▽ 山麓の一夜
無事に三つ目の果実を手に入れたリオ達は、持ってきた薬草や道具を消費して体勢を整え、下山した。内部の洞窟を抜けると既に日が暮れていた為、麓の小屋で一泊することにした。
「火はこれくらいで良いかなー?」
レスターが、水を汲んで戻ってきたリオに声をかけた。
「暖が取れれば良い。あまり大きくすると魔物が来る」
リオはそう言って火を挟んだレスターの向かいに腰を降ろした。しばらくレスターは枝を折って火に入れたり、私物の扇で風を送ったりしていたが、やがて満足したのか大きめの石を引き寄せて枕代わりに頭を乗せた。リオの傍では、ルウが干し魚を丁寧に焼いている。
「オリガちゃんの魚、すぐ役に立ったね」
ルウがじっと魚を見つめながら言った。潮の香りが漂い始め、リオは懐かしい気分になった。
「いい匂いがしてきたねー」
レスターは毛布を直して起き上がった。今は食欲の方が眠気に勝ったようだ。
「良い感じに焼けたよ。はい、どうぞ」
ルウは布の手袋をはめた手でリオとレスターに魚の刺さった串を渡した。ルウが瞬きもせずに見張って焼いた魚は、身がふっくらとして美味しそうだ。
「ふぅふぁうっふぇ」
「飲み込んでから話せ」
相変わらず行儀のよろしくないレスターに、リオはすぱん!と言い放った。レスターは急いで咀嚼し、飲み込んだ。
「ルウちゃんって律儀だよねー」
「そうかな……でもリオにまた迷惑かけたら悪いし、この方が安全だし」
ルウが苦笑しながら答えた。リオは黙ってもぐもぐと口を動かしている。レスターが三匹めの串を取った。
「これじゃーお父さんみたいだねー、リオ君」
レスターはにっこり笑って言った。レスターの発言の意図をわかっているのかいないのか、リオは表情を変えずに食べ続けた。
お腹も満たされたところで、三人は汲んできた水を火にかけて消毒し、お茶を飲んで一息いれた。
「明日からはどういう予定なのー? リオ君」
「そうだな……サンマロウまでどれくらいの距離があるかわかるか?」
「そんなに離れてないかなー。多分、一日かからないと思うー」
「そうか……」
リオはお茶を一口飲んで短く息を吐き、先ほどから全く発言のないルウを見た。ルウは両手でカップを持ちながら船を漕いでいる。
「……眠いならさっさと寝ろ。明日は魔物が動く前に行動する」
リオがルウからカップを取り、代わりに毛布を渡した。夜の山は麓といえども気温がぐっと低くなるからだ。ルウは曖昧な返事をして、リオに言われるままもそもそと毛布にくるまった。
「おい、ルウ。さっきラボオの小屋を片付けたのは何の為だと……」
リオが慌ててルウの肩を揺らした。しかしルウは既に夢の中へと旅立ってしまった。レスターが笑いながら言う。
「まーまー。ルウちゃんだって慣れない山の中歩いたんだしー、疲れるに決まってるよー」
「……そういう意味じゃない」
リオは溜め息を吐いた。最近のルウは抜けているというか何というか……。無茶をしなくなったとは思うが。
「……そろそろレスターも休め。今日は俺が起きてるから」
「じゃーお言葉に甘えてー、おやすみなさーい」
レスターは膝にかかっていた毛布を肩まで上げ、コテンと横になった。
「…………」
しばらく残りのお茶を堪能しながら、リオはレスターが本当を眠ったことを確認した。
レスターの瞳は初めて会った時以来、一度も見ていない。いつも細められているからだ。だから目をつぶったかどうかもわからない。リオがレスターの睡眠を確認できたのは、呼吸の間隔が不規則になったからだ。
リオは目線を落とし、カップのふちを親指で撫でた。
◆ ◆ ◆「……痛っ」
身体の変なところに石があった。赤くなってたら嫌だな…とルウは思った。
「……起きたのか?」
リオの声がした。
「私、いつの間に寝てたの?」
「食事が終わってからすぐ」
リオはそう言って手元をもそもそと動かし始めた。
「何をしてるの?」
「短剣を磨いてるだけだ。弓は接近戦に向かないからな」
どうして前の長剣じゃないんだろう、とルウは思いながら、リオの手を見つめていた。
「レスターが近距離担当で、私が中距離担当、リオが遠距離担当なんだから、そんな配慮しなくて良いんじゃないの?」
「まあ……念のためだ」
リオは微笑っていたが、ルウには何だか辛そうに見えた。
「……サンマロウで果実、見つかると良いね」
「見つかってもまた誰かに食べられていたら面倒だな……」
心の底から嫌そうにしたリオの表情は、いつも大人びて見えていたリオが(見た目の)年相応になっている気がした。
「……無理して起きている必要は無いんだぞ」
「うん。でもほら……山にいると星が綺麗だよ、リオ」
「……ああ」
「私ね、月とか星とか好きなんだ。あとこういう澄んだ空気も」
「……俺は、今は好きになれないな」
そう言ってリオは後悔した。ルウがとても悲しそうな顔をしたからだ。
「……天使界では、」
少し考えてからリオが呟いた。
ルウなら、教えても大丈夫な気がした。偏見もしないし、間違って他言もしないという確信が何故かあった。
「……天使が死ぬと、星になると言われている。俺達天使は、何千年もの年月をかけて世界樹を育ててきた。その間に、それこそ星の数ほどの天使が生まれ、死んでいった」
急に話を始めたリオを、ルウはじっと見つめて聞いていた。
「あの大地震の日は、俺が捧げた星のオーラで女神の果実が実ったことがきっかけで起きたんだ」
あの時は少なからず、思い上がっていた。努力もしたが、何よりイザヤールが弟子に取ってくれなかったら有り得なかったことだ。そのことを自分は忘れていないつもりだった。
「守護天使になりたての俺が、捧げて良い時じゃなかったんだ。俺のせいで、人間界にも影響を及ぼしてしまったんだ」
リオはまだ短剣を磨いていた。
「翼を亡くした時、俺は初めて神を畏(おそ)れた。夜になれば、悲願を託して死んでいったすべての天使達が俺を見下ろしている。今でも、天使達に咎められているようで怖いんだ」
磨き込まれた短剣が、リオの指先を切った。
「……そんなことないよ、リオ」
ルウはリオの手に自分の手を重ねて、ホイミを唱えた。
「リオは、立派な守護天使様になるためにたくさん努力したんでしょ? だから、他の天使様よりはやく守護天使様になれたんでしょ? 私、ちゃんと知ってるよ。そんなリオを、亡くなった天使様が知らないはずないよ」
リオは顔を上げた。
「きっとリオのこと、見守ってくれているよ。後の天使様を見守るために、亡くなった天使様は星になるんじゃないかな」
――だから、ね?
ルウはもう片方の手も添えて、リオの左手をきゅっと握った。
「……ありがとう、ルウ」
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