「ハイご苦労さん。これで全部か?」

「たぶん。買い損じはねェ筈だ」

「たぶんて何だたぶんて! メモ渡したろ」

「あァ…あれはチョッパーに預けた。おれァ後をついてっただけだ」

「…あーそう。ま、そうだろうな。いやそれでいい」

 ピンクのエプロンを首から下げた料理長は、泡立ったシンクに突っ込んでいた手を止めた。蛇口を捻って新鮮な水を継ぎ足す。両手を包んでいたそれらを綺麗に洗い流して、スープを煮込んでいる真っ最中のコンロの火を弱める。
 ゾロはキッチンを挟んでサンジの真向かいにあるテーブルに、ビニール袋を二つ乗せた。袋の中でかさばっていた調味料の瓶が、か細い音を立てて形状を少し崩した。
 手洗いで残った水滴をエプロンの裾で拭って、ダイニングキッチンから出てきたサンジが袋の中を覗く。ちょいとつまんで二つの袋の中身を検分し、誰に対してでもなく浅く頷いた。頼んでいたものはすべて揃っている。ついでに埋もれるようにして紛れ込んだイレギュラーを一つ発見したが、もしやと後ろのポケットを探れば案の定で、それに対するお咎めを口にする気が失せた。
 コックとしての役割は、その調理の腕はもちろん、クルー全員の栄養管理を徹底する上で食材選びから慎重にならなければならない。そのため、本来ならば買い出しは必ず自分の足で赴くところだが、今回はその任をチョッパーとゾロに任せた。いざ買い出しに行かんとしたまさにその時、ブルック、ウソップと共にミニメリーで沖に出て、遊び半分で釣りに没頭していたルフィが、また常識はずれのドでかい海王類の一種を釣り上げたからだ。夜まで冷凍保存をしておくという手もあったが、もはや海獣に近い体形のその魚は、海水から引き揚げられるとみるみるうちに色彩を変化させながら鮮度を落とした。規格外の大きさはサニー内部の生け簀へ入れることも出来ない。なんとか料理して食わせてくれと懇願する三名の熱意に押され、超特急でデリケートな食材を扱うことになった。そんな料理長の代わりに買い出しを務めることになったのがチョッパーとゾロだ。人選に深い意味はない。港に停泊中のサニーへ今夜のおかずを届けたあと、再びメリーに乗って沖へ出た三人と、船の整備にあたるフランキー、すでに日用品のショッピングに出掛けた女子二人を除いた二名だ。二人ともがお使いを頼まれることに初めは渋ったが、余ったお金で好きなものを買っていいと、エプロンを装着してお母さんみたいに交換条件を出してきたサンジの思う壺となった。そして約二時間ののち、彼らは無事に買い出しの任務を果たした。というより先導をしたチョッパーのおかげとでも言うべきだろうか。方向音痴も甚だしいこの男は、荷物持ちに行ったようなものだったのだろう。

「なんにしろ上手いこと揃えてきてくれて助かったぜ。これでアホ三人とナミさん達が帰ってき次第出港できるな」

「まァな。用は済んだろ。おれは寝る」

「どうぞご勝手に。…ん? あ、ちょい待て」

「なんだよ」

 頼んだものすべてがきちんと手に入ったことへの安堵から、煙草に火をつけようと口にくわえかけて、サンジはクン、と鼻を利かせた。煙草をもう一度ポケットに押しやってから、踵を返してダイニングから出ていこうとするゾロに近づく。怪訝な表情を露骨に表すゾロを見て見ぬふりして、すんすんと大袈裟な鼻呼吸を繰り返しながら、その鼻で首筋、胸、腕を辿る。

「…なんか獣くせェ」

「…おまえ…チョッパーが聞いたら泣くぞ」

「違ェっつの。あいつの匂いじゃなくて…なんかもっとこう」

 ゾロに鼻を擦り寄せたまま首を傾げたサンジは、彼の肩越しに勢い良くダイニングの扉が開くのを見た。それから立派な角とピンク色。
 チョッパーが早足で部屋に入ってきた。

「サンジ! 見てくれよこのキャンディー! メロンとイチゴと…それからオレンジ! いろんな味がするんだ!」

 小さな蹄に、サンジの眉毛よりもっと渦巻いた、いわゆるペロペロキャンディーが握られていた。その色は七色に光っていて、息を弾ませたチョッパーの瞳もきらきらと輝いている。
 入ってきたのが彼ひとりだったため、この微妙に近すぎる体勢からそう慌てて離れることもなく、サンジは目線を下げてチョッパーに微笑んだ。

「良いモン持ってんなチョッパー。お駄賃で買ったのか?」

「おうっ! 本屋に寄って医学書も一冊買えたし、それからこれも!」

「そりゃ良かった。そういやおめェは残った金で何を買ったんで?」

「それがな、ゾロはすごいんだ!」

「すごい?」

「うん!」

「、おい、チョッパー」

「路地裏に子猫を連れた野良猫がいたんだけど、ちゃんと食ってねェのか、もうすごく痩せてて。それ見てゾロは余ったお金でパンとミルク買ってきて与えてやったんだ。母猫はずっと鳴いて喜んでたよ」

「……へェ」

 若干興奮ぎみに話してくれたチョッパーから視線を移して、どうにもバツが悪そうな表情をしているゾロを見つめた。サンジのその瞳から逃れるように明後日の方向へ視線を放り出した彼は、小さく舌打ちをする。
 チョッパーはそれに構わず、ゾロがいかに颯爽として格好よかったかを熱弁しようとしたのだが、途中で釣りから帰ってきた三人の声がするなりダイニング奥の医務室へ駆け込んでしまった。そこを通り抜けてさらに外へ逃亡するつもりなのだろう。特にルフィに見つからないようにしなければ、ペロペロキャンディーを完食することは難しい。
 あっという間に走り抜けた後ろ姿を見守ったあと、サンジは改めてゾロに向き直った。彼はそれを受け止めるつもりはないようでダイニングをさっさと出ていこうとするから、サンジがその太い腕を掴んだ。面倒臭そうに振り払われる前に、向かい合った首筋に顎を乗せる。

「こりゃ猫の匂いか」

「…自分じゃわからねェが、そうだとしたらこのままは御免だ。ひとっ風呂浴びてくる」

「そのほうがいいだろな。…しかしおまえ、アレだな」

「なんだ」

「…それ、無自覚か?」

 問えば数秒の間を沈黙が支配した。その後ぐぐぐと両手で押し退けられて、サンジは無理やりゾロから引き剥がされた。盛大なあくびをしながら今度こそ本当にダイニングを出ていく。 残されたサンジは一度取り止めた煙草を口にくわえた。それからスラックスの後ろのポケットを探る。やはり、ライターはない。けれど焦る必要はない。買い物袋を漁れば、奥から小さなマッチの箱が出てきた。見ていないようで見ているのだから呆れてしまう。

「…おまえは甘やかすのが巧いよ、ゾロ」

 ミルクとパン、マッチを購入しなければ、買えた酒もあっただろうに。
 猫の親子も、今頃こうして笑えているだろうか。サンジは騒々しい三つの足音が近づくのを聞きながら、深く紫煙を吐き出した。






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