浮かべていた。恐らく、先月の文化祭事件のことがまだ記憶に新しいのだろう。

あの時は吃驚した上に小さな独占欲にも支配されたことで焦ってしまった角名だったが、もう仲間たちにバレてしまったのは仕方のないことだ。名前が試合に来ることにより部活の仲間たち(主に侑だが)に揶揄われるのは少々躊躇われるが、久しぶりに彼女に見守られる中でバレーがしたいという気持ちの方が強かった角名は、自然と口から観戦へ誘う言葉が出ていた。

「…嫌じゃないよ」
「本当?!日曜なら行けるから応援行くね!!!」
「まぁ練習試合だから静かにしとらなかんけどね」
「それくらい私もできるもん」
「どうだか」

「さすがに昔よりは落ち着きましたけど?!」と横で騒ぐ名前を見て、これのどこがどう落ち着いてるんだよ、と角名はまた柔らかい笑みを浮かべたのだった。


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角名と名前がスーパーで買い物を終えて帰宅後、彼女は早速夕飯の準備に取り掛かった。彼女に急かされシャワーを浴びてさっぱりした角名がストレッチをしていると、キッチンの方からゆるい声が届く。

「そういえば気になったんだけどさ〜」
「ん?」
「なんで今日は食堂で食べて来なかったの?」

まぁ私としては帰らなくて済んだからラッキーだったけど!と続ける彼女からの質問を角名は頭の中で反芻した。

どうして食べて来なかったか。そんなの、名前の作った料理が恋しくなったからという気持ちが八割ほどを占めている。しかし、これをストレートに伝えるのは流石に恥ずかしく、何か他に良い伝え方がないだろうかと角名は頭の中で模索する。

「まぁ、飽きたから…かな」
「あ〜、毎日食堂だとやっぱり飽きちゃうもんね、倫ちゃんのお母さん料理上手だったし余計に」
「…そういうことにしといて」
「え?ってことは本当は違う理由あったりするの?」
「………んー、かもね」
「何もったいぶってんの!そんな風に言われたら気になっちゃうよ?!」

名前はそうしてケラケラと笑いながらも次々と料理を仕上げていく。それに伴い段々と良い香りが部屋に広がり出したが、それはどこか角名を落ち着かせる暖かい香りだった。

角名は彼女に対してなかなか本音が言えないことが多く、今もなんとなくはぐらかしてしまった。言いたい、けど、言えない。自ら言うことは気が引けるけど、聞かれる分には言えそうな気が、しなくもない。そんな思いが届いたのか、名前は角名に対して追求するような言葉を発したのだ。

…この雰囲気、この流れなら、言えるかも知れない。深呼吸して美味しそうな香りを胸いっぱい吸い込むと、角名はむしろ、今伝えなければいけない気がした。

「本当のところは、…………、名前の料理が食べたくなった、から」
「えっ」
「飽きたってのも、本当。でも、どちらかと言えば…………こっちが本音」
「…そっか、…………へへ、そっかぁ〜」

言い出してみたら思いの外しっかりと伝えることができ、角名は内心ほっとする。二言目からは名前の反応が少し怖くてテレビに向かって話しかけたようになってしまったけれど、彼女からは嬉しさを滲ませた反応が返ってくる。

その顔が見たくて角名がちらりともう一度キッチンの方へ目を向けると、心の底から嬉しそうに笑っている名前がそこに居た。こういう表情、何て言うんだっけ。最近国語の授業で習った気がする、と記憶を探せば、ある言葉に辿り着いた。

「…破顔一笑」
「ん?」
「いや、今の名前にぴったりな四字熟語、最近習ったなって思っただけ」
「え〜?気になる〜」
「教えない」
「ケチ〜」
「悪い意味じゃないよ」
「余計に何だったか気になるじゃんか〜」

そうこう話している間に料理が完成したのか、名前は「はい!教えてくれない子には罰として手伝ってもらいます!!」と少しむくれながら角名にテーブルへの配膳を手伝うよう依頼する。角名は、そんな事言われなくても最初からやるつもりだったし、とボソリと呟きながらキッチンへと足を踏み入れた。

そして二人の「いただきます」という声が重なり、角名は早速メイン料理である鶏むね肉の酢豚をつまむ。色鮮やかな野菜と絶妙な柔らかさになっている鶏肉が甘酢ダレをしっかりと吸っており、噛むとじゅわりと甘辛い味が口の中に広がる。

「どうですか、久しぶりの私のお手製料理は」
「…毎回思うけど本当に美味い。美味いしか感想出てこんけど」
「ふふ、それが一番嬉しいけどね」
「マジで毎日食いたい」
「え」
「あ」

しまった。美味しさに感動するあまり思ったことをそのまま口走ってしまった。そう思った角名だったが、彼が発したその一言はしっかりと名前の耳に届いたようで、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。

「…えっと、毎日は無理だけど……倫ちゃんが良ければたまにはお弁当とかも作るよ?」
「は、」
「平日に来るのはちょっと難しいから、月曜に持って行けるようにとかなら…あ!迷惑じゃなければなんだけどね!」
「…」
「それにお弁当っていうのも、こうした夕飯と違って見た目考えたりさらにバランス考えたりしなきゃいけないから私も勉強になるし…」


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棚からぼたもちとは、まさにああいったことを言うんだろうな。

朝練が終わって授業を受けている最中、角名は窓の外に広がる青空を眺めながらそんなことを思い出していた。朝練後にも再び侑に「で?名前ちゃんなんやろ?吐いたら楽になんで?」としつこく迫られたが、適当にあしらい事なきを得た。

結局、あの話の流れで名前が角名に弁当を作ることが決まり、昨日夕飯を作りに来た際にリュックの中で眠るお弁当も本当に作っていってくれたのだ。

夕飯とは別のおかずをわざわざ作るなんてすげぇな、と感心したのはたった半日ほど前。「今日の弁当は開けてからのお楽しみね!」と、名前は角名を頑なにキッチンへ入らせなかった為、どんな内容かはわからない。

角名が昼休みをこんなに待ち遠しく思えるのは、入学して以来初めての感覚だ。

気分も良いし、今日は久しぶりに真面目に授業でも聞こうか。そんなことを考えながら、彼は外の風景から計算式が羅列された黒板へと視線を移したのだった。