アリアドネの糸 | ナノ

▽ お嬢様とからくり技師

「こっちこっち!」

ステラはルウの手をひいて町の下層部を走っていた。リオとレスターも懸命について行く。

どうしてこんな状況になったのか。話は数分前にさかのぼる。

「マキナはねぇ、病気が治ったあとからなーんかおかしいんだよねぇ」

ステラはなかなか重要なことをさらりと言ってくれた。マキナはどうやら病弱な体質だったらしい。それも不治の病にかかっていたとか。奇跡的に病が治ったあと、メイドの一人が彼女の機嫌を損ねてしまい、使用人は皆くびにされてしまったとステラは言う。

「その病気が治ったのはー、すごいお医者さんがこの町にいたとかー?」

「違うよ。マキナの家の召し使いが、どんな病にも効くっていうめっちゃ高い果物を取りよせたんだって。それがねぇ、星みたいに光る果物だったって」

リオの瞳が一瞬、見開かれた。

「んで、マキナは病気が治っても一人だけ、仲良しなままの人がいるの。その人にこれから頼みに行く」

どうかな? とステラはリオの方をあおぎ見た。リオは腕を組んで黙っている。ルウがおそるおそる耳打ちした。

「リオ、マキナさんの病気が治ったのって……」

「十中八九、女神の果実だろうな」

船を手に入れるために来た町だったが、思わぬ幸運に恵まれたようだ。リオはステラに案内を頼んだ。

ステラはリオの了解を得ると、ぱっと笑顔になった。そしていつか見せた貴族のお嬢様らしからぬ速さで、ルウの手をひいたのであった。

「ま、まだ着かないの?」

「あと一回曲がったらすぐ!」

ステラは言うときゅっ、と右足を軸にして左に曲がる。ルウは繋がれた左手を引っぱられて無駄に大きくターンした。リオとレスターはそのようすを苦笑しながら見ていた。

「ついた!」

町の下層部の中心。教会の隣だった。なかなか良い立地場所だ。

「ここは何の建物なのー?」

「からくり技師の工房。アタシね、マキナの乳母と仲良しなんだけど、少し前にその人からここのおじさんのことを聞いたの」

マキナは病気がちだったときは屋敷の外に出ることはなかったという。そんな遊び相手のいないマキナのために、ここのからくり技師が人形をつくってあげたというのだ。

「等身大の、マキナそっくりの人形なんだって。アタシは見たことないけど」

「ビスクドール?」

「ううん、もっと丈夫なやつ。何の素材かはわからないけど、もしビスクだったら玩具にならないよ。重たいし、壊れやすいし」

ステラはどこか冷めたような口調で言った。何かビスクドールに嫌な思い出でもあるのだろうか。

「じゃ、入ろっか」

ステラは未だルウと手をしっかり繋いだまま、工房の扉を開けた。

「おや、クロアのお嬢さん。どうかなさいましたか?」

二十歳前半くらいの、縁のまるい眼鏡をかけた青年が、床にモップをかけているところだった。彼がからくり技師なのだろうか。

「こんにちわ。おじさん、いる?」

「父は今ちょっと出ていますね。何かまた壊れたんですか?」

「違うよ! おじさんに相談にきたの!」

青年はからくり技師の息子だった。線の細い人で、穏やかな口調だった。

「やっぱり壊れものじゃないですか」

「ちっがーう!!」

はは、と青年は笑いながら奥にいってしまった。割と親しい仲なのだろう。しかしステラはむくれたままだ。

「……よくものを壊すんだな」

「うっ」

「貴族のお嬢様って皆こうなの……?」

「うーん、ステラちゃんが特別なんだと思うなー。僕の経験上でだけどー」

ルウの問いにレスターは苦笑しながら答えた。彼は貴族と何か関わりがあったのだろうか。リオはレスターにちら、と目をやったが、その先は聞くことができなかった。

「どうもお待たせしてしまってすみません、クロアのお嬢さん」

からくり技師が帰ってきた。職業の名にふさわしく、貫禄のある男性だ。彼も、ステラのことをクロアのお嬢さん≠ニ呼んだ。

「アタシ達が急にきたから悪いの。だから気にしないで」

「さあ、まずは何か飲みものでも」

先ほど奥に向かった青年が、大きなトレイを持ってきた。

「何があるの?」

「そうですね、コーヒー、紅茶、ブランデー、それからジュースもありますよ」

「じゃあジュースが良い。ルウ達は?」

「私は、紅茶で」

「僕も紅茶でー」

「……コーヒー、というのが気になるな」

「コーヒーは最近グビアナで流行っている飲みものでしてな。独特の香りと苦味が特徴なのですよ」

「ではコーヒーを」

青年はそれぞれの飲みものを淹れはじめた。からくり技師はそれを見ながら話をきり出した。

「それで、何のご用でしたかな?」

「あ、そうそう。マキナがまたなんでか怒りだしちゃって。しかも奥の部屋に閉じこもっちゃったの」

「なんと!? ううーむ……それは心配じゃ」

ステラの口ぶりから、機嫌を悪くすることはよくあっても、部屋に閉じこもることは初めてらしい、とリオは考えた。さらにからくり技師が驚くのを見て怪訝な顔をする。

「……心配? マキナは人に好かれるような性格には見えないが」

「それは周りの心ない者たちの感想にすぎん。マキナお嬢さんはお優しい方じゃ。古いなじみの者はきちんとわかっておる」

「理不尽な理由で使用人をくびにしてもか」

「確かにお嬢さんは変わられた。じゃがな、お客人。人というものは、根っこからまるきり変わることはないのじゃよ。お嬢さんはお嬢さんのままなんじゃ」

からくり技師は、青年が並べた飲みものを取って少し口に含んだ。

「ともあれ、使用人は追い出してもわしだけはちょくちょく招いてくれるお嬢さんじゃ。もしかしたら、わしが声をかければ出てきてくれるかもしれん」

「じゃあ、なんとかしてくれる?」

「他ならぬクロアのお嬢さんの頼みじゃ。お役に立てるかはわからんが、やってみましょう」

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