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孤独の海に沈む者


 きっかけはあいつの方からだった。数日前に「デートしよう!」と恥ずかしげもなく告げられ、週末に無理やり約束を入れられた。盛大なため息で牽制するも強引なあいつには全くの無意味。
 
 別段、何もなかった日だからいいものの、あの女はいつだって俺を振り回してくる。しかし、そんな日常がどこか癖になっている自分もいた。
 
「なんだ、(名前)からか?」
 
 約束の時間まであと数分といったところで、Dゲイザーから音が鳴った。液晶を眺めると、(名前)からメールが来ているではないか。文面を眺めると、今日に限って体調を崩してしまった、とやけに気落ちした文が連なっていた。

 俺は、少し気になってとある女医に連絡を取る。

「ああ、凌牙くん。こんにちは」

「先生……またあいつが具合悪くしたって聞いたんだが」

「そっか、(名前)ちゃんから連絡があったのね。とりあえず落ち着いて」
 
「これで何度目だよ……ったく」

 苛立ちに似たため息を吐き出すと、先生は穏やかな声音で淡々と告げてくる。
 
「昨日診察したんだけど、今回はいつもの発作というより風邪をこじらせちゃったみたいよ」
 
「そうなのか」
 
 顔見知りの女医の言葉を聞き、苛立ちがすっと安堵に塗り変わる。いつも(名前)は血を吐くような酷い発作に苦しまされていると聞いた。しかし、今回は普通の風邪。先生の口ぶりから察するに命の危険性はないんだろう。
 
 ふと、あいつの顔がよぎる。家のベッドの上で苦しみ続けている(名前)は、何を思ってこのメールを送りつけてきたのだろうか。
 
「なぁ、先生。俺は……どうしたら、いいと思う?」
 
「えっ?」
 
「……俺は、あいつの役に立ってると思うか?」
 
 感情に任せてそう呟くと、途端に羞恥が熱を持ったように顔に表れた。
 
「変なこと聞いた。悪い」
 
 慌てて言葉を引っ込めるも、先生は臆することなく柔和に声をかけてくる。
 
「ふふっ、凌牙くんったら(名前)ちゃんのこと、大事にしたいのね。妬けちゃうなぁ」
 
「そ、そんなんじゃねえ!」
 
「そうね。私だったら症状が落ち着くまでずっと手を握っててあげるけどなぁ」
 
「……ハ、ハードルが高すぎるだろ!」
 
「あらそう?」
 
「もういいぜ、聞いた俺が馬鹿だった」
 
 そして、半ば一方的に電話を切った。デートとかいう約束がなくなっただけだというのに、俺の視線が徐々に下がっていく。この街のどこを探しても、もうあいつには会えないんだ。視線を上げる意味なんてない。そう思いながら、街をぶらつく。
 
「こういう時って何したらいいんだ?」
 
 唐突に手を繋いで歩く男女の姿が視界に入ってきた。そいつらは何をしていなくても幸せそうな顔をしている。俺もいつか、あんなだらしない顔になっちまうのか。それを受け入れられなくて舌打ちしながら羞恥を誤魔化した。
 
 大体あいつは病弱だってのに外をうろうろしすぎだ。そのせいで不定期に寝込んでるだろ。おまけにデュエルも全然出来ねえくせに俺の周りをうろちょろと動き回る。まるで、騒々しい子犬みてえな女。

「犬には、餌が必要か……」
 
 犬、と見下した言葉を吐くとやけにむしゃくしゃした。街の雑踏にまみれながら、ショッピングモールの煌びやかな店を眺める。
 
「ああ、俺……」
 
 彼女が好きなものを何一つ知らない。長くいるはずなのにどうして基本的なことすら分からないのか。そんな無力感が俺の行く手を阻む。
 
「シャークだ!」
 
「え? キャンディショップに何しにきたんだろ?」

 おまけに、札付きのワルだという噂が俺の足を引っ張っていく。なぁ、お前はこんな俺といて本当によかったのか。ふと湧いた疑問を店のショーウィンドウにぶつけた。いかにも女子が好きそうなキャンディが俺を睨んでいる。買って行こうか。いや、こんな子供っぽいもの、あいつが喜ぶとは思えねえ。頭がショートする寸前くらいまで悩み、衝動的にあいつが好きそうな色のロリポップを買った。こんなこと、もう二度としたくない。

「……すっかり暗くなっちまった」
 
 この砂糖の塊をどうやって渡そうか色々模索するうちに、辺りは真っ暗になってしまった。あいつの家の前までやってきたはいいものの、我が物顔でこの家の敷居を跨ぎたくはない。ふと、邸宅の窓ガラスにパジャマ姿の女が映った。俺は意を決して彼女の部屋らしき窓に小石を投げつけた。
 
「えっ、凌牙?」
 
「静かにしろ」
 
 途端に窓が開いた。周囲を警戒しながら中に入ると、そこにはファンシーな小物が並んだ女の寝室が控えていた。
 
「ちょ、な、何しに来たのよ! 父様や兄様達に何て言われるか……」
 
 ただの風邪だっていうのに相変わらず、うるさい口だ。それが癪で俺は(名前)の小せえ頭をぐいっと掴んで引き寄せた。
 
「今は黙れ」
 
 そして、唇をすっと押し付けた。女は馬鹿みたいに大人しくなった。
 
「こうでもしねえと格好がつかねえだろ?」
 
「わ、わぁっ……!」
 
「せっかく付き合ってるのによ」
 
 耳まで真っ赤になった顔を両手で覆っていく(名前)。そんな姿もウブで愛らしい。だから俺は、自分が真剣に選んだキャンディをそっと差し出した。
 
「今夜は少しだけ、側にいてやるから……これで早く元気になれ」
 
「ありがとう……凌牙……」
 
 彼女は俺から飴を受け取ると、「本当は心細かった」とこぼしながらピーピー泣きやがる。これだから子犬の世話は大変だ。だが、少なくとも今の自分はこいつといるのも悪くないと思い始めていた。
 
 
 孤独の海に沈む者
(彼女を引き上げるのはきっと俺の役目)
 



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