「うわっ、最悪や」
「何」
「弁当忘れてもた……」
「お前今日何回やらかせば気が済むん?暇なん?」
「治君は人の心を抉りたいお年頃なんですか?」

今日は朝からとことんツイてない日だとは薄々感じていた。普段は家を出る一時間前には起きるのに、今朝はなんと家を出る時間の十分前に起床。なんて日だ!と某芸人を思い浮かべながら母に「なんで起こしてくれんかったん?!」と文句を言ったら「2回起こしたったけど起きんかったの自分やろが!!!!」と物凄い剣幕で怒られてしまった。

そりゃそうだ。自業自得で勝手にイラついて文句を言ってくる娘に怒らない方が無理に決まってる。私が母でも同じように怒っただろう。けれど私は滅多にしない寝坊と遅刻しそうという危機的状況から心の余裕がなくなっており、八つ当たりすることしかできなかったのだ。なんて自己中な娘なのだろう。

そして勢いよく家を飛び出し、最寄りのバス停まで猛ダッシュ。もちろん朝ごはんを食べる暇などなかった。走っている時に後ろから「名前!!お弁当!!!!」と母の声が聞こえた気がしていたけど、あれは気のせいなんかじゃなかったのだと気づき、冒頭の会話が生まれたのだ。

「今日帰った瞬間お母さんに土下座や」
「何それオモロ、見に行こかな」
「慰める気持ち少しは見せんかい」
「慰めるだけが優しさとちゃうねんで」
「いや誰やねん」

朝からドタバタ劇を繰り広げた為、授業はいつにも増して集中力がなかった。ただでさえ苦手な数学の授業中に窓の外をぼんやりと見ていたら「俺の授業でボケっとするとはええ度胸やな苗字」と教師に言われ黒板の問題解かされるわ、三時間目の体育では隣でサッカーをしていた男子たちの蹴ったボールが腰にクリーンヒットし膝から崩れ落ちるわ(幸いにも怪我はなかった)、本当に今日は酷い一日である。

それを見兼ねたのか、目の前に座るこの食いしん坊な男は「可哀想な奴やな。ほれ、ちょっとだけやるわ」と齧っているパンをちぎって分けてくれた。けれど、掌にぽん、と置かれたパンの切れ端はそら豆程度のサイズで思わず目を疑ってしまう。私は鳩か?

「…治の心の広さはこの程度なん?」
「この俺がメシやっとるんやぞありがたく思え」
「こんなケチ臭いサイズでそんなこと思えるかこのそら豆野郎!」
「誰がそら豆野郎や」
「あんたしかおらんやろ!」

わかってる。あの治が自身の食べ物を分けてくれる=彼の最大の優しさであることくらい。けれど、こんな小さなサイズは分けたうちに入らないのではないだろうか、朝から何も食べてないんだぞこちとら。せめてその未開封のメロンパンを半分くらい分けてくれてもええんやんけ、と恨めしく睨んでみるも、彼はすでにスマホを弄っていた。おい、せめて聞く耳持て。

私は渋々そのパンのかけらを口に投げ入れるも、全くと言っていいほど満たされなかった。それはもう、本当に食べたのか?ってくらい何も感じないまま舌の上から秒で消えていった。

「てかなんで弁当ないこと気づいてすぐ購買行かんかったん?」
「…………財布も忘れてん…」
「お前…俺かて朝からそんなボケ倒すんキツいで……すごいな」
「好きでボケとるわけとちゃうわ」
「友達に金借りたらよかったやん」
「お母さんに友達とのお金の貸し借り禁じられてんねん…」
「…苗字家のルール癖つっよ」
「それそのままお母さんに言うてくれてもええんやで」
「嫌や、俺名前のおかんに盾突きたないもん」
「(こいつ……)」

そう、友達にお金を借りることができたなら、治と駄弁りなんてせずすぐに購買に走っていたのだ。ただ、我が家は自分でお金を稼ぐまでは友人間の金銭のやり取りは一切禁止という謎ルールがある。こっそりやってもバレないんだろうけど、頭の中の母が「見てんで?」といつも言ってくるのだ。とてもじゃないけど破れやしないこの掟。…あぁもう駄目だ、お腹空きすぎて段々喋るのもしんどくなってきた。空腹がピークに達しかけて私が机へ頭を預けようとしたその時、ふと上から大きな影が落ちる。

「ただいま」
「あ、おかえり角名…」
「なに苗字、そら豆野郎にでも虐められた?元気ないじゃん」
「角名お前いつから聞いとったん」
「今帰って来たとこだけど廊下まで響いてた」
「うわ…私そんな大きい声で言うてたん……」
「うん」
「お淑やかな女の子の方が可愛げあんで」
「しばいたろか」

もう駄目だと思うタイミングで、コンビニに行っていたクラスメイトの角名が戻ってきた。ばっちり先ほどの会話が聞こえていたらしい。廊下まで聞こえるって、どんだけ声でかいねん。ほんま、ただの喧しくて迷惑な奴やな……と自分の行動にしょんぼりと反省をしていたら角名が「苗字」と私の名を呼ぶ。

「ん?」
「これあげる」
「え?何これ……、!なにこれ!!!」
「声でっか(笑)」
「だって…だってこれ…!」
「あまりにも可哀想だったから」
「角名…お前優しすぎやろ」
「治が食に対してケチなだけじゃない?」
「ほんまそれ」
「お前ら二人してなんやねん」

角名がカサリと鳴らしたものはよくあるコンビニの袋だった。何かと中身を覗いてみれば、そこにはミックスサンドイッチと紙パックのレモンティーが入っており、私はヒュッと息の根が止まった。ここまで驚くには、ちゃんとした理由がある。

私は以前にも一回だけお弁当を忘れたことがあった。その時はちゃんと財布を持っていたのでコンビニでお昼を調達したのだけれど、今角名がくれた物は、なんとその時と全く同じ組み合わせだったのだ。こんなことをされて驚かない人間がいたら教えてほしい。

「えぇぇ……角名ぁ…ありがと…」
「どういたしまして」
「…でもな、言いづらいんやけど、私お金の貸し借り禁止されてんねん…」
「え、俺が勝手に買って来たんだから関係ないでしょ」
「…でも、」
「なぁ俺にはないん?プリンとかチョコとか」
「あるわけないじゃん弁当に加えて購買のパン大量に食ってる奴に」
「デザートは別腹て習わんかったん?」
「習ってないね」

目の前で角名と治がテンポよく会話をしているけれど、私は途中から何も耳に入ってこなかった。ようやくありつけるご飯が自分の大好きなもので、しかもそれは私を哀れんでわざわざ買ってきてくれたというクラスメイトからの贈り物で…いや贈り物は言いすぎか。でも、私にとってはそれくらい嬉しかった。こんなに人の優しさに触れたのは一週間前にバスでおじいさんに席を譲る小学生の少年を見た時以来かも知れない。

「角名はあの時の小学生やったんか…」
「急に何」
「おじいちゃんに席を譲ったあの頃の少年のような優しい心やなと」
「そんな綺麗なモンじゃないよ俺のは」
「せやで、こいつ人様の喧嘩面白がって動画撮る奴やし」
「仲睦まじい兄弟の思い出残してあげる優しさでしょ」
「思い出なんかいらん」

何上手いこと言っとんねん、と声には出さず心の中でツッこんでいたら、治がこちらを期待した目で見ていた。ツッコミ待ちのちょっとそわそわした顔してこっち見んといてくれ。言ったら負けな気がして、絶対言うもんかという思いを込めて「なに見とんねん」と吐き捨てると、「ノリ悪っ。まぁええわ、ちょい飲みモン買うて来る」と教室を出て行った。…あれは拗ねたな。その治の背中を見送っていると、入れ替わるように角名が目の前に腰を下ろす。

「あれは確実にツッコミ待ちだったじゃん」
「狙いすぎてんねん治は。まぁ心の中ではツッコミ入れたったけど」
「優しいのか厳しいのかどっちだよ」

あ、笑った。角名は普段目が死んでいるけれど、たまにこうしてくすりと笑う時もある。そのように、彼が時たま見せる人間らしさに気づいてしまったその時から、実はひっそりと彼に想いを寄せているのだ。そんな好きな人からもらったサンドイッチを一口ずつ丁寧に頬張りながら、私は束の間の幸せタイムを楽しむことにした。

「角名、ほんまありがとう」
「そんな感謝されるようなことでもないけどね」
「何言うてんねん、角名の優しさは藻玉級やで」
「もだまって何」
「世界最大の豆」
「何それあんま嬉しくないんだけど」
「最大の褒め言葉やって」
「そもそもなんで苗字はそんな豆に詳しいの?面白すぎるんだけど」
「テレビで言うててん」

そう。つい先日、たまたま付けたテレビで、世界最大の豆を探しに行く旅!というなんともトンチキな番組がやっていたのでなんとなく流れで見ていたのだけれど、まさかそこで得た知識をこんなに早く発揮するとは。しかも角名相手に。ちょっと失礼だったかな、なんて角名には感じるのに、治に対してそら豆野郎だなんて暴言を吐いても何とも思わないあたり、つくづく私は角名のことが好きなんだなぁと思い知らされる。

「てかさ」
「ん?」
「私が前にもこれ食べとったって覚えてたん?」
「まぁね」
「なんで?すごない?」
「なんでだと思う?」
「質問に質問返しはどうかと思うで角名くん」
「苗字が考える答え教えてくれたら答えてあげてもいいよ」

そんな好きな人が、私の好きな食べ物を覚えていたなんて事実を知ってしまったら、気になってしまうのが乙女心というやつだ。だから私は、あくまでも自然な流れを装い質問をしてみるも、質問に質問で返されてしまった。本当、角名は何を考えているかよくわからない。けれどそんな男が好きなのだから、恋心ってやつは不思議だ。ここまでくると引き下がることもできないし、私はとりあえず答えてみることにする。

「シンプルに記憶力が良い?」
「あながち間違ってはないけどちょっと違うかな」
「角名も実はこの組み合わせが好きだったとか」
「別に普通」
「美味しいやん!」
「ほらほら次答えて」

そう促されて私は考えを次々と述べるもなかなか当たらなくて苦戦を強いられる。「女子が好むランチはこれ!特集を検索した」「違うね」「昨日のサンド〇ッチマンのテレビ見て影響された」「そんなのやってたっけ?」など、思いつく限りの答えを出してみるも見事に何一つ当たらず、段々悲しくなってきたところで角名がそっと口を開く。

「ヒント欲しい?」
「ください……」
「…俺さ」
「うん」
「良いなって思ってる子の人間観察するの結構好きなんだけど」
「…」

待ってくれ。一体全体どうしてこのタイミングでこの手の話題を振って来たのか。私は突然与えられた情報に動揺を隠せず、そのオリーブ色の瞳から視線を逸らす。…そっか、角名、気になってる子いるんだ。彼の発言から容易に汲み取れてしまうそれに、空気が勢いよく抜ける風船みたいに自分のテンションがするすると落ち込むのを感じる。なんだ、こんな話題になるくらいならヒント欲しいって言わなければよかったと、自分で申し出ておきながらも早くも後悔する。けれど角名は、そんな私にはお構いなしにどんどん話を進めていく。

「そういう子に関する記憶力はめちゃくちゃ良いんだけど」
「…そうなんや」
「……その子さ、前にミックスサンドとレモンティーの組み合わせしか勝たんって言いながらお昼食べてたんだよね」
「………え」
「その表現がなんか可笑しくてさ。すげぇ笑ったんだよ」
「ちょ、」
「面白い記憶って残るじゃんね」
「す、すな?」
「…どう?わかりそう?」

角名。それはヒントやない、答えや。頭の中ではそう思うのに、何故か口からは空気しか出てこない。これまた突然の出来事に口を半開きにして固まっていると「めっちゃアホ面」という声と共にシャッター音が切られる音がし、私はハッと我に返る。

「ちょ、あかん消して!!」
「なんで。アホっぽくてかわいいよ」
「かわっ…!角名さんさっきから攻めすぎちゃいます?!」
「だって俺結構アピールしてたつもりなのに、苗字全然気づいてくんねぇんだもん」
「…アピールされた記憶ないねんけど……」
「そういうとこ」

そう言って角名は、あろうことか私の飲みかけのレモンティーを飲んだのだ。それはもう極々自然に。けど、甘いな角名。私は間接キスなんかで照れるような女じゃないんだぞ、と動揺を悟られまいと思ったのに「あれ、顔ちょっと赤くない?」と覗き込んでくる角名の悪戯っ子のような表情を見て何も考えられなくなってしまった。いやいやいや、そんな顔近づける必要ある?せっかく角名から落とされた爆弾を必死で処理しようとしていたのに。

「角名ってボ〇バーマンやったんやな…」
「よくその単語出てきたね。ほんと苗字面白いから見てて飽きないわ」
「角名、もしかしてめっちゃ性格悪い?」
「好きな子には意地悪したいタイプ」
「…待っていま好きな子て」
「うん、言ったね」

そういうことだからこれから覚悟しといてね、あとさっき落ち込んでたの可愛かったよ、と目の前の男はその細い目をさらに細めて宣戦布告をし、どこかへ行ってしまった。好きな子、…好きな子?私が?告げられた言葉を反芻し、顔の体温がじわじわと上昇していくのを感じる。こんな状態で、午後の授業どう受ければいいんだ。角名の馬鹿。

今日は朝からツイてないと思っていたけれど、寝坊したのもお弁当を忘れたのも、もしかしたら全部全部この為だったのかも知れない。そう考えれば、母には申し訳ないけれどお弁当を忘れてラッキーだなんて少しだけ不謹慎な事を思ってしまうから、恋する乙女は単純だ。




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -