Harlequin

UNOFFICIAL TEXT SITE


SINCE 2016/10/01

和を保つ


「なんですって? 今日という今日は許しませんからね、雷堂さん」

 今朝も鳴海探偵社には女中の金切り声が上がっている。声の主は雷堂の補佐役こと(名前)という女サマナーである。箒とちりとりを提げて、華麗に主人に刃向かっている。
 
「ああ、我もお前に許して欲しいとはつゆほども思っていない」
 
「あっ、そう!」
 
「さ、業斗ちゃん。今日も探偵事務所が火の海にならないうちに外に出ようか」
 
「ぐぬっ、鳴海ィ! 我は雷堂の指南役であるからして!」
 
「おーおー、二人とも怖いでちゅよねー」

 そう言い、鳴海は業斗の頭をくしゃっと撫でながら銀楼閣の出入口へと向かう。唯一、サマナーではない鳴海には、葛葉一族の目付役の声が猫の声にしか聞こえていないのだ。
 
「じゃあな、雷堂。(名前)ちゃんと仲良くやれよ」
 
「……はぁ、また鳴海さんったら逃げてった」
 
「ふん」
 
 ぽつんと取り残された二人は、引くに引けなくなり黙するばかりであった。たまらず(名前)が言葉を連ねた。
 
「私だって仲良くやりたいのは山々なのよ。いつも雷堂さんが任務で忙しくしているのだって分かります」

「ん?」
 
「でも……少しくらい感謝の気持ちがあってもいいと思わない?」
 
 横目でそっと雷堂を見る。相変わらず眉目秀麗な色男だと思う。だからこそ、もう少し大切にされたい欲が出てきてしまう。(名前)は、当たり前のように「はぁ」とため息を吐いた。
 
「はははっ、感謝して欲しかったのか? 愚図でのろまなお前の家事を我はどう褒めればいい?」
 
「まぁ! 補佐役の苦手なことをいじって否定するだけなんて。意地悪ね。葛葉一族の中で一番強くて偉いとはいえ、言ってはいけないことよ」
 
「……」
 
 自分が仕える主に反論してみても、虚しさばかりが刺激される。怒りが徐々に悲しみに転じる。
 
「もう……珈琲も淹れませんし、大学芋も買ってきません」
 
 苦肉の策で出た言葉だった。今にも目元から雫があふれていきそうである。涙声にはなっていなかっただろうか。(名前)は前髪を整えるふりをして、そっと瞼を拭う。ほんのりと指先が濡れた。
 
「(名前)。それは……」
 
「は、はい?」
 
「それは困る」
 
「え?」
 
 至極、間の抜けた男の声が響いた。目を見張りながら女中が視線を向けると、腕を組んだまま冷や汗を顔に滲ませる男の姿があった。そんな愛嬌のある葛葉雷堂は、ここに来てから一度たりとも見たことがない。
 
 女は驚きつつも、浮かんでくる微笑みを消すことが出来なかった。
 
「ふふふっ、そんな顔しないで雷堂さん。私も感情的になってしまってごめんなさい。悪かったわ」
 
 いつものようににこりと笑うと、二人の間に安堵が流れていった。
 
「(名前)」
 
「何かしら?」
 
「お前は何故この我の補佐をし続ける」
 
「え?」
 
「過去から続く下らぬしきたりやしがらみなど、葛葉の長となったこの我ならば綺麗に破壊出来よう。不向きな環境に身を置き続ける理由はなんだ?」
 
 どうせなら彼女に普通の幸せを味わって欲しいと思う。しかし、そうすれば(名前)が補佐役解任の流れとなる。すなわち、もう二度と会えなくなる。
 
「……そうね。私は」
 
 しかし雷堂の予想に反して、(名前)は目をきらきらと輝かせながら続けた。
 
「この帝都に住む人達が好きなんでしょうね」
 
「ふむ」
 
「もちろん、その中には雷堂さんや業斗さん、鳴海さんも含まれているわ」

「……」 
 
「だってこの帝都を、私の好きな人達を守ろうとする人達だもの。嫌うわけがないわ」
 
「……そうか」
 
 雷堂はふと思う。女中の根幹に流れているのは単純な好き嫌いであった。これほどまでに喧嘩しても嫌いの枠に入ることがない。それに甘えてしまう。それでは駄目なのだ。そう思うとふと彼女に触れたくなった。
 
 雷堂は(名前)の隣にやってくると、彼女の頬をそっと撫でた。
 
「雷堂さん?」
 
「(名前)。お前は日々、我らに出来ぬことをよくやっている」

「え……?」
 
「(名前)がいなければ、我らの生活はとっくに破綻していただろうな」
 
 男がそう呟くと、女の表情に穏やかさが戻っていく。
 
「だから我は任務をこなして平和を維持することの方が、肝要だと思っている」
 
「そう」
 
「(名前)が我の補佐をせずとも良い世界を……我らと安心して笑える日常を作りたいのだ」
 
 (名前)は雷堂の口から出てきた素直な好意を感じ取り、一気に顔を赤くしてしまう。
 
「……まぁ、それは」
  
「我も、お前のことは嫌っていない」
 
 そうして、雷堂は黒外套を翻し、(名前)の前から離れた。
 
「では、任に出る」
 
 柄にもないことを言ったと思いながら、女に背を向ける。学帽を深く被り直し、探偵社の出入口を見据えた。
 
「雷堂さん」
 
 ふと、背後にとん、と温かい感触がやってきた。なんだと思っていると、(名前)の腕が自分を抱き締めてくる。
 
「ありがとう。今夜も疲れの取れるお食事を用意しておきます」
 
「期待している」
 
「はい!」
 
 女中は耳元までしっかりと赤くしながら、いつものような笑みでもって主人を送り出したのだった。
 
 
 和を保つ
(そろそろ、二人は仲直りしてるかな)
(いつになったら猫じゃらしから解放されるのだ!)



prevtexttopnext