アリアドネの糸 | ナノ

▽ 花の町

ビタリ山の麓で十分に休息を取ったリオ達は、夜明けにサンマロウに向かって出発した。

石の番人に備えて装備も整っており魔物が少ない時間帯でもあったせいか、三人はほぼ無傷でビタリ平原を南下し、夕方にはサンマロウに到着していた。

町は変わった造りになっていた。貴族の邸宅の並ぶ上層部と、職人達が暮らす下層部と、地理的にはっきり分かれている。

セントシュタイン城下街も都会だったが、サンマロウはもっと洗練された印象だった。町を歩く人々の服装はどれも流行の最先端で、町の雰囲気は華やかだ。リオはセントシュタインの持つ伝統を重んじる雰囲気の方が好きだった。

「やっと着いたねー」

「脚がガクガクしてる……」

「宿が近くて助かったな」

リオ達はすぐに宿を取り、女神の果実の捜索は明日の朝からすることにした。いつも通りルウは一人部屋、リオとレスターは相部屋だ。

「今から各自フリーだ。食事は好きな時に摂ってくれ」

「はーい。じゃーまた後でー」

レスターは歓楽街へ向かっていった。リオはそれを一瞥すると、ルウの方を向いた。

「ルウはどこにも行かないのか?」

「え? あ、教会に」

「そうか。気をつけろよ」

「うん、行ってきます」

ルウはこつこつ貯めていた寄付金を持って、教会へ向かっていった。

リオは部屋に戻って荷物を確認した。ビタリ山で消費した分の薬草を買い足しに行かなくては。

「さて……」

リオは適当に支度をし、必要なものを持って部屋の扉を開けた。

「…………」

女の子が立っていた。

白い円襟のブラウスに、赤いスカーフをタイのように結んでいる。膝までのふわっとしたスカートは深い緑色で、裾から少しのぞいているパニエは小花柄。ブラウスの襟とスカートの裾は、本物の手編みのレースでふち取られていた。花のブローチのついたベレー帽は、スカーフの色とお揃いだ。

一目で貴族だとわかる姿の女の子は、リオを見るなり身体を斜めに傾けた。ウェーブのかかったピンク色の髪が、ふわっと揺れた。

「あれ……? 女の子は?」

どうやらリオに用がある訳ではないようだ。

「……何の用だ」

リオが訝しげな顔をして聞くと、女の子はむっとして言い返した。

「アタシ、アンタと一緒にいた女の子に用事があるの。ほら、あおい瞳の女の子」

「今は出かけている」

「なぁんだ。じゃあアンタは? どこに行くの?」

「聞いてどうする」

「勉強のためについてくの」

「……勝手にしろ」

面倒になったのか、リオは対応を諦めてさっさと階段を降りた。

「ちょっとぉ! 何すんのか教えてくれないの!?」

リオは女の子の存在の無視を決め込み、宿屋を出てすたすたと歩いていく。

「待ってよー!」

大きな屋敷の前の噴水を横切って道なりに真っすぐ歩くと、目的の店に着く。

女の子はリオの買い物風景を熱心に見つめていた。リオが余分なものを売るところを見て、それは何だとかあれは何だとか珍しそうに質問した。

あらかた片付いたところでリオは袋を背負い直し、女の子に言った。

「……俺の用事は済んだ。何がしたいのか知らないが、つき纏うのはやめておとなしく家に帰れ」

「えー!? か弱い女の子に一人で帰れって言うの!?」

「一人で宿の部屋まで押しかけてきた奴のどこがか弱いんだ。俺は遊びに来ているんじゃない。さっさと帰れ」

女の子は面白くなさそうに頬を膨らませた。

「じゃあアタシがひとり寂しく泣きながら帰ってもあんたの良心は傷つかないわけ!?」

リオの眉間に皺が寄った。どうやらかなり厄介な人物に目をつけられたらしい。なおもまくし立てる女の子に、リオは溜め息を吐きながら言った。

「あーわかったわかった。俺が送ったらおとなしく帰るんだな?」

「うん、帰ってあげる!」

上から物言いをするのは気に入らなかったが仕方がない。リオは渋々女の子と連れ添って歩きはじめた。

「こっちこっち!」

女の子は邸宅の並ぶエリアと反対に歩を進める。町を案内してくれているつもりらしく、簡単な説明――ここの職人の腕は良いとか、あっちは偏屈だとか――を交えながら職人達のエリアを回って町の外れに辿りついた。

長屋の連なる向こうの海の見える拓けた所に、船の停泊所があった。リオは思わず足を止めた。

「おーい、どしたのー?」

先に進んでいた女の子が気づいて戻ってきた。リオを見つけると隣に立ち、リオの目線の先を追った。

「あれ、宿屋の隣のお屋敷の船なんだよ。もっと近くで見る?」

「……良いのか?」

「いーのいーの!」

女の子はリオの手を引っ張って桟橋まで連れていった。

停められていたのは、二本の太いマストと広い甲板のある豪華な船だった。船尾に窓が付いているのは、きっと個室があるからだろう。枠には細工がなされていたが、溝に塩が溜まって安っぽく見えた。

ツォの浜の漁師が言っていた立派な船はこれのことなのだろうか。そうだとしたら、出航の予定を聞いておくべきか、とリオはぼんやり考えた。

「おや、クロアのお嬢さん。ご機嫌いかがですかな?」

船に渡されている桟橋から老人が歩いてきて、女の子に声をかけた。

「おじいちゃん、こんにちわ」

どうやら知り合いらしい。クロアのお嬢さん、ということはこの女の子のファミリーネームだろうか。

「ところでお嬢さん、そちらの方はどなたですかな?」

「さっきこっちに着いた旅人。アタシ今、勉強してるの」

「ほっほ。お嬢さんも諦めが悪いですな。お客人、災難でしたのう」

老人は笑い、慣れたようにリオに言った。

「……この船は定期船なのか?」

「お客人、船に乗りたいのか? ……そうか……この船を必要とする人間がまだいたとはな」

船の話をすると老人の瞳の輝きが変わった。だが老人の口ぶりからすると、この船はもう使われていないように聞こえた。

「かつてこの船は、世界の海を自由に旅していたんじゃ。しかし、持ち主の大商人様が亡くなられてからというもの、船はずっとほったらかしじゃ」

「何かのついでに、乗せてもらうことはできないだろうか」

「そんなこと言ってないで、丸ごともらっちゃえば? ずっと使ってないんだし。ね、おじいちゃん」

女の子はけろっとして言った。もしも貰えたとしても、自分達にはこんな大きな船を操縦する技術がない。リオが答えあぐねていると、老人が少し考えて言った。

「ふむ……では、マキナお嬢様に頼んでみると良い。お優しい方じゃ。きっと聞いてくださる」

リオは老人に礼を言ってその場を離れた。クロアのお嬢さん、と呼ばれた女の子は小鹿のようなステップでリオの少し先を歩く。

ぴょんぴょん跳ねながら歩くので、ウェーブのかかったピンク色の髪がふわふわ揺れて微(かす)かに甘い香りがした。頭のてっぺんから足の先まで気を使っています、という感じだ。それにしても、この女の子が初対面の筈のルウにどんな用事があったのかリオは気になった。

「……お前、連れに用があるとか言っていたな。何の用だったんだ」

「え? えーっとね、すごく大切なこと! それよりアンタはなんで旅をしてるの?」

はぐらかされた。

散々くっついてあれこれ聞いてきたり町の中を連れ回したりしたくせに、自分の情報を出すつもりはないらしい。リオの眉間にまた皺が寄った。

(確か舟番のじいさん……お嬢さんも諦めが悪いですな、と言っていた)

つまり、この女の子が旅人について回るのはリオが初めてではないということだ。そしてリオについて来たのは勉強のためだ、と言っていた。

リオが何も答えずに思案顔になったのを見ると、女の子は「やば……」と呟いて気まずそうに視線をさまよわせた。

「えーと、あ、アタシこのあとおけいこの時間だった!! もうここまででいーよ! あおい瞳の子によろしくね!!」

女の子は明らかにうろたえた様子でぴゅーっと走って、路地に消えてしまった。貴族の“き”の字も感じさせない走りっぷりだった。

「一体何がしたかったんだ……?」

残されたリオは眉間に皺を寄せたまま、ぽつりと呟いた。

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