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駆け引き


 最近の鳴海さんは普段とは違い、真っ昼間からここ銀楼閣を出ていく。女中である私と同じ空間を過ごしたくない、ということなのだろうか。夜遅くまで呑んだれる所長の真意は誰にも分からない。
 
「ライドウさんだったら分かるのかしら」
 
 ため息を吐いてみても、何も変わらない。何故なら今頃、書生は師範学校で勉学に勤しんでいる。
 
「さて、お掃除はひと段落したからお次は……」
 
「よう、(名前)ちゃん。今日も頑張ってるねぇ」
 
「まぁ、鳴海さん。お帰りなさい。今日は随分早かったですね」
 
 そう言い、鳴海さんから帽子やら上着やらを受け取り、丁寧にハンガーにかけていく。すると、鳴海さんはいかにもな微笑みを浮かべて私の顔を覗き込んでくる。
 
「いやぁ、君に会いたくて早く帰ってきちゃったよ」
 
「そうですか? ふふっ、カフェーの女給にも同じことを言っているのでは?」
 
「こう見えてここ最近の俺は、綺麗さっぱり心を入れ替えてるんだが。気づかないかい?」
 
「鳴海さん、コートの上着のポケットにこれが」
 
「うっ……」
 
 そうして、所長の高級ジャケットの胸ポケットから、とある喫茶店の名が書かれたマッチ箱が出てきた。チップ目的で風俗紛いのサービスを行う女給が揃っている店だ、とタヱさんから聞いたことがある。私は込み上がってくる動揺を隠すように、口元に手を当てた。
 
「探偵社がなくなるとライドウさん達が困りますから、ある程度は目を瞑ります。火遊びには気をつけてくださいね」
 
「へーい!」
 
「私は嫌ですよ。銀座の一等地にある探偵社の所長が女給と無理心中や入水自殺なんてことになったら。ここに毎日、記者がやってくることでしょうね」
 
 最近はそういった事件が多いと聞く。小説の中だけの話だと思っていたが、まだまだ帝都から葛葉ライドウが撤退しないところを見るに、意外と近くに不穏の根が迫っているのかも知れない。そういった警戒の意味で所長に言葉を連ねるも、肝心の所長はへらへらとした笑みをやめなかった。
 
「どうせ記者を賑わせるなら、別のことで賑わせたいもんだねぇ」
 
「別のこと?」
 
「有能な敏腕所長が電撃婚とか、長年一途に思っていた女性とようやくゴールインとか」
 
「まさか、どなたかとご結婚なさるおつもりですか?」
 
 そんな情報は初耳だった。もしかすると、心を入れ替えた理由は、女給ではなく婚約者と逢瀬を重ねていたからではないか。自分の無知さを恥じた。
 
「い、いやぁ……そうだね。(名前)ちゃんみたいに可愛い子がいたら」
 
「その折には、私からもお祝いを贈らせてくださいね」
 
 しっかりと鳴海さんの瞳を見ながら、深く会釈する。お相手はどんな人だろうか。ここで共に過ごすことになるのか。興味は尽きない。同時に皆との関係が壊れてしまうのではないかと、胸がちくりと痛んだ。
 
「……それじゃあ、(名前)ちゃん。俺のために珈琲を淹れてくれないかい?」
 
「え?」
 
「お土産、買ってきたんだ」
 
 そうして、鳴海さんは私に紙袋を差し出してくる。不二子パーラーの紙袋だった。洋菓子か。
 
「ケーキですか?」
 
「いいから早く。慣れない買い物をして所長サマはお疲れだよ」
 
「はいっ、ただいま!」
 
 そして所長はソファにどっしりと座ってだらしなく姿勢を崩した。ポケットから取り出した煙草に火をつけていく。私はすかさず灰皿を側に置き、換気用の窓を少し開けてから大慌てで支度に取りかかった。
 
「鳴海さん、お待たせしました」
  
 トレイの上に一人分の珈琲とケーキを用意し、鳴海さんの分だけ真っ先に持ってきた。所長の前のテーブルに静かにそれらを置く。
 
「(名前)ちゃんの分は?」
 
「私はあとでいただきます」
 
「……そっか」
 
 どことなく不服と言いたげな目線が降ってきた。次いで、ぶっきらぼうな声が流れた。
 
「それじゃ、俺の隣に座って」
 
「はい」
 
 来客用の長ソファに座り込む鳴海さんの隣に腰かけた。ふうっと長い煙が鳴海さんの口から吐き出されていく。ようやく彼はケーキと珈琲に手をつけ始めた。今思えば、甘味を好んで食べるような人ではなかったと思う。
 
 幾重にも細く絞られた和栗のペーストの上に栗の甘煮が乗ったケーキ。確か、モンブランといっただろうか。どんな味がするのだろう。まだ食べたことがない。

「(名前)ちゃんはまだ嫁入りとかしないの?」
 
 物欲しそうな目線をしていたことを恥じ、私はそっと口を開いた。
 
「ええ。まずは仕事をきちんとこなさないと。女中としてライドウさんや鳴海さんにご満足いただけないようなら、どこに行っても姑に役立たずと罵られてしまいます」
 
「へぇ、真面目だねぇ」
 
「それに綺麗なお部屋で過ごせば、仕事だって捗りますし、心も穏やかになりますよ」
 
「ま、そりゃそうだな」
 
 ふと、鳴海さんがケーキを突く手が止まった。何かと思って隣にある男の顔を見る。視線が私の方をずっと向いていた。
 
「俺さ、色んな女の子を見てきたけど、やっぱり(名前)ちゃんみたいに真面目な子っていいなってずっと思ってたんだよね」
 
「どういう、意味です?」
 
「自分でも嫁向きの性格してると思わない? 俺が煙草ふかした途端に灰皿持ってきたり、窓開けたり。女給でもそこまで気が利く女はいなかった」
 
「……そうなんですか?」
 
「女給ってのもあくまでビジネスだ。いくらこっちの容姿が良くても、長く太く金を落とす客の方が歓迎される」

「鳴海さん?」
 
 もの悲しげな視線と目が合った。いつものように愚痴を聞いて欲しいのか。そう思った瞬間、私の後頭部を優しく掴む男の手があった。所長は私の双眸を間近で射抜いたあと、酷く甘えた声を出してくる。
  
「せっかく、(名前)ちゃんのためにケーキを買ってきたのにさ。今日くらい俺の目の前で食べてよ」
 
 そう言って、鳴海さんは勢いに任せて私の口を塞いだ。接吻だと気づくのに数秒かかった。
 
 同時にそんな技をどこで覚えてきたのか。異性の唇を当たり前のようにすんなりと奪える男だったのか。あんなに優しくてだらしなかったはずの鳴海さんが、急に大人の異性として見えてくる。
 
 そうして最後に彼の唇越しに甘い酒の香りが伝わってきた。
 
「(名前)ちゃん。洋酒が効いた大人のモンブランだっていうのに、結構甘いよな」
 
 言葉を聞いてしまうと、そのことばかりが気になってしまう。確かに、彼のキスはほろ苦いのに甘かった気がする。ああ、なんて破廉恥なことを考えてしまったのだろう。唇に手を当て、気持ち後ずさる。しかし、鳴海さんは私を離さない。
  
「はしたないと思うだろ?」
 
「鳴海さ……」

「わざとやってるんだ」
 
「…………っ!」
 
「いい加減、俺のこと意識してよ」
 
 目が本気だった。獣みたいなのにどことなく優しさを感じる。毒みたいに心の隙間に入り込んでいく。
 
「あ、あのっ……!」
 
「意識しないと、ずっと続くよ?」
 
「私のこと、そんな目で見ていたんですか?」
 
「……さぁね」
 
「意地悪……」
 
 答えをはぐらかされたことに対し、悲しげにそう呟く。彼の手が緩んだ。だから、離れようとした。しかし、鳴海さんは私に言葉をかけるのをやめなかった。
 
「もし、嫌じゃなければ」
 
「え?」
 
「(名前)ちゃんの分のケーキと珈琲、ここに持っておいで」
 
「はい?」
 
 首を傾げると、頭を気だるそうに掻く、いつもの鳴海さんが現れた。
 
「(名前)ちゃんに求めてるのはそういうことだけじゃない。俺は癒される話し相手も確保しておきたいんだ」
 
 大人の顔を見せたと思ったら、唐突に無邪気な子供の顔を見せてくる。それに引き込まれそうになる。私はどうしようもない人だと、くすりと笑いながらありのままの鳴海さんを見た。
 
「ふふっ、わがまま放題ですね」
 
「俺はライドウみたいなサマナーじゃない。ただの人間だしな」

「ねぇ、鳴海さん」

「ん?」
 
「いつから好きだったんですか? 私のこと」
 
「所長専属の話し相手になってくれたら、いつか聞かせてあげるよ」
 
「大人って、ずるい」
 
「ああ、大人はそういうもんなんだ」
 
 そうして私は、私の分の珈琲とケーキを持ってきた。所長の隣にそれらを並べて、同じものを食して、同じ時間を過ごすことにした。それに勤しんでいる時だけは女中ではなく、所長からの一途な愛を受け取る、ただの女でいられた。
 
 
 駆け引き
(君の話こそ聞かせておくれ)



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