アリアドネの糸 | ナノ

▽ 騎士の願い

イシュダルは心の臓を貫かれ、床に崩れ落ちた。

「く……口惜しや……。再び、私とレオコーンの二人だけの世界が、甦るはずだったのに……」

しかしイシュダルは悲しそうに言ったあと、唇を妖しく歪ませた。

「……でもね、レオコーン。過ぎてしまった数百年の時は、戻すことはできない……。愛するメリアは、どこにもいない……。ク……クク……、絶望にまみれ、永遠にさ迷い歩くがいいわ……」

イシュダルは、黒い霧となって消え去った。

「メリア姫……。そんな、まさか……」

イシュダルの最期の言葉を聞いたレオコーンは、ガクリと膝を折る。

「そなたらの手まで借り、ようやくルディアノに辿り着いたというのに……」

レオコーンは、誰も座っていない玉座を見つめた。

「時の流れと共に王国は滅び、私の帰りを待っていたはずのメリア姫は、もういない……」

急に、ルウが口を開いた。

「……イシュダルは、」

「ん?」

「イシュダルは、レオコーンさんが好きだったんだ。だから、メリア姫と会わせたくなくて……。呪いにかけてまで、一緒にいたかったんだ」

ルウの深い、碧い瞳が少し潤んだ。

(……好きだから、一緒にいたい? 好きな奴が満足できる相手を見つけられたら、たとえそれが自分じゃなくても、そいつも自分も満足できるものだと、御師匠様はおっしゃっていたが……)

リオは表情を変えずにそんなことを思った。

尤も、リオは他の天使、ましてや人間の誰かを好きだなんて思ったことなどないのだが。

「私は……、帰って来るのが遅すぎた……」

イシュダルの言い残した通り、元のルディアノ王国も、メリア姫も帰ってくることはない。レオコーンは、愛する祖国と愛する者を失ったまま。


「遅くなど、ありません……」


不意に、声がした。

レオコーンは、はっとして声のした方を向いた。リオとルウも驚いてそちらを向く。

声の主は白いドレスを身にまとい、大きな首飾りをつけた姫君だった。

「その首飾りは……! ……メリア姫!? そんな、まさか……貴女はもう……!」

しかし、姫君はゆっくりと頭(かぶり)を振った。

「約束したではありませんか。ずっと、ずっとあなたのことを待っている、と」

姫君はレオコーンの元に歩み寄り、手を差しのべた。

「さあ、黒薔薇の騎士よ。わたくしの手を取り、踊ってくださいますね? かつて果たせなかった、婚礼の踊りを」

「メリア姫……この私を許してくださるのですか?」

姫君は何も言わず、優しく微笑む。

レオコーンは姫君の手を取り、身体を引き寄せた。二人は身体を寄せ合い、ステップを踏み始めた。



◆   ◆   ◆




しばらく踊り続けた後、突然レオコーンの身体が、青緑の光に包まれて宙に浮いた。

「ありがとう、異国の姫よ……。あなたがメリア姫ではないことはわかっていた」

なんと、メリア姫だと思われた姫君は、フィオーネ姫だった。ルウは驚いていたが、リオは無表情のまま二人を見つめていた。

「しかし……あなたがいなければ、私はあの魔物の意のまま、絶望を抱え永遠にさ迷っていたことでしょう……」

「あなたはやはり……黒薔薇の騎士様だったのですね……。初めてお会いした時から、ずっと運命のようなものを感じておりました……」

メリア姫に扮したフィオーネ姫は、首飾りに両手を添えて言った。

「メリア姫の記憶を受け継ぐあなたならば、そのように思われたのも不思議ではありません」

「わたくしが、メリア姫の……!」

レオコーンを包む光が、強くなった。

「リオ、ルウ。そなた達のおかげで全てを知ることができた。もう思い残すことはない。ありがとう……」

レオコーンは、青緑色の光と共に消え去った。

「……召されたな」

リオは抗議やらその他いろいろな意味をこめて、フィオーネ姫をちらりと見た。

「あなた方にお任せしたはずなのに、あの方のことを考えたら、ここまで来てしまいました」

フィオーネ姫は頬を染めて、控えめに悪戯っぽく笑った。

「不思議なことがあるものですね。あの方と踊っている間、どこからか声が聞こえたのです。優しい女の人の声で……よく来てくれましたね、フィオーネ、ありがとう……って……」

そして、両目を閉じてそう続けた。

「それではわたくし、ひと足先にお城へ戻りますわ。このことを国の皆に報告しなくては。リオ様と、お連れの方も、改めてお礼がしたいので必ずお城へ来てくださいね」

フィオーネ姫は恭しくお辞儀をして、部屋の外に待機させていた兵士と共にルディアノ城を後にした。

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