サニー号のダイニングから大絶叫が聞こえてきたのは夕飯も御開きになった頃だった。その声の大きさは大海原を駆けるように泳ぐ魚達を一瞬で船底から遠ざけ、ダイニングから結構な距離にあるはずの大浴場にまで届いた。夕飯を腹におさめたチョッパーはちょうどナミに頭を洗ってもらっているところだったが、ふいに聞こえた声に耳を立てて顔を上げる。それは何も彼の聴覚が常人より優れているからというわけではない。ナミと、それから湯船に浸かっていたロビンの耳にも届いていた。
はっきりと聞こえてしまったので、誰の声だかもわかってしまう。この声が荒ぶる原因は大体3つに絞られる。一つ、つまみ食いや盗み食い等の、コックの城が荒らされた時。二つ、女性関係が拗れた時。三つ、宿敵なんだか意外と息の合ったコンビだかわからない、マリモ頭とのじゃれあい。3人は顔を見合わせ、各々の推測を口にした。有力なのはやはり三番目かと思われたが、夕飯も終わった今、誰かが洗い物のお皿でも割ってしまったのかもしれないという意見もある。
 だがしかし、彼の咆哮は彼女達が口にするいずれでもなかった。その声のせいで愛しいレディ達の優雅なバスタイムに水を差してしまったことなど気づかずに、二階のダイニングには絶叫のまま、大きな口を開けて放心している料理長の姿があったのだ。


 思わず耳を塞いでしまったゾロ以外の男子4名がようやくその手を離した。その内の1名は、耳が無いくせに皆につられてとってしまった己の行動に、テンション高く自分で自分にツッコミを入れている。そんな彼を見て目尻に涙まで浮かべて笑う船長は手を叩き、手元にあったお茶をうっかりこぼしてテーブルクロスを濡らしたが、料理長にはそれを咎める余裕がないようだ。代わりにウソップが台拭きをルフィの顔面に投げつける。
 最後の一口のコーラを飲み干したフランキーは、騒がしいやりとりには目も向けず、ソファから立ち上がって直立不動のままのゾロの元へ歩み寄った。そして、まるで大好きな酒を目の前にしたかのようにご機嫌な表情を称える彼の頭を、木製の身長計から解放する。

「言っておくがこりゃ完璧な身長計だからな。おれが造ったもんにケチはつけんなよサンジ」

「伸びたなァゾロ。まァ寝る子は育つって言うしな…あんだけ寝てりゃ当然か」

「次おれ! おれも測ってくれ!」

 ハイハイ! とアピールするルフィに場所を譲り、ゾロは立ち尽くすサンジの横に並んだ。首やら足やら体の部位を伸ばすのは禁止なと言いつけてから、フランキーが麦わら帽子を預かってふよふよと空に跳ねる黒髪に計測器を下ろした。
 そう、夕飯後の男どもはこのダイニングにて、ひょんなことから身長測定大会を開催していた。波にもまれて乗り越える度に強くなる心と一緒で、絶賛成長期の彼らは体つきもまた徐々に逞しくなってきている。そういえばもう随分背丈を測ってねェなとこぼしたサンジの一言がきっかけで、フランキーが急遽、計測器を製作したのである。
 ところが、楽しいはずの身長測定も束の間、サンジのプライドがへし折られる事態となってしまった。ボキッと潔く真っ二つに折った張本人はゾロだ。それまではサンジとゾロの身長差はたったの1センチでしかなかったのに、今回の測定でその差が5センチに開いてしまっていたことが発覚した。5センチなんて背伸びでもすれば簡単に追い付ける小さな差ではあるけど、サンジにとっては大打撃だ。ゾロは自分よりも5センチも上の景色を見ていて、自分はその高さから見下ろされるのだ。そう思ったら唇が震えて、フランキーによって叩きつけられた揺るぎない数字の記録に、わき上がる衝動を抑えることが出来なかった。
 そうして冒頭の大絶叫へと至るのだが、放心したままのサンジを見つめて、ゾロが盛大に鼻で笑う。

「お、つむじが見えるぞ。ここはそのヘンなマユゲと違って案外渦巻いてねェもんなんだな」

 ぽんぽんと、小さい子供でもあやすかのような手つきで、ゾロが金髪の上に手のひらを乗せる。途端に呆けていたサンジの額に青い筋が浮かんで、なにを映そうともしていなかった右目に殺意が芽生える。それを見てあわあわと戦慄いたウソップは後退りし、背後でルフィの測定を終えたフランキーのシャツを掴んだ。

「…言わせておけばこのクソマリモがァ!!! 人の恩を仇で返しやがって!!」

「毎日てめェのメシ食ってりゃこうなって当たり前だろ。伸びる伸びねェは…そうだな…おまえもよく寝たらどうだ?」

「バカにしてんのか! てめェみてーな暇人と一緒にすんな!」

「ったくおめェらよく飽きねェなァ。ここで暴れんならいっそ甲板でやってこい」

 さりげなく料理の腕を褒める言葉を口にしていることにはゾロ本人も気づかず、威嚇する猫が全身の毛を逆立てるみたいに突っかかるサンジは、勿論それに気づく筈もない。フランキーは睨み合う2人を見て溜め息を吐き、ウソップのヘルプに両手を風来砲の構えにして応えた。
 威力が軽減された空砲に飛ばされたゾロとサンジが、ラウンジの扉ごと芝生の上に転がる。しかし2人はすぐに体勢を取り直す。そして始まるのはいつもの喧嘩。対峙したゾロの刀の峰とサンジの靴裏が、どちらも譲らずに力を加え続ける。

「…大体おれァなァ…こんなもんじゃまだ満足してねェんだ」

「…ケッ! んなのはおれだって同じだっつの! てめェの睡眠時間の半分寄越しやがれ!」

 語尾が強まると同時に力任せに刀を押しやられ、次には俊敏な回し蹴りがやってくる。ゾロはそれをもう一本抜いた刀で防ぎ、2人はまた一定の距離を保って睨み合う。

「背が高けりゃレディのエスコートも様になるもんだが、てめェが長身になったってますます厳つい筋肉マンになるだけじゃねェか」

「女にどう思われるかなんてどうでもいい」

「じゃあなんだよ。ゴリマッチョ計画以外に何があんだ?」

 んん? と嘲笑って煽ってやっても、ゾロはまた違うと否定した。それから刀を二本とも下ろして、神妙な顔をして口を開く。相手が戦闘の体勢を少し崩したことで、サンジの肩の力も若干抜けた。扉が吹っ飛んだダイニングでは、今度はウソップがルフィと交代しているようで、相変わらず騒がしい声が満ちている。しかしそこには目もくれず、目の前の唇が紡ぐ言葉を待った。

「今のまんまだと、チョッパーに肩車してやれねェ」

「…はァ?」

 だが、あまりに真面目な声で返ってきた返答に、サンジは拍子抜けしてさらに肩の力を解いた。
まあ確かに、ゾロの言うことには一理あるかもしれないとは思える。比較的新しく一味に加入した2人は、クルーの最長身記録を持っていたロビンをゆうに越すレベルの長身だ。彼らが仲間になる以前なら、チョッパーはよく、ゾロやサンジの肩に乗っかっていたのに、今じゃ眺めが良いほうがいいのか、そのポジションはすっかり新米の彼らに交代してしまった。ゾロの発言はつまり、その座を奪い返したいということだ。口や態度には滅多に出さないくせに、こんなガキ臭いことを思っていたなんて。頭の中で反芻するだけ可笑しくなってきて、思わず吹き出しそうになった。
 ところがそれを遮るように、「それに」と長身だからこそのメリットを再び付け加えようとしながら、ゾロがこちらにやってきた。その途中で二本の刀を右の手で一纏めに握り直し、造作もない慣れた手つきで、左手をサンジの丸い後頭部に差し伸ばした。そしてあっという間に詰め寄って唇を奪う。サンジは目を丸くしてゾロを見つめた。

「これもしやすい」

 ニイッと笑った顔を数秒見つめた後、サンジは我に返って腹巻きに膝蹴りをかました。意表を突かれたとはいえ、なんたる屈辱だ。キスはされるよりも仕掛けたいと思うのが一緒なだけあって、この身長差はますます見過ごせない大問題であると思い知らされた。
 サンジは人知れず、ここで誓う。チョッパーと戯れるゾロを見るのはわりかし嫌いではないので、彼の飯を減らすことではなく、船医に自らの背を伸ばすためのアドバイスを求めることを。








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