Entre rêve et réalité

俺はまだ夢を見ているのだろうか。

角名は、視界の端でパタパタとスリッパの音を立てながら動き回る人物を見て、先程からどこか夢心地な気分が抜けないでいた。

「あっ、そういや倫ちゃん熱測った?」
「…測った」
「何度?」
「38ど、「38?!そんな高いの?!それはソファなんかに座っとらんとベッド!ゴー!」……」

いや、こんな騒がしい夢あってたまるか。あの夢の続きならもう少し穏やかに過ごせていただろうに、その元気な声が、夢と現実の狭間で揺れている角名を一気に現実へと引き上げる。

体調を崩して懐かしい夢を見たと思ったら、その夢の中の人物が突然目の前に現れれば、角名が困惑するのも無理はない。

なんで居るんだよ。ここ兵庫だけど?てかなんで俺の家知ってんの。助けに来たってなんだよどこぞのヒーローかよ。…何年も音信不通だったくせに、なんなんだよ。

角名の頭の中では雨後の筍の如く疑問が思い浮かんでいるというのに、彼は口を開いては、閉じて。また開いて、閉じる。何かを発そうとしてはその度に口を噤んでしまい、上手く話しかけることができないでいた。

「ほら、立つ元気ないなら手伝ってあげるから。せーのっ」

ソファで頭をぐるぐる悩ませていると、彼の目の前に立ち両手をしっかりと握る彼女。そしてグッと強く力を入れてなんとか角名を立ち上がらせるこの人物は、彼の幼少期からの幼馴染だ。

角名は立ち上がったことで現れた彼女のつむじを見下ろし、こんなに小さかったっけ、と漠然と考える。あぁ、違う。俺がデカくなったのか。

そんな、いつの間にか角名より小さくなった彼女は、ニコニコと笑いながら角名の背中を押してベッドへと誘導する。背中に触れられているその箇所がじりじりと熱を持っている気がするが、角名はその熱さを不快には感じなかった。

そうしてベッドにゆっくりと横になり、彼女もベッドの横に腰を下ろす。ぼうっとした感覚のまま彼女を見つめると、ピカピカに磨かれたビー玉のような彼女の瞳は夢の中と変わらずキラキラと輝いていて、角名は再び夢なのか現実なのか分からない感覚に陥る。

「とりあえず、必要そうな物買ってきといたよ。冷えピタ、経口補水液、ゼリー、あとは……あ、あった!これ!」
「…、」
「チューペット。倫ちゃん、好きだら?」

十本入りの袋をガサリ、と持ち上げる彼女は、少し自慢げに口角を上げる。彼女のその得意げな表情や、自分の好物を覚えてくれているという事実に、角名の心はトクリ、と静かに音を立てる。

「………覚えてたんだ」
「当たり前じゃん!どうする?今食べる?」
「…凍っとらんし、後で良い」
「それもそうか。ほんなら冷凍庫入れとくね〜」

─こうして言葉を交わすのは、何年ぶりだろうか。

ふと、角名にそんな考えが過ぎる。彼の記憶が正しければ彼女が高校に上がった頃だから、おおよそ三年ぶりと言ったところだろう。

それくらい長い間会っていなかったというのに、角名は気づけば彼女とスムーズに会話をしていた。それもこれも全部、彼女から一つも壁や距離を感じないことが理由だろう。自分だけ変に緊張していることに、角名は少々情けなく感じる。

「さ、とりあえず冷えピタ貼ろ」
「…自分で貼るって」
「こういう時くらい素直に甘えときゃいいのに、」
「、つめたっ」
「でもひんやりして気持ちいでしょ?」
「………まぁ、」
「ふふ、…な〜んか懐かしいなぁ」

先程までの元気な声とは一転、控えめに呟いた彼女の声。そして角名の額にそっと触れる手。なんだろう、なんか、前にもこんな場面あった気がする。頭の奥底にある記憶を必死に辿り、それを呼び起こして角名もまた、どこか懐かしく思う。

あれは角名が小三、名前が小六のある時。角名は今のように熱を出して寝込んだ事があった。その時は彼の母親も家に居たため面倒を見てくれていたが、熱で休むと聞いた彼女は学校帰りまっすぐ角名の家に寄り、ドタドタと大きな音を立てて階段を駆け上がっていった。

それに加えて角名の部屋の扉も勢いよく開けたせいで、微睡んでいた彼は肩を大きく跳ねさせ、彼女によって起こされる。

“倫ちゃん元気?!”
“…いま名前のせいで元気じゃなくなった”
“え!!!??なんで!!?”
“自分の胸に手当てて考えてみたら”
“やだ、倫ちゃんったらエッチ〜”
“……ウザ、”

彼女は、病人だと知っていながら騒々しい音を立てて部屋に入って来た。こちとら寝込んでて頭痛いんだぞ、と角名は不快感を露わにするも、彼女はそれほど気にしていない様子だった。

そろそろドア壊れそうだから静かにしろって前にも言ったのに、これだ。本当にこいつは俺よりも三つも年上なのか、時々本気で思う。

“元気じゃん!”
“もうこの際何でもいい…”
“あ!そういえば倫ちゃんのお母さんに、倫太郎のおでこの変えたって〜って言われたんだった!失礼しまーす”
“は?それくらい自分でできっ…!”
“名前ちゃんのゴッドハンドからは逃げれーせんのよ!えいっ”
“つめてっ…!”

角名は名前と居ると、いつもこうして彼女の世界に引きずり込まれていた。俺だってもう八歳だし、自分でこの冷却シートを変えることくらい出来るっつーの。でも、名前は何かあるたびに俺の世話を焼こうとする。…俺は、お前が思うほど子供じゃないのに。

─…まだ十にも満たない子供のくせに、一丁前なこと言っちゃって。当時のことを思い出しながら、角名は心の中で幼い自分に対して苦笑した。

“これでヨシ!……早く良くなりますように”
“…………………ありがと”
“へへん、どういたしまして!”

普段は喧しいくらい元気なのに、突然ふわりと柔らかいヴェールで包み込むような表情で自身の額に手を当てる名前に、角名は思わずドキッとする。初めて見るその表情に、何故だか目が逸らせない。

今思えば、これが全ての始まりだったのかも知れない。角名は、昔の記憶と重なる名前の顔を見つめながら、そんなことを思う。

「…?どうしたの?」
「前にも名前とこんなことあったなって思い出してた」
「え、倫ちゃん意外とそういうの覚えとるんだね」
「…覚えとったらかんの、」
「相変わらず捻くれ者なんだから〜。…うそ。覚えててくれて嬉しいよ」

にこりと笑う名前の顔はやはり何度見ても眩しくて、角名は思わず目を細める。けれど、今この瞬間は触れられるほど距離が近いのに、最後の一言に先程まで感じなかった距離を感じてしまい、何とも言えない切なさが顔を出す。

“ 俺がお前を忘れたことなんて、一瞬たりとも無かったよ。”

そう告げることができたら、どんなに良かっただろうか。角名は結局この時、「あっそ」以外に何も言えず、臆病な自分に嫌気が差して仕方なかった。