起き上がりたいと思ったのに、身体は素直に言うことをきかなかった。ただの寝癖でもこんなにひどく絡み合わない髪をそのままに、サンジは両の手を床についてゆっくりと上体を起こした。腰から下に自由はない。せめて余計な痛みを誘発しないように、緩慢な動きを徹底した。
 努力の末に起き上がることに成功して、熱い深呼吸をひとつ。身体に残る汗を引かせることは出来なくても、呼吸がようやく落ち着いたリズムになる。ぼさぼさの乱れ髪は頬を擽り、息をついて俯けばさらにこぼれ落ちてくる髪があった。その隙間から、ふいに外の明るさが差し込む。少し顔を上げてみると、夜空に浮かんでいる大きな三日月が窓から見えた。この展望台にこもった時には欠片も見当たらなかったのに、綺麗な三日月はちょうど窓枠いっぱいにおさまって、それはそれは絵画のような美しさだ。月が昇るまでの長い間を欲にまみれて過ごしていたんだと実感しつつ、自然の美しさにただ目を奪われる。サンジの右の瞳に、大きな三日月が所狭しと吸い込まれるようだった。
 月光を浴びる身体に、後ろから伸びてきた腕が巻きつく。温かい手のひらの感触は今晩だけでもう随分慣れた。厚い胸板が背中によりかかる。とくとくと命の鼓動が聴こえた。
 静かで、平和な夜だ。
とても海賊船の上とは思えない。自然の情緒に心惹かれることも、肌を寄せ合いながら夜明けを待つのも、海賊とは似ても似つかぬ平和惚けたこの時間に、サンジは時々妙な罪悪感を抱くことがある。それは特定の人物に対してではなく、いつかこの怠慢な行いのツケが回ってくるような気がしてならないという、言うなればこの先の冒険への危惧である。それがどういう形でやってくるかまでは分からない。分からないけど、この大きな傷痕の残る胸に触れるたび、自分も相手も海賊であるという事実に目を醒まされるような思いをすることがある。いつだって簡単に命の瀬戸際に立たされる。命をかけて夢を追う旅と分かっていても、もうただの仲間以上の絆を持ってしまっては、自分を犠牲にしてでも守りたいと思えるものが増えていた。
 無防備な首筋をきつく吸い上げられて、熱い両手がまた身体を這い始めた。
もう出ないと掠れた声でサンジが呟いても、聞く耳すら持たない手が足の中心に滑り降りてくる。
 サンジは溜め息を吐いて、背筋を震わせた。不埒な指先のせいで力が抜け、背後の胸板に身体を預ける。そうすればぴったり合わさった胸から鼓動が速まっていくのが感じられた。夢を追い続けることに真っ直ぐなこの男が、仲間のなかじゃ飛び抜けて生に執着がない。生きてこそ叶える夢だろうに、しぶとくあざとく生き長らえるくらいなら、さっさと死んだほうがマシだという。それにはサンジも賛同出来た。決して夢と生きるということを秤にかけて、どちらかを軽視しているわけではない。叶えたい夢があるから、そのために全力で生きている。二つは一つだ。どちらに妥協があっても許されはしない。
その気持ちが痛いほど分かるから、時に死に急ぐような背中を黙って見つめていられない。今はこんなに穏やかな海の上を進んでいるのに、一体いつ、またその背中を守らせてもくれない歯痒さに唇を噛み締める時が来るのだろう。
 考えたらひどく感傷的になって、サンジは思わず、自分の腹に回された手を掴んでいた。可笑しな話だ。互いが海賊であるから同じ船に乗っているんだろうに。海の上じゃなかったら出会えもしなかった二人だというのに。
 手に手を重ねて、いつもみたいに振り払われないのが嬉しかった。人を切る手、命を奪う手に、生きて夢を掴んでほしいと願わずにいられなかった。
 サンジはゾロの名前を呼んだ。夜が明けたらまた元通りの距離に離れていく。だけどせめて、この世界から一人で消えていかないように。剣の次でいいから、まだ想い続けている友との約束に霞んでもいいから、ここにその手のひらを求める存在がいることを、わかってほしかった。








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