Harlequin

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repairer


 一台のスクーターを引き摺りながら、私は彼がいるガレージを目指した。

「ブルーノはいる?」
 
 最近出会ったひょうきんな男は、待ってましたと言わんばかりに私の前に躍り出た。

「ようこそ、(名前)!」
 
「またスクーターの調子が悪くて……今日も見てくれない?」
 
「あれれ? どうしてだろうね」

 がらんとしたガレージには彼一人しかいなかった。ブルーノは私のスクーターの周りをぴょこぴょこ跳ねながら、じっくりとそれを眺めていく。

 どんな状態で持ち込んでいっても財宝が入った宝箱を見つけたみたいに楽しそうに作業に取り組むブルーノという男は、遊星のところに来た訳ありの居候らしい。私は気にせずスクーターを彼に預け、側にあった適当な椅子に座った。
 
「この前、仕事に行こうと思ったらすごいスピードが出ちゃったんだから」
 
「でも、ブレーキはちゃんと効いたでしょ?」
 
 男は悪びれることなく私に向き直って笑う。その純な笑みを浴びてしまうと、どきりと胸が跳ねる。
 
「う、うん。ピタッと止まったけど……」

「大事な君に怪我をさせるわけにはいかないからね」
 
「え?」
 
「何でもないよ」

 彼は私から視線を外し、私のお気に入りのスクーターの方へ屈んだ。それに少し安堵する。しかし、同時に嫉妬心も刺激される。あえていじるように彼に言葉を投げた。

「この前は全然スピードが出ないと思ったら今回は出過ぎるし、極端よ。どうしてブルーノが修理すると、いつもこんなことになっちゃうの?」
 
「どうしてって、そうだなぁ……」
 
 彼は工具を握りしめたまま、一向に手を止めない。私との会話は調子の悪いスクーター以下なのかと思うと、変な悔しさが募る。むっとした顔で彼の背を睨みつけた。
 
 すると、ブルーノは勢いよくこちらに振り返ってくる。ばつが悪そうに頬を掻きながら、私のしかめっ面に柔和な声を返してきたのだ。
 
「……それはね、好きだから」
 
「えっ?」
 
 そう言い終わると、ブルーノは再び視線をスクーターに戻す。そんなに機械のことが好きなのかと思い直し、小さく嘆息する。そうすると、胸のはやりは微かに落ち着いた。ブルーノは言った。
 
「ねぇ、スクーターを見てる時の僕とパソコンでデスクワークしてる時の僕、どっちが格好いいと思う?」
 
 突然話題が変わって一瞬困惑したが、正直に答えるのは面白くない気がした。だから私はふふっと笑い、彼の背に正直な言葉を浴びせた。
 
「そうねぇ。私は、きちんとご飯を食べてる時のブルーノが好き」
 
「ええー?」
 
「だって、ご飯を食べるのは大事よ? 遊星達はいつも生活が不規則だもの」
 
 女っ気のないガレージに私の声が響いた。まだここには謎の機材や工具が散乱している。おそらく、彼らを虜にするような綺麗好きな女性はまだ現れていないのだろう。男らしさあふれる使い方をされるガレージを見て、まだ私はここに通ってもいいのだと密やかに安堵する。

 ふと、ブルーノはいつの間にか私の方に顔を向けていた。何だと思って見つめる。ああ、綺麗に視線が合った。
 
「(名前)……君といたら、そういうの直りそう?」
 
「どうだろうね」
 
「そこは『うん』って言って欲しかったなぁ」
 
「ブルーノ?」
 
 とくんと胸が鳴った気がした。しかし、きっとこれも気のせいだろう。だって彼はただの修理工で、私はその客だ。これ以上、この差が縮まるようなことがあるはずがないじゃないか。
 
「はい、じゃあ今日のところはこれでおしまいだよ。(名前)」
 
「ありがとう。お疲れ様」
 
 労いの言葉をかけると、彼は子供みたいに嬉しそうに笑った。何故だかそれに強く惹きつけられている自分がいる。それから、彼は工具を箱に戻し、ゆっくりと立ち上がった。それからエンジンの調整をした後、満面の笑みを宿してこちらに歩いてくる。
 
「またスピードが出過ぎるようだったら、ここに来てね」
 
「今度は遊星に頼んじゃうかもよ」
 
「遊星じゃ直せないようにしてる」
 
「どうして?」
 
 そう問いをぶつけると、彼は鼻を擦りながらにこりと笑う。
 
「ふふ、(名前)。この僕に言わせたいの?」
 
「ええ?」
 
「じゃあ分かった。目を瞑って?」
 
 戸惑いながらも彼の指示に従う。また顔にマシンオイルでも塗られて悪戯をされるんだろう。前回はそうだった。
 
「今日はね、こういう悪戯をしてあげよう」
 
「もう、何するつもりなのよ」
 
 瞳を閉じ、呆れ声で呟きながら突っ立っていると、突然、誰かに抱き寄せられた。びっくりして目を開けると、すぐ上に修理工の青い瞳が輝いている。
 
「(名前)、悪い子だね。まだ目を開けちゃ駄目じゃないか」
 
「どう、して?」
 
「僕が本当に好きなのは、機械だけだと思ったかい?」
 
 さらりと告げられ、私の頬に彼の唇がすとんと落ちてきた。頬に温かいものが触れた事実をひとたび味わえば、また胸の中がうるさくなっていく。
 
「……ブ、ルーノ?」
 
「誰かさんのこと。すごく好きなんだよなぁ、僕」
 
 そう言って、彼は私を手放した。まだ動悸がする。こんな風に触れられたことは一度だってなかった。どうして今日に限って。そう告げるように、彼を睨む。案の定、いつものように穏やかに笑っている。
 
「……そんなに好きなの?」
 
「そうだよ」

 私はスクーターのエンジンを点けた。持ち込んだ時よりいい音がする。機械は簡単に直るのに、私の胸はいつまで経っても治らない。それが悔しくて、私は顔を熱くしながらその場を去ろうとする。
 
「もし、僕のことが気になってきたら」
 
「えっ?」
 
「いつでも、ここにいるからね」
 
 最後に見た笑みは、微かに侘しさを感じる儚げな何かが内に秘められているような気がした。私はそれを見ないように背を向けた。
 
「……気にならない方が、おかしいじゃない」
 
 ブルーノがいたガレージを飛び出し、ハイウェイを走る。私のスクーターは一向に誤作動を起こす気配がない。それがまた悔しくて、私は小さく唇を噛んでしまっていた。
 
 
 repairer
(だからまた、確かめにおいで)
 



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