ビンクスの酒を鼻で歌いながら、ウソップは芝生甲板への階段を下りる。今日の発明は実に画期的だ。芝生でぼろぼろとおやつを食べ散らかす奴らがいる限り需要の尽きることはない、お掃除ロボットだ。企画、発案をウソップが担当、制作過程をフランキーが取り仕切る。朝食を済ませてから二人で取り組めば作業は順調に進み、いよいよ試験的に稼働させる為に、足りなくなった潤滑油をウソップ工場本部に取りに行くところだった。
 足早に芝生に下り立ち、甲板の中心にあるハッチを開こうとする。ちょうどその時、視界の左側で僅かに何かが動いたと思ったら、ブランコに乗ったゾロの影だった。

「おうわビックリしたァァ! 居るなら居るって言えよ!」

 鼻歌は当然中断。目ん玉をひんむいてからどきどきと打つ胸を押さえたウソップは、難しい顔をして芝生を見つめながらドーナツを口に運ぶゾロに近づいてみた。柔らかい芝生のせいで足音は大きくないが、それでも近づく気配は感じるだろうに、ゾロは顔を上げない。いまいちどこを見ているのかわからない視線を追って芝生を振り返って見るのだが、そこには凝視するほど魅力的な何かが有るはずもない。

「…もしもしゾロ君? …なんだおめー…公園で黄昏るじーさんみてェだぞ」

 目の前でひらひらと手を振ってみてもこちらを見向きもしない。ウソップはますます顔をしかめて二の腕を組んだ。あのゾロがブランコに乗っている、という図だけでも大変面白いが、どうやらこの彼にして珍しく考え事をしているようだ。ただひたすらに口と手だけを動かすその無駄の無さに感心する一方で、からかいに鬼の面相が返って来ないことを心配する。表情からは別に意気消沈している様子は見てとれないのでそこまで大事ではないだろうと予想出来るが、なんにしてもブランコで黙々とドーナツを頬張る姿はなかなかお目にかかれないだろう。
 一体何がと思い巡らせて、さっきの苛立たしさに満ち満ちたオーラとのギャップを感じた。そうだ、ついさっきまでは触らぬ神になんとやらの状態だったのに、今はそれよりかは幾分まるくなっているように思える。じゃなかったらウソップはゾロに近づいたりしない。ブランコにてその姿を目撃してしまったあと、見て見ぬふりを決め込んでそそくさとハッチ内部に降下していただろう。

「…おまえら」

「!? うん!?」

 この状況に至るまでをぐるぐると頭で考え込んでいたら、ゾロがぼそりと発言した。顎に当てていた指もそのままに、ウソップは慌てて相槌を打つ。依然としてこちらには顔を向けない。ごそごそと腕の中のかごを漁って、また新しいドーナツを一口かじった。

「なんかやったのか、アレに」

「や…? アレって?」

「コック」

「…あァ!」

 ウソップはポンッと両手を鳴らした。ここでようやく合点がいく。そういえば昨日の宴にゾロの姿はなく、ブルックのバイオリンに合わせて一緒にハッピーバースデイを歌った記憶もない。空の酒樽はナミの周囲を囲うようにしてばらけた列を成すだけで、酒豪がもう一人いないだけでこんなに酒の減りが少ないのかとチョッパーと共に驚いた記憶が新しい。

「まァ、一応な。サンジは要らねって言ったけど、誕生日だしなァ。そうもいかねェだろうって」

 出来映えは悪いが、いつも美味いメシをありがとうの感謝を込めたパーティーテーブル。それを全員が協力して作りあげ、あとは各自でプレゼントを送った。
ナミとロビンからはクリミナルブランドのエプロンとTシャツ、ルフィとチョッパーはサンジの似顔絵、ブルックは即興でサンジのために一曲演奏し、フランキーとウソップは五種類の機械音搭載のハイテクキッチンタイマーを送った。

「それがまたルフィとチョッパーが描いた似顔絵が似てねーんだ! サンジ、部屋に手配書貼ってねェだろ? だからたぶん代わりに貼れるようにってあいつらなりの思いやりだったのかもしんねェが、ありゃア手配書より思いきった芸術だったね」

 それでもなんだかんだと言いながら嬉しそうに笑っていたのが印象的だったと語るウソップの話に、ゾロは黙って耳を傾けていた。そのうち油を催促するフランキーの声が聞こえて、ウソップが大手を振って返事をする。それから彼は早足でハッチの中に入っていってしまった。ゾロはただ沈黙のままにかごを漁った。しかしその手に掴めるものは何もなかった。俯いてみれば、空のかごしかない。無心で食べていたドーナツは、もうそこに残っていなかった。


 ウソップがハッチ内部の梯子を下りると、4番ドックから騒がしい笑い声が聞こえてきた。ドックを開いて中を見てみれば、カナヅチ三人がびっくりプールで遊んでいる。

「…おまえらァ! 溺れたらどうすんだアホめ! プールで遊ぶ時は誰か泳げる監視員をつけろってあれ程言ってんのに!」

「おーウソップ! おめーも一緒に入るかー!」

「今なっ、ルフィが浮き輪しながら一回転したんだっ! おれにも出来るかな!」

「出来ますともチョッパーさん! さァ私が手を貸すので、ハイッいっちにーさーんしー!」

 上のゾロと比較すると、きゃあきゃあと無邪気に手を振ってくる連中は実に腹立たしくなるほど五月蝿い。きちんと三人ともが浮き輪を装着しているので心配は無用かもしれないが、それにしたってなぜカナヅチに限ってこんなにも水遊びが好きなのだろうか。能力者は海に嫌われていても、彼らからの一方通行な愛はどんなに痛い目に遭っても健在だ。ウソップは溜め息を吐いて首を横に振る。

「おれァいいよ。油取りに来ただけだし。おまえら騒ぐのはいいけどな、そのテンションでゾロに絡んだら命ねェかもしんねーぞ」

「ゾロ? ゾロがどうかしたのか?」

「どうもしねェでドーナツ食いまくってるから恐ェんだ」

「ドーナツ!? まだあったのか!」

 ほんじゃ食いに行こう! とウソップを通り越してドックの入り口まで手を伸ばしたルフィが舌舐めずりをする。それを見たウソップがゴムの手を慌ててチョップで叩き落とした。

「おめェは散々食っただろうが! ありゃサンジがゾロの分だっつって…、」

「?」

 ふいに言葉を濁したウソップを見て、ルフィが不思議そうに瞳を瞬く。
そう、いつだってサンジはちゃんと、マイペースなゾロの為を思ってとっときの手料理を一人分確保している。9人いればそれぞれに事情もあるから、何もゾロ一人だけへの特別な処置ではないけど、それはつまり、普段どれだけ互いを罵りあっていたとしても、ちゃんと彼を他のクルーと同じように認めているということの証だ。
そう思ったらウソップは大きく声を張り上げていた。悪気はひとっ欠片も無いけれど、羽目を外すとちょっと空気を読めなくなる三人に向かって、今日いっぱいゾロへの接近禁止令を敷いた。
きちんと理解していないだろうにノリで返された三重奏のブーイングには耳も貸さない。
たかが誕生日、されど誕生日だ。一日過ぎようがなんだろうが、今日ぐらいとことん悩んでサンジと向き合えと、ウソップは心の中でゾロにエールを送った。


 あれからゾロは無い頭を無いなりに捻って、一日遅れの誕生日プレゼントについて考えていた。我ながらくだらないことに頭を悩ませていると思う。そもそも誕生日だからって何を特別に扱うことがある、というのがゾロの本音だ。けれど、自分以外の皆が何かしらのプレゼントを贈っていると聞けば、自分もそれに倣わなければいけない気がした。不器用なくせに、変に頑固で義理堅い彼は、一度そう思ってしまったが最後、では自分だったらサンジの為に何が出来るだろうかと、うだうだ考え込む羽目になってしまった。
 ドーナツを完食してから、昼食も摂らずに展望台へ。気づけば太陽も西に傾き、オレンジ色の光がピアスを照らしていた。本当に長い間、此処に籠って考えている。あいつは何が好きだっただろう。何をしたらよく笑うだろう。自分に何を貰ったら、悪い気はしないと思ってもらえるだろう。
 ゾロは考えた。何かをしてあげなくちゃ、と言うより、次第にその考え方が何かをしてやりたい、に変わっていることには気がつかなかった。考えすぎて、眉間が痛い。無意識の皺寄せに指をあてがいながら、時折ダイニングから出てきて甲板でタオルを干したり、ナミやロビンへのサービスに勤しんだり、おやつを集る連中を足蹴にしているサンジを見つめていた。
 だが、駄目だった。どれだけ考えても良い案が見つからない。ナミに借金をしてまで金を借りようが、こんな海のド真ん中じゃあ何を買ってやることも出来ない。たとえば他の誰かにプレゼントについて相談したとしても、それでは何かが違う気がした。サンジのことをこんなに考えたのは初めてかもしれない、と思えるくらい考えたのに、ほんの少しもピンと来るものがなかった。
 ゾロは乱暴に頭を掻きむしって、勢い良く展望台を飛び出した。夕刻の甲板は物静かで、ダイニングへと駆けるゾロの足音しか存在しなかった。無遠慮に扉を開く。驚いた顔でこちらを振り返るサンジにデジャブを見る。息を切らしながら、ゾロは盛大に音を立てて扉を閉めた。

「…わかんねェ」

 喉がからからに乾いていて、掠れた声で絞り出した。部屋の中心に進もうとしないゾロを、サンジは見つめる。

「考えてもわかんねェから、本人に訊いてやる。おまえ、何が欲しいんだ」

 それが人に物を尋ねる態度だろうかと内心で思ってしまうくらい、ゾロの目付きは極悪だった。これは相当ストレスの溜まっている顔とみたサンジは、呆れたように笑ってもう大分短くなったタバコを灰の山の天辺に押し付けた。

「…座ってろ」

「あァ?」

「いいから、おまえちょっと座ってろ」

 テーブルをぽんぽんと叩いて、サンジはゾロに着席を促す。それからキッチンに入って、何やら調理を始めた。ゾロはそれを目で追いながら、訳の分からないまま椅子に腰かける。

「…慣れねェことしやがって。知恵熱でも出したらチョッパーが腰抜かすぞ」

 台詞のわりにそこにはいつものような刺々しさもなく、薄ら笑いを浮かべて手際よく手元を動かした。それから10分も経たずに、湯気の立った茶碗を持ってゾロの元へやって来た。
目の前に置かれたそれはお茶漬けだった。一番上には煮干しが散りばめられている。

「大体、てめェがおれを喜ばせられるって思い込んでやがるほうがおれにはびっくりだ」

 さァ食え、と差し出された箸に、ゾロはほんの少し躊躇いながらもそれを受け取る。茶碗は熱かったが口元に運んで一気にかきこんだ。サンジはゾロの左隣に座って、はふはふと出来立ての熱さを堪えながら食べる様子を、頬杖をついて見つめた。そして微笑む。実は思い込みでもなんでもなく、事実としてゾロは自分に喜びを与えることが出来るのだが、それを直接口で伝えるのは癪なので、ただ一つのヒントを与えることにする。

「…美味いか?」

 ぽつりと呟いた。ゾロがお茶漬けの手を止める。
茶碗と箸を持つ両の手を下げて、ゾロはサンジを見つめた。そこでゾロはようやっとこのお茶漬けの意図を知る。彼の瞳には昼間みたいなコックらしさだけじゃなく、もう一つ訴えかけるものがあった。
ゾロは、茶碗と箸をテーブルに置いた。それからきちんとその隻眼を見つめて、たった一言を答えてみせた。

「…絶品だ」

 サンジははにかむように吹き出して、今まで見たこともないような顔で笑った。だから思わず、肘をついたままの白い腕をとる。引き寄せて口づけた。いつもより苦味の増した煙草の味がしたが、一度じゃ足りないと、開いたままの瞳が閉じていくまで何度もそれを繰り返して、実は長い睫毛が完全に伏せられるころ、ゾロもようやくその両目を閉じることが出来た。







ハッピーバースデーサンジ!


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