La veille du festival

残暑が残る九月中旬。

今日は、ここ数日の蒸し暑く過ごしにくい気候とは打って変わって、爽やかな秋晴れが広がっている。湿度も少なく、九月に入って初めて秋を感じることが出来るような快晴だ。

そんな日を祝福するかのように、澄み渡った青空に浮かぶ太陽がチカチカと輝きを放っている中、角名はどこか足取りが重い様子で学校へ歩いていた。

校門が見えてくると、いつもよりうんと賑やかな空気が角名を迎え入れる。周りの生徒も、いつもは気怠そうに歩いているというのに、今日は皆、どこかワクワクとしているようだ。

しかし、そんな雰囲気に似つかわしくない小さなため息が角名の口から零れる。それもそのはず、今日は稲荷崎高校の文化祭なのだ。

「お!角名、おはよう」
「おはよ、銀」
「ん?いつもよりテンション低ない?」
「…そう?いつもこんなもんでしょ」
「いや。今日はなんちゅーか…んん、」
「何、気になるんだけ「おっ!!角名と銀やん!!!おはよーさん!!!!」…出たよ」
「朝から失礼な奴やなお前は」

昇降口で銀島にバッタリと会い、普段と変わらないテンションで挨拶を返したつもりの角名だったが、銀島に目敏く心の影を気づかれてしまい、彼は少しドキリとする。

「朝から侑のそのテンションの方がキツイ」
「なんやお前、えらいテンション低いな」
「やっぱそうやんな?俺も思ってん」
「……別に普通だって」
「なんやろ、身体から椎茸でも生えるんちゃうか?ってくらいジメッとしとるやん」
「あー、それや!」
「…お前らのが失礼じゃん」
「椎茸がなんや?」
「サムはほんま食いモンの話になると出てくるよな」
「椎茸美味いやん」
「今そんな話しとらんて」

文化祭のお祭り騒ぎみたいなノリは好きではないが、嫌いでもない。要するに、角名は文化祭という行事に大して興味がないのだ。

ただ、角名がこんなにもブルーな気分なのは、文化祭が主な原因ではない。原因は、彼の幼馴染にあるのだ。


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幼馴染の名前と三年ぶりに再会した際に言われた、「これからはいくらでも会える」の一言。それは、嘘偽りのない真実だった。

あの日、彼女に看病してもらったおかげもあってすっかり元気になった角名は、翌日からまたバレー漬けの夏休みを過ごしていた。

一方、名前も夏休み中と言えど学問にバイト、友人と遊ぶなど、なかなかに忙しい日々を送っていた。頻繁に会えるわけではなかったが、二週間に一回ほどのペースで料理を作りに来てくれている。どうにも、彼女は大学でスポーツ栄養学を専攻して学んでいるらしく、身近でスポーツをしている角名に、学んだ知識を生かして料理を振る舞いたいと申し出があったのだ。所謂、実験台というやつだ。

人によっては聞こえが悪いかも知れないが、角名にとっては、理由が何であれ名前に会える口実が出来るのは嬉しいことだった。三年間、バレーを切り離せば空虚な時間を過ごしてきたのだ。それと比較すれば、今は随分と心が充足感に満ちている。

遡ること二週間前、久しぶりにバイトが二連休で予定も特にないとのことで、名前が夜ご飯を作りに角名の家へ来ることになっていた。前日にその約束を交わした角名は、翌日の部活での動きにキレが増すほど嬉しく思ったが、その小さな変化に気づいたのは侑だ。

「角名、今日調子ごっつええやん」
「侑が素直に褒めるなんて珍しいね」
「ハン!俺はいつだって素直や!」
「はいはい」
「っちゅーか、今日に限らずここ最近ずっと調子ええよな。熱中症でぶっ倒れてから」

こいつ、こういう時の勘がスバ抜けて鋭いところが厄介なんだよな。と、角名は心の中で溜息をつく。

名前と再会してからというもの、調子が良いことは彼自身も自覚をしていた。確かにあの日の前後で角名のモチベーションは大きく変わったが、目に見えてわかるようなことではない。

けれど、そんな心の動きを読んだとでも言うようにピンポイントで指摘をしてきた侑に、角名は内心驚きつつも、何とでもないという表情を貫き通す。

「そうかな」
「な〜んかええことでもあったんか?」
「久しぶりにがっつり一日休めたからかもね」
「フーン…?…ま、調子ええことは悪い事ちゃうしええけど」

どこか納得していない様子の侑の目線が刺さるように痛い。けれど、幼馴染の存在が彼にバレてしまっては、確実に面倒くさいことになるのが目に見えてわかる。こういう時、表情筋が乏しくて良かったと思う。加えて侑は単純なので、一度関心がバレーに戻ってしまえばそれきり聞いてくることはなかった。

その日の自主練は早めに終わり、角名が部室で携帯を確認すると、新着メッセージが三件、ロック画面に表示されていた。

“今から30分ちょっとで着くってナビが言っております!!!”
“運転中だから反応できんけど、部活終わったら連絡しておくんなまし〜”

文面から、今日も名前が元気であることが伝わり、自然と口角が上がる。二件のメッセージのあとには、このメッセージアプリ独自のキャラクターだろうか、熊が車を運転しているスタンプが一つ送られてきていた。送り主が名前だから、という点が一番だろうが、この何とも言えないゆるさが疲れ身体を癒してくれるような気になる。

角名ははやる気持ちで、“今終わった”とだけ打ち込み、「お先失礼します」と足早に部室を後にする。しかし、角名にしては珍しいテキパキとした動きに、残された部員は少々呆気に取られていた。

「…めっちゃ急いどったな」
「やっぱサムもそう思うか?!」
「宅配でも来るんちゃう?」
「確かにあいつ基本ネットで注文してそうやもんな」
「……いや、やっぱりな〜んか怪しいねんな〜」

この時、治と銀島があまり気にしていない一方で、ただ一人、角名の行動を怪しむ人物がいることを、当の本人は知らないまま自宅へと走っていた。

帰宅後、軽く部屋を綺麗にしていると扉の方からピンッ、…ポーーンと軽快な音が部屋中に響いた。だから、チャイムで遊ぶなって。角名はそう思いつつも、今日はどんなリズムを刻むのだろうかと少しだけ楽しみにしている部分もある為、特にそれを咎めた試しはない。

念の為ドアスコープから覗くと、にこにこと笑う名前がそこに立っていた。右手にはスーパーに寄って来たのであろうエコバッグが握られている。

「ぐっどい〜ぶに〜んぐ」
「めっちゃジャパニーズイングリッシュ」
「日本人だもん」

お邪魔します、と部屋に上がる名前の後ろに続いて角名自身も部屋へと戻る。あ、今日はポニーテールなんだ。目の前でゆらゆらと揺れる淡いミルクティー色のそれは不思議と好奇心を掻き立てる動きをしていて、角名は無意識に手を伸ばしそうになる。

「そうだ、今日の夜ご飯はねー、…ん?」
「…あ、」
「ふふ、気になる?これ」
「……なんか、本物の馬の尻尾みたい」
「あはは!確かに言い得て妙だよね〜」

艶やかなそれに触れることは出来なかったけれど、名前が自身でその束を持って左右に揺らす様は、とても可愛らしい。

「よし、それでは今日もキッチンお借りします!」
「お願いします」
「ゆっくりシャワーでも浴びて来たら?…って倫ちゃんの家なのに私が言うのもおかしいかも知れんけど」
「…じゃあそうさせてもらおうかな、」
「うん!」

そうして角名が部活でかいた汗を綺麗さっぱり流し終えリビングへ戻ると、香ばしく何かが焼けた香りが漂っていた。

「おかえり!ちょうど出来たよ〜」
「手伝う」
「ありがと、」
「あ、生姜焼きじゃん」
「そう!まだまだ暑いし、沢山スタミナつけなかんでね!」

こんがりときつね色に焼けた豚の生姜焼きを始め、キャベツの千切り、トマトやきゅうりなどビタミンカラーが眩しい夏野菜が皿に盛られてゆく。副菜や汁物までしっかりと準備されており、この短時間でこの品数を作り上げてしまう名前に角名は驚きを隠せないでいた。本当に、彼女は自分が知らない間に腕を上げたようだ。

「では!」
「いただきます」
「どうぞどうぞ」

メインの生姜焼きを一口噛むと肉汁がじゅわり口の中に広がり、生姜のピリリとした辛さと醤油の香ばしさのハーモニーが豚肉をより美味しくさせている。

夏に食べる生姜焼きってだけでこんなに美味いのに、それを作ったのが名前となればさらに美味しく感じるから不思議だ。角名が「うま…」と小さく呟きながら舌鼓を打っていると、隣に座っている名前から「あ、ねぇねぇ」と声をかけられる。

「、何?」
「倫ちゃんとこって文化祭あったりすんの?」
「…そりゃあるけど」
「いつ?!」
「……………教えない」
「えっ?!なんで!!?」
「教えたら名前絶対来るじゃん」
「…バイトで行けんかも知れんよ?」

…いや、名前はこういう時、絶対調整してでも来るに決まっている。確かに一般公開はしているが、幼馴染しかも女子が来るなんて知ったら黙っていない奴が一名いる。その金髪頭の人物を思い浮かべて、角名は首を左右に振る。

「うん、やめとこ」
「倫ちゃんのいけず」
「…拗ねてる?」
「別に拗ねとらんもん」
「拗ねてるじゃん」
「…」

こうなると名前の機嫌を戻すことは少々難しい。これは昔からそうだ。本気で怒るところは角名の記憶の限り見たことはないが、機嫌を損ねてしまうと口を聞いてくれないし目も合わせてくれない。

しかし、三年のブランクはあれどその対処方法は角名の身体にしっかりと刻み込まれているのか、無意識に彼女の頭に長い腕を伸ばし、その頭頂部にそっと掌を乗せる。

「…!」
「ごめん。来てくれるのは嬉しいけど、ちょっと俺にも事情ってモンがあるんだよね」
「私に言えないこと?」
「…………今はまだ、言えないかな」
「…そっかぁ、」

そんなに文化祭に来たかったのか、と彼女のしょぼくれた態度を目の当たりにして角名は驚いていた。確かにお祭りなどのような賑やかなイベント事が好きな彼女だけれど、大学の文化祭の方がもっと規模も大きいだろうし自由度も高いに違いない。それなのに、何が彼女をそんな気持ちにさせているんだろうか。

「…でも!私諦めんでね!!」
「え」
「良いこと思いついたけど教えないよ」

……嫌な予感しかしねぇんだけど、誰か気のせいだと言ってくれ。