アリアドネの糸 | ナノ

▽ 変貌

天使界の頂上。取り巻く雲は黒く、雷が鳴り響いていた。柱や壁も、所々壊れてしまっている。

世界樹の根元では、長老オムイと数名の天使が一心に祈りを捧げていた。

「神よ、聖なる世界樹よ…。どうか我らをお護り下され。このままでは、天使界は…」

オムイの言葉が届いたのか、世界樹が何かを知らせるように優しく輝いた。

ポォォーーーーッ…

汽笛の音が響いた。

「あ、あれは!?」

天の箱舟が世界樹の周りを大きく旋回しながら降り、やがて輝く胴体を世界樹の横につけた。

「神よ…祈りを聞き届けて下さったのですね!」

オムイとお供の天使達は箱舟に駆け寄った。

「天の箱舟が我々を救いに来て下さったのだ!」

オムイは目を輝かせる。

「長老オムイ様!中から誰か出てきます!」

箱舟の扉が開いた。

中から出てきたのは、人間界の衣服を身につけたリオだった。

オムイ達は驚く。

「リオ!?お前はリオなのか!?どうして天の箱舟から…。しかも、その姿はどうしたのだ!天使の翼も、頭の光輪も失くなっているぞ!」

一度に質問攻めされ少しうろたえたが、リオは自分の今の状況を話した。

「何?人間界へ堕ち、翼を失ったお前を天の箱舟が送り届けてくれた、じゃと!?」

「はい、」

「では、他の天使達は何処だ?まさかお前ひとりだけか?」

「…はい」

オムイはリオの返事を聞いて、至極がっかりした顔をした。

「そうか、すまぬな…。ともかくリオよ、よくぞ無事に天使界へ還った。さあ、おいで。地上で何が起きているのか、私達に教えておくれ」



◆   ◆   ◆




リオが人間界から無事に還った、という知らせは天使界中に伝えられた。

リオは人間界に堕ちたとき、天使の翼と光輪を失ったこと、天使の力を失ったこと…、

そして人間界のあちこちで異変が起きていることを、長老の間でオムイに話した。

「…そうか。あの時の邪悪な光は天使界ばかりでなく、人間界までも襲っていたのか」

オムイはリオの話を聞くと、俯きながらそう言った。

「リオも覚えておろう。女神の果実が実ったあの日。地上より放たれた邪悪な光が、天使界を貫いた。箱舟はバラバラになり、そして…女神の果実全てが人間界へ落ちてしまったのじゃ。リオ、お前と共に、な…」

オムイは、記憶を確かめるように淡々と、リオがいない間の天使界の状況を教えてくれた。

「あのあと、地上に墜ちてしまった天使や邪悪な光の原因を探すため、何人もの天使が地上へ降りた。じゃが…リオ、お前の他は誰も戻って来ないのじゃ。皆の事が気がかりじゃが、ともあれ、お前だけでも戻って来れて良かった…」

オムイの傍についている天使も、ゆっくりと頷いた。

「リオ。お前は再び世界樹の元へ行き、戻れたことを感謝し祈りを捧げるのじゃ。もしかすれば、失われた翼と頭の光輪を蘇らせてくれるやもしれんぞ。…行きなさい、守護天使リオよ。お前に、神と聖なる世界樹の護りがありますように…」

リオはオムイに静かに礼をして、くるりと背を向けた。

「さてと。これで天使界にリオを送り届ける、って約束ちゃーんと果たしたからね」

2、3歩歩いた所で、サンディが懐からもぞもぞと出てきた。

「なかなか大変そうだけど、頑張ってネ。そんじゃアタシ、やることあるから。短い付き合いだったけど、お互いお疲れー。バーイ♪」

サンディは小さいまま、何処かに飛んでいった。

長老の間を出ると、同期の天使に声をかけられた。

「リオ!お前、よく生きて…」

「あんたは無事だったんだな。良かった」

「良いんだよオレのことは!…そうだ、ラフェットさんには会ったか?お前がいなくなってから、ずっとあの石碑で祈り続けてるんだ。顔見せたら、きっと喜んでくれるよ」



◆   ◆   ◆




リオが扉を開けると、腰まで伸び、赤みがかった茶髪を2つに三つ編みした女性天使が、こちらを振り向いた。

「え…リオ!?」

「はい…。ただいま、戻りました」

ラフェットは、リオの師であるイザヤールと同期の上級天使だ。また、幼なじみでもあるためかなり親密な関係にある。

リオはラフェットに可愛がって貰っていたし、彼女の弟子の天使とも仲が良かった。

「良かった、無事だったのね!ねぇ、イザヤールは?一緒に帰ってきたんじゃないの?」

「いえ…。」

リオが答えると、ラフェットは悲しそうな顔をした。

「………そっか。てっきり、イザヤールも一緒だと思ったんだけどなぁ」

努めて明るく振る舞うラフェットが、リオには悲しかった。

「あのね?イザヤールはあなたを捜しに天使界を降りてから…、ずっと帰ってないんだ。だから私、この石碑の前でずっと祈りを捧げてたのよ。2人が無事帰りますように、って」

ラフェットはそう言って、目の前にある小さな石碑を見た。

「これは、エルギオスの石碑。エルギオスのことを忘れぬ為、造られたもの。…読もうか?えっとね…」


“偉大なる天使、エルギオス
その気高き魂と人間を愛する心
我ら、忘るることなし
そして、誓おう
神の国に帰れるその日まで
この世界を見守ってゆくことを”


「…エルギオスというのは、かつて何百年も前にイザヤールの師だった天使。ある村の守護天使だったエルギオスは人間達を護る為地上へ降り、そして…」

ラフェットはやりきれない顔をした。

「ある時消息不明になってしまった。何が起こったのかもはや知る由もなく、私達はこうして祈るしかないの」

イザヤールは、どんな思いで今まで過ごしてきたのだろうか。
どんな思いで、リオを見て、育ててきたのだろうか。

「…イザヤールは、心配だったのよ。リオまで、エルギオスみたいに帰らないんじゃないか、って。多分、今も人間界の何処かであなたを捜してるんじゃないかな」

ラフェットは石碑の方を向き、また祈り始めた。

「…偉大なる天使、エルギオス。イザヤールの師よ。どうか、お守りください。あなたの弟子、イザヤールが無事、天使界へ帰りますよう…」

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