本日も大活躍だった大皿を労うように洗って、洗剤を落とした後の水滴を拭っていると、ダイニングの扉からへべれけのウソップが顔を出した。湯上がりよりも色濃く頬を染めていて、意外とパッチリとしている瞳は半開きだ。そのぼんやりとした視界にキッチンに立つサンジの姿を留めたようで口角を上げる。片手にはまだ酒をストックしていたが、こちらにやってくる足は完全に千鳥足になっていた。


「…いいのか? 主役がこんなところで油売って」


 ドアの向こうではブルックのバイオリンが鳴り止まない。今夜は示しあわせたかのようにエイプリルフールに生まれたウソップを祝う宴が行われていた。日没と共に始まったので、クルーの腹はすでにメイン料理で膨らんでいたが、別腹にデザートをつっこむような時間帯になっても、まだ皆の陽気な声は船上に響く。サンジは一旦、山のように積まれた皿を片しにキッチンに戻っていたが、それは彼がコックであるから当然なわけで、宴の主役はこの場には不釣り合いだった。


「んー…いや、ちょっと休憩」

「宴に休憩もクソもあるかよ。水飲むか?」

「おー」


 覚束ない足元ながらカウンターまで辿り着いたウソップに、サンジはコップ一杯の水を差し出す。どうも普段より酔いが回るのが早い様子の彼は、受け取ったそれを三口ほど飲んだ。そしてまたテーブルにコップを預けたあと、少し体を前傾させて腕を組み、そこに顎を乗せる。相変わらず皿を拭き続けるサンジは、煙草の煙とコップの水の向こうでぼやける長鼻を見つめた。


「…幸せってのはさァ」


 何か言いたそうにしているとはここに入ってきた時からなんとなく分かってしまったので、そのまま黙って耳を傾ける。相槌を打ってやろうかとも思ったが、こんなに酔っていることを考えると、ちゃんと聴いているのだというアピールはあってもなくてもあまり重要ではない気がした。だから手は休めずに、自分の仕事を片付けつつ、目の前のコップを見つめるウソップが話したいだけ話すのに任せる。


「大きすぎると、貰うの怖くなっちまうよなァ…」


 組んだ手に乗せている顎をほんの少し左に傾けて、彼は心底嬉しそうに微笑んでいた。あれだけ甲板で大笑いしていたからか、それとも酒に焼けたのか、若干枯れた声で独り言みたいに呟いた。思いもしなかった言葉に、サンジはゆっくりと瞬いて、純白の皿を拭きあげながら小さく笑った。水滴が完全になくなったので照明を綺麗に反射する。暴飲暴食の激しい船長から清潔さを取り戻したそれを満足そうに見つめて、すでにタオルドライの済んだ皿の上に重ねた。
 汚れてから初めてその白さを意識するように、当たり前にいつもそばにあるものも、失いそうになってから貴さに気づく。それを一度、身をもって体験したウソップは、今日のこの日を仲間と共にもう一度迎えられたことに、計り知れない幸せを感じているんだろう。そしてそれは休息を挟まなければならないほど、抱えきれない大きなもの。一人で抱えられないなら皆喜んで支えるだろうにと思ったが、それを言うのは自分のキャラではない気がして、代わりにサンジはいつものような軽口でしか応えられなかった。


「だからおめェは度胸が足りねェんだ。貰えるもんは貰っとけ。海賊の世界じゃあとでくださいってのはみっともねェって笑われるぞ」


 ウソップからの返答はない。サンジがまた一つ皿を重ねる音だけが繰り返される。合間に煙草の灰を落としたり、甲板から聞こえる皆の合唱に鼻歌をかぶせたり。そうしているうちに洗い立ての皿はどんどん拭かれていって、後はもう食器棚に収納するだけになっていた。この間、うつ伏せたままのウソップはうんともすんとも言わない。不審に思ったサンジは、カウンターから身を乗り出し覗き込んでみた。


「ウソップ…?」


 すると、顔の左半分を腕に埋めた彼の寝顔があった。ずいぶん酔っていたから潰れてしまっても可笑しくはないが、その顔が無邪気に笑っているものだから微笑ましく思える。耳を澄ますと微かな寝息も聞こえていたので、残りの片付けはあまり大きな音をたてずにしようと慎重になった矢先だった。ノックがあるわけでもなく無遠慮にドアを開いてゾロがやって来た。
サンジがうげっと顔をしかめたのも束の間、空になった酒瓶を掲げながら声を張り上げる。


「おいクソコック! 酒切れちまったから新しいの…っ」

「…てめ、声のボリューム下げろ!」

「…? なんだよ」

 起こさないようにと慌ててウソップから距離を保ったサンジが、眠る彼の存在を大袈裟な身ぶりを交えてゾロに訴える。そうすればさすがのゾロにも言いたいことは伝わったようで、黙ってサンジに瓶を渡した。それを受け取って、ひっそりとした声で一つ提案する。


「…見ての通り、寝ちまったんだよ。おまえ下まで運んでやれ」

「アホか。ガキじゃあるめェし、起こして自分で行かせりゃいいだろ」

「……おかわり、要らねェんだな?」

「……。…チッ、仕方ねェ。次はもっと度の強ェの出しとけ」

「いい顔して寝てんだ。起こさねェようにそーっとだぞ」


 上手いこと言いくるめられたゾロは面倒くさそうにしつつ、結局サンジの言う通りにウソップの元へ向かった。ちょうど己の肩のところで上半身を折らせるように担ぎ上げ、階下の男部屋を目指す。
 短くなった煙草をくわえるのを止めて、ふいにサンジはゾロの背中に訊いていた。


「なァ、おまえ今…幸せ?」


 ぴたりと足を止めたゾロは振り返って、まじまじとサンジを見つめる。どうやら突拍子もない質問の意味を探っているようだが、サンジだって何で口をついて出てしまったのか分からなかった。ただ、どんな時にこの男は幸せを感じているのかが気になった。些細なことでもいいし、自分とは異なっていてくれても大いに結構だが、同じ船に乗る仲間の誰かと、それを共有してくれていたらなんとなく安心する。
 ゾロは数秒間サンジを見つめたが、答えるよりウソップを部屋へ連れていくことを優先したらしい。すぐにドアへと向き直っていった。しかし帰ってきた彼に約束の新しい酒を渡したら、その刹那に唇をペロリと舐められた。そして「こういう時」と高圧的な顔で笑われたので、酒かキスかが判断出来ずに、サンジはしばらく悶々と考え込んでしまった。







おかあさんじと、親父ゾロでした。
誕生日おめでとうウソップ!


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